第4055回 『福沢諭吉伝 第四巻』その79<第六 古社寺古美術保存論(7)> | 解体旧書

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 石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<著者が編纂上の困難を冒し、健康上の支障を忍び、然も七年の長きに亙りて、一意専心、刻苦勉勵し、遂に此大作を完成したのは、其の勞誠に多とすべく、吾々の深く感謝する所である>慶應義塾長 林 毅陸

<前回より続く>

 

第六 古社寺古美術保存論(7)

 

 (福沢「帝室論」の一節)つづき

 人間の文明は其日月永遠にして其境界廣大なるものなり、文明一跳、千歳一日の如し、豈今日目下の無用を以て千歳文明の材料を棄ることを爲んや。今日土中より堀出す勾玉金環等の如きも、當時に在て其時代の經濟理論に明なる書生の評に附したらば、或は無用の物なりしならんと雖ども、數千年の下、今日に於て其勾玉の細工と其金環の鍍金とを視察すれば、我日本は數千年の前既に鍍金の術ありしことを知て其文明の度を見るに足る可し。

 左れば今日無用の物も明日其無用たらざるを知る可らず。試に今の書畫骨董を見よ。十餘年前は塵埃に埋めて顧る者もなく、緋威※1の鎧一領は其價金貮朱と云ふも尚買ふ者なし、名家の筆跡と稱する金屏風も之を燒て其金箔の地金を利するの時勢なりしものが、今日は全く其反對にして、鎧も刀劍も骨董として之を貴び、書畫の如き一片紙帛※2價幾百圓なるものあり。僅に十年の經過にして尚且然り、況や今後百年を過ぎ千年を經るに於てをや。人の好尚の變化は決して計る可きものに非ざれば、物の存す可きは之を存し、術の傳ふ可きは之を傳へて、我文明の富を損するなきこと緊要なるのみ。

 諸藝諸術無用ならざるのみならず、我國固有の美術にして洋人等の絶て知らざる者あり。茶を喫するに法あり、茶の湯の道と云ふ。花を器に挿す法あり、挿花立花の術と云ふ。香品を薫して之を嗅ぐに法あり、薫香の藝と云ふ。此類甚だ少なからずして、西洋人に語るも容易に其意味を解すること難かる可し。又御家流の文字の如き、其本は支那に取りしものにても、支那流外に一種の書風を成して其法を傳授する上は我國の固有にして、美術の中には大切なるものならん。何れも皆我文明の富にして外人に誇る可きものなり。

 

 ※1■緋威:(ひおどし)緋色に染めた組紐や革などで威したもの(「威」とは、鎧兜の小札(こざね)板を糸や革などで上下に結び合わせること。糸を用いたものは「糸威(いとおどし)、革を用いたものは「革威(かわおどし)とよばれている」

 ※2■:(はく)絹

 

<つづく>

(2024.9.25)