卯さんは、おおむね非差別主義者です。

ですが、小学校~中学校までの教育で、
「差別はよくないことだ!」と耳が痛くなるほど教えてこられた中で、
なんちゅうか、一度も「その通りだ」と思ったことはありませんでした。

大抵の場合、差別をするとこういう悲劇が起こる、という極端な例を描いた、
映画作品を視聴させられるか、書籍を朗読させられた後、
差別についてどう思ったか、等というタイトルで作文を書かされましたが、
卯さんは一度、"差別の是非なんかどうでもいいよ。それより……"等と言う内容を書いた結果、
反省文もセットで書かされるハメになったことがありますです。

上記の件については、ぶっちゃけ卯さんが100%悪いです。
というのは語るまでも無い事ですが、


Q.たえちゃんがリンゴ5個とバナナ3本を買いに行きました。
リンゴは1個50円、バナナは1本80円です。全部でいくらでしょう?

A.買い物なんてどうでもいいよ。
それより、今夜たえちゃんがオッサンにどんな目に合わされるか語ろうぜ!


等という荒業をしてしまったためなので。
今でこそ如何に自分が愚かだったか分かるというモノですが、
当時の俺には分からなかったんだよなー。

で、"それより……"の後に続いた内容について本日はちょっとお話したいと思います。
その前にまず、何故"差別"がいけないことなのか考えてみましょう。

そもそも、"差別する"という行為の意味は、
"偏見や先入観に基づいて、悪し様な扱いをする"、と言った処でしょうか。

つまり、"チョンはすぐファールするから一緒にサッカー部には入れねー、帰れ"等と、
韓国人留学生のキム君を仲間外れにする等は、差別行為に当たる訳ですな。

これの何が問題かというと、
"キム君が本当にフェアプレーをしない"のかどうか分からないのに、
"朝鮮人はフェアプレーをしない"という偏見と先入観に基づいて、
"サッカー部に入れてやらない"という酷い扱いをした事ですね。

んむ。これは悪いな。

もしかしたらキム君を入部させていれば、キム君、フェアプレーを重んじるだけでなく、
FWからGKまで、試合の展開に応じて全てこなすだけでなく、
弱虫GKに"ボールは友達"と教え、ボールに対する恐怖を払拭させたり、
一卵性双生児が率いる息の合ったコンビプレーを破ったり、
何だか良く分からないまま決勝点を決めてチームを全国制覇させたり、
バルセロナに行ったり10頭身になったりと大活躍したかもしれない。

これは悪い、とても悪い。もう誰がどっから見ても悪いでしょう。

だけど。
じゃあ本当にキム君が、フェアプレーの"フ"の字も無いカスだったらどうするんだ。
キム君に退部してもらう(或いは入部させない)のは正当な行為になるんすかね?
卯さんが、"それより……"の後で書いたのは、上記のような内容だった訳です。

"先入観や偏見に基づいて、邪険に扱うのはよくない。
では、よく調べて、正しい知識を持った上でやっぱり受け容れられないと思った場合、
悪し様に扱うのは是とされるのか?"

反省文を書かせた教師の皆様は、何も答えをくれませんでした。
いや、というより答えようがないんでしょう。
それはもう、個人の良心という奴に左右されてしまう領域なんですよね。

世の中には、"〇〇を正しく理解する"等と銘を打たれた書籍がたくさん売られています。
自分も、時々興味があって購入する事があります。
でまあ、何も知らない一般人に毛が生えた程度の知識を身に付けると、思うんです。

正しい知識を持った人間が、誰しも正当な行いをする訳ではない。
だから多分、差別がない世界が訪れても、世の中はちっとも良くならんのだろうと。

むしろ、特定の人物に対して、正しい知識を持っている人間ならではの悪辣な扱いをする、
等と言う胸糞の悪い事態が氾濫する世の中になるのではないか?
等と言う邪推すらしてしまいます。

もちろん、良くするための最初の一歩として差別を無くす運動を行う、
というのは全く間違っているとは思いませんけれどね。
ガバガバのマリア。

うーむ、マ〇ダラのマリアって聞いた瞬間、上記のような単語が思い浮かんで、
俺が思い浮かべる位だから、多分どっかのAVメーカーが既にタイトルにして売り出しているだろふ、
とか思っていたら。

