第3926回 『福沢諭吉伝 第三巻』その574<第六 日清開戰と先生の活躍(11)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。大正12年6月、慶應義塾評議員会は本書の編纂を決議し、石河に託した。9月に旧図書館内に編纂事務所を開設。それから7年有余を経て、昭和6年3月完成した。

<前回より続く>

 

第六 日清開戰と先生の活躍(11)

 

 (澁澤榮一の談)つづき

 至極御尤もな御考であるので私共は大贊成を表し、夫れぞれ斡旋して、銀行家實業家等の重立った人々百人ばかりを銀行集會所に寄って貰ひ、其席上で福澤先生が發起の趣意を演説せられ、私も其意味を敷衍して相談したのであった。其後數囘集會して、三井銀行の二階でも相談をしたやうに覺えて居る。

 福澤先生の御考は右の通りで、私も其趣意に贊成して、出來るだけ巨額の金を寄せようと云ふ目論見であった。夫れには三井三菱が率先して相當の金を出して貰はぬと、後の金を寄せるに關係があるといふことであったが、其頃は今とは違って千圓の金を出すにも中々困難な時代で、一萬圓に至っては大金であった。其時福澤先生は、私は金持でないが國家非常の場合に際しては非常の決心をしなければならぬ、着物一枚薄く着ても自分は一萬圓出すといはれた事を覺えて居る。私も先生と同論で、矢張り着物一枚薄く着ても身分相應の義金を出す覺悟であった。そしてだんだん相談をしたけれども、富豪の連中に兎角尻込みするものが多いので、私共は大變弱った。

 これ丈けの人々が揃ってゐて金が容易に集まらないとは餘りに意氣地がないと云って、先生に叱られた。ドウかして纏めたいと思って彼此れ心配して居る中に、其事を總理大臣の伊藤さんが聞込まれて、私に來て呉れといふので行きましたところ、斯う斯う云ふことを聞いたが一體ドンナ形勢であるかとのお尋である。實は福澤先生から斯う云ふ話があり、私も至極尤もと思ったから、相談の上出來るだけ巨額の金を集めようと云って、銀行者其他に向って頻に勸誘中であるけれども、未だ思ふやうに集らぬ、併し今度の戰爭は帝國の運命に關する戰爭であるから、國民として充分の後援をせねばならぬ、夫れには口先許りではいかぬ、相應の義金を集めて一般國民の誠意を表せねばならぬと云ふ意味で、福澤先生と共に折角盡力中であると云って、其顚末を詳しくお話した。

 所が伊藤さんの言はるゝには、其話は豫て承知して居る、此場合國家に盡さるゝ御精神は誠に感激に堪へないけれども、併し其金が思ふやうに寄らぬと云ふと却て氣勢を損する虞れがある、福澤先生や君が如何に率先努力しても思ふ通りの金が寄らない場合もあるかも知れぬから、政府に於ては此際寧ろ五千萬圓の軍事公債を募るが宜からうと云ふことに略(ほ)ぼ決したが、夫れはドウ云ふものかと云ふ相談であった。私はこれに對し、寄附金は幾ら集まるか分らないが、利付の公債ならば五千萬圓位は出來るだらうと答へた。

 

 <つづく>

 (2024.5.19記)