第3831回 『福澤諭吉伝 第三巻』その479<第四 塾制學務の改革(9)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第四 塾制學務の改革(9)

 

 (福澤の演説「學事の改革の趣旨」)つづき6

 元來學塾の資金募集とは神社佛閣の寄附同様にして、尋常普通の經濟法を以て律す可らず。經濟一偏の主義より云へば、敎育も亦賣買の事にして、敎育者が家を建築し書籍器械等を用意して人を敎ふれば、其人は敎育相當の代償を拂ふて差引勘定相濟む筈なれども、今の世界中に於て少しく高尚なる學校敎育は、生徒より納むる授業を以て校費を償ふに足らず。是に於てか世間の富んで志のある人々が多少の金を寄附して其不足を補い、以て事の永續を謀るの風なり。 此點より觀れば、生徒は敎育の代償として銘々より納む可き金を他人に代納せしめて、恰も割合に安き品物を買取るに異ならず。

 普通の經濟上に不思議なる事相なれども、時に熱界に熱を解脱して錢の數を離れ、少しく氣品を高くして思案すれば、自から其由來を知るに難からず。凡そ世の中に事業多しと雖も、人生天賦の智徳をして其達す可き處に達せしむるの道を講ずるより高尚なるはなし。春の野の草木を見ても無難に花の開かんことを祈る、況んや人間の子に於てをや。子女の漸く成長して其智力の漸く發生せんとする者が、至當の敎育を受けて社會一人前の男女となるは、草木の花を開き實を結ぶに等し、誰れか之を觀て悦ばざる者もあらんや、誰れか之を助けて其無難を祈らざる者あらんや。即ち人間自然の誠心、自發の至情にして、世間亦自から有情の人のあるも偶然に非ざるなり。

 西洋の文明諸國に於て、社會の上流に衣食既に足りて資産尚ほ豊なる人々が、餘財を散じて少年敎育の事を助成するは殆んど當例なるが如し。世界到る處に鬼なしとは是等の徳心を評したることなる可し。而して其助成の方法は大小緩急固より一様ならず、大富豪家は一時に幾百萬圓を投じて獨力以て大學校を創立し維持する者あり、或は金を愛しむに非ざれども身躬から學事を視るの暇もなく經驗もなき人は、既成學校の意に適するものを擇び恰も之に資金を託して竊に滿足する者あり、其他無數の小資本家にてもおのおの分に應じて多少の財物を寄附するは一般の慣行にして、其趣は我國佛法繁昌の時代に寺を建立し寺を維持するの法に異ならず。是即ち彼の國々に私立學校の盛なる所以にして、吾々の夙(つと)に欽慕に堪へざる所なり。

 

 <つづく>

 (2024.2.14記)