第3741回 『福澤諭吉伝 第三巻』その389<第一 東海道京阪地方漫遊(8)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。大正12年6月、慶應義塾評議員会は本書の編纂を決議し、石河に託した。9月に旧図書館内に編纂事務所を開設。それから7年有余を経て、昭和6年3月完成した。

<前回より続く>

 

第一 東海道京阪地方漫遊 上(8)

 

 「時事新報」掲載、「旅行日記」(つづき5)

 午後一時過龜崎より來り迎へたる人々と共に岡崎を發し、矢作村より左折、高濱に至る(此より東海道に離隔す)。途中多く新開の用地を見る、是れ明治新田の一部なり。高濱(三河)は入江を隔てゝ龜崎(尾張)と相對する所なり、此間舟渡五十丁、龜崎有志者船を艤(よそお)ひ來り迎へ、上陸して稻生治右衞門氏の宅に泊す。稻生氏は酒造家にして、半榮社(囘漕業)社長の任を帶ぶる人なり。當地の有志者及び名古屋金城新報社員及び贊成員數十名來訪、又宇都宮三郎氏の指示により酒造改良の事に熱心し専ら學理と實業を研究する仲間ありて、これを練業會員と稱し、試驗場の設もあり。福澤先生は同行諸氏と右の試驗場を一覽し、懇親會場望洲樓に赴く。此日相會する者は交詢社員、練業會員、及び一般の酒造家等、三十餘名、又半田西尾より出會せし人あり。

 ○三月十七日晴 午前七時後福澤先生の一行龜崎稻生氏の宅を出で鐵道停車場に至り、午前七時武豊を發し半田を經て茲に來るの汽車を待つ。龜崎の有志者數十名送りて停車場に來る。該線路は本月一日より鐵道建築資材を運搬する序を以て、武豊熱田間に於て一般の旅客及び貨物を運搬するものにて、停車場も總て假設に係る。旅客の出札も車中にて之を辨じ、別に停車場係員を置かず。列車は下等のみにて一日間只二囘の往復をなす。

 午前七時卅五分名古屋の金城新報社員諸氏及び扶桑新聞社の栗林勝太郎氏と共に汽車に搭じ、緒川、大高二驛を經て熱田に向ふ。午前八時四十分汽車熱田停車場に達す。停車場は熱田驛外四五町の處にあり。熱田乘船場にて小憩、九時後小舟にて四日市行の汽船に移る。本船は退潮に際し岸に近づくこと能はず、乘船場より殆んど一里の外に碇泊す。四日市郵船會社支配人船本龍之助氏は來りて熱田に迎へ、相伴ふて四日市に向ふ。名古屋は熱田より一里餘の處なれども、歸路に立寄るべき筈なれば、名古屋の諸氏とは再會を約して相別れたり。

 

 <つづく>

 (2023.11.16記)