踏み板一枚外せば、下には地獄の釜が待っているとか何とか。
金貸しの世界はそういうものだと、数ある青年漫画の主人公の中でも、
異様に頼れるアニキの一人である、ミナミの帝王こと萬田銀次郎さんは言っておりました。
でもアニキ、初期の頃は「トチらんように判例を読んできましたがな」とか言ってたりして、
360度どっから見ても完璧な男ではなかったことは内緒なんだぜ!
さて、踏み板一枚外したら地獄という言葉を聴くと、何だか自分は平和な世界というモノを思い浮かべます。
ええ、平和な世界というのは多分、そういうものなのではないだろうかと思うんですよ。
なんつうか、今までの人生経験上、平和主義者と自分を自称する人間、或いは、自称しないまでも、
極端なまでに人同士のいさかいや揉め事、悪口陰口を嫌がる人間ってのはどうにも、
そういう世界を作りたがっているんじゃないかと、そういう感想を持つことが多かったものでね。
だってさ、一つの空間に人間が二人以上いれば、絶対もめごとが起こる確率は生じるもので、
人間の数が増えれば増えるほど、その確率は少しずつ高まっていくものじゃあないですか?
人の数が増えれば増えるほど、波長の合わない人間と出会う確率も増す訳なんだからさ。
そもそも、傍から見れば物凄くウマが合うように思える人間同士でも、絶対疎ましく思う部分は、
一つや二つは持っているものでしてね、それがこじれて関係が悪化することであってありえる訳でな、
人間が二人以上いれば、いさかいや揉め事は起こりえる訳だし、悪口や陰口、文句も出るものだと思うのよ。
とりあえず俺が今まで出会ってきた平和主義者の人ってーのはさ、そういう行動が、
自分の見える範囲で行われる事がもう生理的に耐えられないって言わんばかりで、
気分悪いから止めろと口を出す事も珍しくない感じだったんだけどさー、うーん、しかしなあ。
そうやって誰も彼も不満や何かを口や態度に出す事を推奨されず、溜め込んでいる状態って、
それってやっぱり、踏み板一枚向こうに地獄が待っている世界と違うのかなあ?
一回爆発したら、そりゃもう焼夷弾を落とされた状態になるんじゃないけ?
いや、別に俺だって殴りあいとかど突き合いとか口論とかしろって言っている訳じゃないんだけどさ、
ただ、悪口とか陰口くらいは許してやれよ、そして平和主義とか旗を掲げるなら聞いてやれよ、って思うのよね。
俺は、表面上目だった争いは無いが、皆がちょっとずつ皆に対して不満を抱いていて、
かつ一人の人物(Aとする)が、別の誰か(Bとする)に対して抱いている不満を、
また他の誰か(Cとする)がA自身の口から聞いて把握できている状態、
そういう世界が本当に平和なんじゃないか、と思っているんだよね。
え? 何でって思う人もいるかもしれないけれど、AさんはBさんに不満を持っているけれど、
その愚痴を吐き出せるCさんという存在がある訳じゃあないか。
安心して不満を漏らすことができると、人間って凄く楽になるものだからねえ。
それだけで未然に争いやいさかいってのが防げる場合も、経験上、かなりあると思うのよね。
こんな風に、例えばBさんはCさんに不満があるけどDさんという相談相手がいて、
DさんはAさんアレだけどCさんと話せて、っていう関係が全員に出来ているのが理想じゃねえか?
ああもちろん、誰かの不満の対象になっている人に、それを知る人が事実を公言しない事も条件だがな。
要は、気軽にガス抜きが利く世界ってのが平和だと思うのよねえー。
だからね、俺は本当に、そういう、いさかいとか争いとか陰口とか悪口とかそういうものを極端に嫌う、
自称平和主義者っていうのは、本当は物凄く危険な状態を好む人間なんじゃないかと思うのよ。
何かもう実は破滅主義者なんじゃねって思う、むしろ。
聞かされるほうは溜まったもんじゃないとも思うけど、本当に平和とか望むんだったら、
ちょっとは愚痴を聞いてやるくらいしたらどうだい、と思うのよねえ。
真に平和を願うならそん位我慢しなされ、と。
まあ、単に関わりたくない・面倒くさいだけの、事なかれ主義の人かもしれんけれどね。
いや、実際そういう人のほうが多いんだろうなあ。
こういうこと言っている俺だって、陰口を叩けなくなったら息苦しくて死んでしまいそうなだけだしな、実際。
自己の正当化って奴だあねえ、ははは。
金貸しの世界はそういうものだと、数ある青年漫画の主人公の中でも、
異様に頼れるアニキの一人である、ミナミの帝王こと萬田銀次郎さんは言っておりました。
でもアニキ、初期の頃は「トチらんように判例を読んできましたがな」とか言ってたりして、
360度どっから見ても完璧な男ではなかったことは内緒なんだぜ!
