創作における凶器、っていうのは格好良さより恐ろしさが先に来るものじゃないといけないんです。
何故かって?
凶器と言うのは、人の命を奪うために作られたもの、或いは、人の命を奪うために振るわれたものだからです。
逆に武器と言うのは、必ずしも命を奪うために用いられる訳ではない。ここが重要です。
まあ、どっちも英語にしちまえばweaponである訳ですが。
そうやって大雑把だから日本語の習得は難しい、なんていう不思議な台詞を吐き出すんですよ、欧米は。
人の命を奪うために用いられるもののみを、特に凶器と呼ぶ、
だからこいつぁ恐ろしいものでないといけないんす。まあ、俺の哲学ですがね。
しかしながら、凶器と言えばホラー映画という単語が思い浮かぶ人も、割と少なくないと思いますし、
実際、ホラー映画のそのホラー、つまり恐怖の部分を演出するのに、間違いなく一役買っているのが凶器、
ということもあると思いましてね、間違っていないと思うんですよね。
随分昔、チートスという、ポリンキーのような形状のスナック菓子を用いた傷害事件というものが、
アメリカで起こったというニュースを目にした記憶がありますが、ホラー映画に登場するような怪物、
例えば13日の金曜日、ホッケーマスクのジェイソン、キャンプにやってきた、うら若き男女を片っ端から、
その片手に握ったカラムーチョの袋で殴りつける、とかどうですか奥さん。
逃げ惑う男女、思い切り叩きつけられて弾け飛ぶカラムーチョ、哀れ犠牲者の顔は、
カラムーチョの唐辛子の粉で紅く染まる……これはこれで怖いかもしれない。
他にも、エルム街の悪夢で有名な鉄の爪の悪魔、フレディ・クルーガー。
彼がその自慢の鉄の爪の換わりに、とんがりコーンを指に嵌めて登場したらどう思いますか?
ああでも、とんがりコーンで引っ掻かれたら……とか想像すると、結構痛いし怖いぞ。
見た目はとってもユーモラスな赤セーターのおっさんになりそうだが、フレディ。
創作における凶器と言うのは、ウケを狙っているのでなければ、恐怖を煽るものでなければいけない。
では、恐怖と言うのは何かと言いますと、そりゃ痛みです。
つまり、痛さを容易に想像できるものでなければいかんと思うのです。
実写映画であれば、映像が実写であるという強みがあるため、ある程度どんな凶器を用いても、
その見た目からもうヤバイヤバイというのは有り余るほど理解できるものですが、
絵に描いたものや字に表したものではそうはいかない。
今上に書きましたけれどね、どっちが痛いかって話を比べると、とんがりコーン>カラムーチョでしょう?
つーのは、とんがりコーンは尖っていますからね、引っかかれたら痛いってことは想像付くはずです。
けれど、カラムーチョで怪我をするというのはなかなか考えづらいですよね。
想像付く、考えやすいというのが最大の肝な訳ですね。
終わらない夏休みがどんどんつまらなくなっていくのは、まあワンパターンだというのもあるんですが、
8月に入った段階から、もう想像の余地を越えたレベルになってくるからです。
発想が飛び過ぎていて、いやらしさも痛さも怖さも感じなくなってきているってこった。
前ーーーーに書いたかと思うんですが、狂鬼降臨という、その道では伝説的なエログロ小説がありまして、
この内容は、串刺しになるわ、内臓から溶かされるわ、飛び散るわ、偉いことになっているんですが、
しかし俺がこの小説内で最も恐ろしかったのは、互いの歯をやっとこで抜きあうカプールの描写と、
竹刀で肉を抉って切腹する描写(別の話だったかも)だった訳であってな、だってよう、
抜歯とか竹刀って身近だろ? 想像するだけで冷や汗がでるんだわ。
後は、終わらない夏休みと大差ないかもしれん。
そういう訳でして、私はなんつっても洋包丁とかそういうものが怖いと思うんです。
どこの家庭にでもあるじゃあないですか。
鉄パイプとか、金属バットとかいう鈍器も嫌ですよね。アレもまた痛さ=怖さが簡単に想像が付く。
ああ、注射器なんかも嫌ですねえ、あんなものでグサグサされたら、って思うとゾクゾクしてしまいます。
喜んでいる訳じゃなくて。
まあともかく、グロいとか痛いことをしたいなあって願望や、
とにかく怖い基地外を絵に描いたり、文にしたりする時は、
身近にあるものを天才的な発想で用いるのが凄く有効だと思うんですよね、私。