いや、まいったねコリャ、無かったよ。
頭の悪いタイトルを付けることにかけては右に出るもののない(褒め言葉)日本のAVメーカーでもできない、
そんな発想からの台詞を書いてしまったんだから、コリャ、アレだな。

俺、ネット上での発言におけるMVPを秒単位で選出してたら、今の秒単位MVPは俺持っていけたんじゃね?
まあ、受賞したとしても、その時間帯ネットに繋いで発言していた30億位の人々の中で、
最高にバカだったのが俺って認定されるだけなんだけど。


しかし、どちらかと言えばガバガバのマリアって入力して、
マグ〇ラのマリアが上から6つめ位に出てきていることのほうが問題ではないか。
そら確かに、売春婦説あるけどさー。

でも売春婦ってさー、むしろ世の男に救いを与えている女神だか聖母……はっ、そうだったのか!
そういうことだったのか、ちっとも気づかなかったぜノストラダムス!


さて、ガバガバ。なんつうかこの擬音語、
もう巷で発言しようものなら、即座にエロい人判定を受けてしまいかねない、
そういう言葉になってしまった感があります。

事実、自分も会話の際は随分と用心しております。
"そりゃもうガバガバでしょー、ありゃビッチの顔つきだわ"等と発言したくなった時も、スーパー気を付けて、
例えば、ガモガモ等という言葉に置き換える等の工夫をこらして会話している次第です。
会話の流れによっては、結果として意味が通じなくなる等と言う弊害が起こることもありますが、
エロい人認定されるよりは幾分マシというものです。


そのように、今や非紳士的ワードとしての地位を確立してしまった"ガバガバ"ですが、
この擬音語の語源って一体どこにあるんでしょう。ちょっと調べて……、
って、こんなん調べても分かる訳ないやないかッ! 学者さんのお仕事やでぇ!

ただそれでも調べてみる。
日本語の文献とかで、一番最初にガバガバっていう言葉が使われたのは……。
分からんねー、ただね、昭和初期~中期にはもう一般人の間で使われていたみたいだよ。
それは、洋靴がある程度一般に流通したからっぽい。

少なくともその時代にはもう、どうやら、サイズが全然合っていない靴を履いた時に起こる、
足が靴からすっぽ抜けそうになる→靴の中に足が戻る時に空気が押し出される→……、
このローテが起こす音を、ガバガバと呼んでいたようだ。文献にしっかりと残っている。

確証がある訳ではないんだが、もしかするとガバガバって言葉は新しいのかもしれない。

いや、例えばラテン語にgarという単語があって、これの意味は[水が溢れ出す、流れる音]であることから、
相当古くから人間は、水の噴出す音をガバガバと呼んでいた可能性があるから、
ガバガバという言葉自体は、”水が溢れ出す音”として、或いは、がっぱがっぱやがっぽがっぽという、
金やものが手元に大量に入ってくる様を表す単語の変形として、存在していたかもしれないけれどね。

ま、非常に下衆というかヒワイな連想から意味を添加した人間は分からずじまいだね。



けどまあ、ガバガバを調べていたら、別に要らない情報がガバガバ手に入ったけど、
書き込んでいるのが欲求不満のオッサンでなければ、結構ガバガバ関係で悩んでいる人って多いのね……。
いや、あくまでも書き込んでいるのが欲求不満のオッサンでなければだけどさ。
ネット上の自称女性の色っぽい書き込みって、俺なんか9割は中身オッサンだと思ってるしさ。


好きの反対は無関心だと言います。

マザー・テレサが訪日した際に残した言葉である、「愛情の反対は、実は無関心なのです」。
これが大衆に広まって、使いまわされる内に変形したと考えられるのが、上記の言葉であります。

素直にこの言葉に感銘を受け、心に残る名言として受け止めている人もいる一方、
本当に、好きの反対は無関心なのか、ということを考えられている方も大勢いらっしゃるようですが、
自分はこの言葉を知った時、ある程度真理を突いているなあ、と感じました。