さて、踏み板一枚外したら地獄という言葉を聴くと、何だか自分は平和な世界というモノを思い浮かべます。
ええ、平和な世界というのは多分、そういうものなのではないだろうかと思うんですよ。
なんつうか、今までの人生経験上、平和主義者と自分を自称する人間、或いは、自称しないまでも、
極端なまでに人同士のいさかいや揉め事、悪口陰口を嫌がる人間ってのはどうにも、
そういう世界を作りたがっているんじゃないかと、そういう感想を持つことが多かったものでね。
だってさ、一つの空間に人間が二人以上いれば、絶対もめごとが起こる確率は生じるもので、
人間の数が増えれば増えるほど、その確率は少しずつ高まっていくものじゃあないですか?
人の数が増えれば増えるほど、波長の合わない人間と出会う確率も増す訳なんだからさ。
そもそも、傍から見れば物凄くウマが合うように思える人間同士でも、絶対疎ましく思う部分は、
一つや二つは持っているものでしてね、それがこじれて関係が悪化することであってありえる訳でな、
人間が二人以上いれば、いさかいや揉め事は起こりえる訳だし、悪口や陰口、文句も出るものだと思うのよ。
とりあえず俺が今まで出会ってきた平和主義者の人ってーのはさ、そういう行動が、
自分の見える範囲で行われる事がもう生理的に耐えられないって言わんばかりで、
気分悪いから止めろと口を出す事も珍しくない感じだったんだけどさー、うーん、しかしなあ。
そうやって誰も彼も不満や何かを口や態度に出す事を推奨されず、溜め込んでいる状態って、
それってやっぱり、踏み板一枚向こうに地獄が待っている世界と違うのかなあ?
一回爆発したら、そりゃもう焼夷弾を落とされた状態になるんじゃないけ?
いや、別に俺だって殴りあいとかど突き合いとか口論とかしろって言っている訳じゃないんだけどさ、
ただ、悪口とか陰口くらいは許してやれよ、そして平和主義とか旗を掲げるなら聞いてやれよ、って思うのよね。
俺は、表面上目だった争いは無いが、皆がちょっとずつ皆に対して不満を抱いていて、
かつ一人の人物(Aとする)が、別の誰か(Bとする)に対して抱いている不満を、
また他の誰か(Cとする)がA自身の口から聞いて把握できている状態、
そういう世界が本当に平和なんじゃないか、と思っているんだよね。
え? 何でって思う人もいるかもしれないけれど、AさんはBさんに不満を持っているけれど、
その愚痴を吐き出せるCさんという存在がある訳じゃあないか。
安心して不満を漏らすことができると、人間って凄く楽になるものだからねえ。
それだけで未然に争いやいさかいってのが防げる場合も、経験上、かなりあると思うのよね。
こんな風に、例えばBさんはCさんに不満があるけどDさんという相談相手がいて、
DさんはAさんアレだけどCさんと話せて、っていう関係が全員に出来ているのが理想じゃねえか?
ああもちろん、誰かの不満の対象になっている人に、それを知る人が事実を公言しない事も条件だがな。
要は、気軽にガス抜きが利く世界ってのが平和だと思うのよねえー。
だからね、俺は本当に、そういう、いさかいとか争いとか陰口とか悪口とかそういうものを極端に嫌う、
自称平和主義者っていうのは、本当は物凄く危険な状態を好む人間なんじゃないかと思うのよ。
何かもう実は破滅主義者なんじゃねって思う、むしろ。
聞かされるほうは溜まったもんじゃないとも思うけど、本当に平和とか望むんだったら、
ちょっとは愚痴を聞いてやるくらいしたらどうだい、と思うのよねえ。
真に平和を願うならそん位我慢しなされ、と。
まあ、単に関わりたくない・面倒くさいだけの、事なかれ主義の人かもしれんけれどね。
いや、実際そういう人のほうが多いんだろうなあ。
こういうこと言っている俺だって、陰口を叩けなくなったら息苦しくて死んでしまいそうなだけだしな、実際。
自己の正当化って奴だあねえ、ははは。