最近、レムリアン・ヒーリング®︎の練習も
メニュー作りと共に、やっておるのですが
そうしたら、ついに夢の中でもし始めました
過去世ではなく、今の自分の姿でしたが
何故か、一匹の子猫と一緒に
色んな方へヒーリングをして回っている夢でした
レムリアで巫女さんだった頃
賢いライオンを相棒としていたと聞きましたが
その子が子猫となって、再びやって来てくれるのか
はたまた
「おぬしのヒーリングは、全盛期からすれば
まだまだ子猫レベルということよ」
みたいな意味合いなのか_(:3 」∠)
なんとも愉快な夢でございました
そんな今回は、レムリアン・ヒーリング®︎の
基本のエネルギーを下ろす練習中
突如、めちゃくちゃ『浄化瞑想』がやりたくなり
実践したら、すぐにぶわっと見えた
ビジョンのお話でございます。
今日もファンタジーにお楽しみくださいませ〜
まるで前回のお話とリンクするようですが
また、“女性の人魚”の姿が見えたものの
今回は、自分自身ではなく他人魚だったお話←
というか、猛烈に怒っているというか
“嫉妬”の感情が燃え狂っている感じでして
こちらへ、かなりの近距離から
ワーッと文句を言ってきておりました
いきなり何なの(゚Д゚)と思いましたが
不思議と、冷静な自分も居たりして
この人魚さん的な存在を、ここ数日間
なんとなく感じてはいたのです、よ
何かいるな・・・が
あなただったのか(゚Д゚)となったような
謎の納得感さえありました
彼女は怒った表情で
「なんで、もっと認めてくれないの?」
「もっと凄いって言ってよ!」
的なことを言っておりましたが
同時に伝わってきたイメージが
こう、ちょっと、拗らせている感じでして←
オブラートに包みつつ、例えて言うなれば
数年ぶりの同窓会へ
現在、華麗な活躍をしている私が行ったら
他の子たちは皆、チヤホヤしてくれるっていうのに
私に全然興味無さそうなお前マジ何なの!?(°ㅂ°)
……って感じです。分かりますかね笑
多次元に広がる魂の何処かしらで
私がそういう対応をしてしまったことに
おかんむりでいらっしゃるようでした
『おもしれー女』認定も遠慮したいですが
話を聞く限りは、知らんがなってやつでした←
ともあれ、ここのところ表へ出て来ていた
そういった、重いエネルギーが
このタイミングでの“浄化瞑想”により
ぶわーっと解放されていくのが見え……たのですけども
その直後、己の口からゴロンゴロンと
バスケットボールくらいの大きさの
海の底のような青みがかった石が
転がり出ていくビジョンにまで繋がっていった
というボリューム感のあるお話です
口から大きな石がゴロゴロ出てくるという
なんとも言い難い体感の中
伝わってきたところによりますと
このビジョンは
『古い契約の解放』
を意味しているようでした。
と言っても、子供の口約束のようなもので
「マラソン、絶対一緒にゴールしようぜ!」
「私たち、ズッ友だかんね!」
みたいな幼さをはらんだ印象でもありました
こういう台詞は、今の世でも
深く考えず、軽い気持ちで言ってしまいがちですが
ある意味、“約束事”ではあるのですよね。
そして、もっと大袈裟に言ってしまえば
約束を交わすことは、“契約”でもあります。
勿論、元は軽い気持ちの発言同士なので
大体は、一時の戯れのように
サラサラと流れてゆくものなのですが
そこに“執着”を含んでいたりすると
ちょっと拗らせてしまうこともあるのかと
口からゴロンゴロンしているこの石は
過去の自分が持ち越してしまった
そういう古い契約(約束)なのだけど
今の自分にとっては、とっても重いし
もう不要なので、手放します〜
として、浄化されていくのを感じました
すると、霧が晴れたように
頭や体がスッキリいたしまして
いやぁ、良かったですわ〜
後になって感じたのは、これも
レムリアン・ヒーリング®︎によって
自分自身に起こった浄化の一つだろうな〜
ということでした
“本来の自分”へガンガンシフトしていくので
魂のブループリント、今世の目的にとって不要なものは
浄化されるプロセスが入ることもあるのかと思います
また、浄化瞑想中にふと思い立ち、怒る女性へ
前回記事のメッセージにもあるような
『他人の賞賛や肯定があるから
自分を誇れるのではない。
それがなくては、誇れない訳ではない。
自分が、自分を誇り、愛することが
一番大事なことだ』
といった、今の自分の考えを伝えると共に
浄化の光だけでなく
自分のヒーリングカラーも送ってみたところ
結構しぶとく暫くごねていた彼女が
スッ…と一気に解放されていく様子も見えまして
名刺代わりというか、真心が伝わるというか←
ヒーリングカラーって色んな使い方があるんだな〜
ということを学んだりもいたしました
色々と気付きのある体験でしたが
『自分を愛すること』は、やっぱり
太く、濃く、育ててゆかねばな部分であり
言葉というのは、繊細なものだから
普段、何気なく使う“言葉”にも
ちゃんと愛を込めてゆきたいものだと感じたのでした