というのはですね、随分昔、正確に年数を数えると800年ほどの昔、
フリードリヒ2世という王様が、子供というのは生まれてから成長するまでに、
一人でに、ある程度の言葉を覚え、喋るようになることに気づきました。

王様の治めていた神聖ローマ帝国というのは、雑多な人種が集い、多くの言語が飛び交う国だったため、
もし子供を、一切言葉を聞かせずに育てたならば、どの言葉を覚えて喋るのだろう、という疑問を持ちました。
そこで、新生児の赤ん坊を集め、一切の言葉を聞かせずに育てる事にしたのです。

結果は、どの赤ん坊も、言葉を発することができない子供となり、長ずるまでには皆死んだそうです。

一応どの赤ん坊も、衣食住と言う面では困らないような措置をとられていたようですが、
それを提供する人間は、一切話しかけず、また一切の感情を持たずに接する事が徹底されていたようで、
いわば、究極の無関心に晒され続けた子供たちは、静かに死んでいったようです。

愛情の反対は無関心、ねえ、何だか真理を突いているように思えませんか。
まあ、愛情だって時々人を殺すから、やっぱり反対とは言い切れないのかもしれないけどさ。



さてさて、好きとから嫌いの話。自分、結構、好きとか嫌いでは苦労している人間です。
つーのもね、物凄く好き・嫌いが激しいから。

普通の人は、"好き"な人間にも、ちょっと好き・凄く好き・割と好き、とか位付けがあって、
"嫌い"な人間にも、微妙に嫌い・顔も見たくないほど嫌い・普通に嫌い、等と同様にあると思うんす。
もし、常人が、"普通に好き"な人に不快感を抱いて、"普通に嫌い"に到達するとした場合、
こういう風になるのだと思うんですよ。

普通に好き→微妙に好き→どちらかと言えば好き→無関心→どちらかと言えば嫌い→微妙に嫌い→普通に嫌い


自分、あんまりこういうのないんだよなあ。
"好き"な人間は、物凄く好き・普通に好き、位の2カテゴリ分け位で、
"嫌い"な人間も、死ねばいいと思うよ・いつか絶対殴る・普通に嫌い、位の3カテゴリ分け位しかない。
あとは、何とも思っていないのカテゴリが、凄く狭い枠であるだけ。

したがって、"普通に好き"だった人間に対して不快感を抱いた場合、以下のようなことになる。

普通に好き→無関心→普通に嫌い

いやもうね、急転直下なのよ。
"普通に嫌い"を通り越して、"いつか絶対殴る"まで落ちることもしょっちゅう。
ほんの5分前まで談笑していた人間と、"もうやっていけない"になることも、別段珍しくない。

逆も然り、"死ねばいいと思うよ"さんが、"物凄く好き"になることも割とよくある。

したがって、今までの人生で、その物凄い豹変振りに"ツンデレ"扱いされた事も数回ある。
っていうか、一昨日された。
でも、別に自分はツンデレじゃーねーのよ。

むかーーーーしの彼女さんに、"卯君は好きも嫌いも全力だよね"と言われたことがあるけれど、
それは正にその通り。俺は好きと嫌いに対して感情の赴くままに向かっているだけで、
ただ、感情の触れ幅が物凄く極端なんだ。
"好き"と決めた人間に物を頼まれたら、自分では何も出来なくても、とりあえず何とかしてやりたいと思うしねえ。
"嫌い"と決めた人間には一切何も施してやりたくないとも思うしな。

もし俺が"ツンデレ"だって言うならさー、それはそれは恐ろしい事だよ。
上でも書いたとおり、危険物取り扱い免許が必要な程不安定な奴ってことだからな。
基本的に、ツンデレ属性の子って言うのはさ、情緒不安定ってことにもなるし、ああ萎える。


まあ何にしろ、"好き"も"嫌い"も全力な女の子、とか書くと、なんかすげえ萌えキャラっぽいな……。
……まあ、一皮剥いた中身は俺みたいな奴なんですけどね! 
現実を思い知るがいいね! 正に外道ね!