ここはよー、地獄の一丁目だからよー、死んだ奴がいっぱいいるぜー。
これ、旧約・女神転生の1のとあるイベントで目にするフレーズなんですけれどね。
このゲームそのものは、割と売れたにも関わらず、ネット上では、決して芳しくない評価どころか、
旧来のファンには落胆され(主にBGMやグラフィック面で)、新作ファンには見向きもされていない、
という悲惨な状況を目にすることが結構ある……というものです。
そういう訳で、特に旧来のファンであった方には、リメイクに当たって追加されたイベントである、
この冥界の住人の台詞と言うのは、ある意味で、"思い入れのあるゲームっぽい何か"、
を思い浮かばせる、バインドボイス的なものかもしれません。
まあ、確かに音楽がすげえショボかった(特にⅡは全般的に酷い)のは認めるな。
突然画面が真っ暗になってフリーズするバグや、宝箱の中身が失踪するバグも厳しかったけれど、
近年、ドミネーターをやったどっかの会社に比べれば随分マシじゃ(旧約の開発は下請けなのだ)。
まあ、別に旧約女神転生の出来なんか今日の話にはちっとも関わってこないんですけれどね。
アレっす、今回焦点を当てるのは、地獄の一丁目ってこの言葉ですね。
近頃めっきり聞かなくなりましたが、中々、心をときめかす素敵なフレーズだと思うんですよ。
丁目、つー単語は、一つの町を細かく分けた単位のことですね。言わずもがな。
なんと、出前一丁の丁とは、同じ字を使いながら、意味をすることが違っていたりします。
出前一丁の丁は、挺という字と同じ意味合いを持ち、即ち、銃や神輿、樽を数えるのに使う単位なんですな。
何故ラーメンが一丁なのかは、理解不能な気もしますが、まあー……細長いものを数える時に使う、
という用法があるので、ラーメンは細長い麺、ということで丁なんじゃねえか……。
ああっ、でもうどんも丁って数えるわ! 多分、うどんの習慣をラーメンが受け継いだと見る方が適当だ。
それなら、うどんは何故、丁なんだってことを調べると……もちろん分かる訳ねえよ!
どっかの大学生の人に、卒論で調べてもらうとかしてくんなはれ。
話を戻しますと、地獄の一丁目、恐ろしい場所、恐ろしい場所の触りの部分、
転じて、破滅とか絶望とか奈落とかそういったネガティブな要素の第一歩という意味合いであります。
格好いいすよねこのフレーズ。
洒落ているというか、異様に複雑な日本語と言う言語を、更に難解にしてしまっている、
日本人が本来兼ね備えている、言葉遊びスキルが発揮された単語だと思いますです。
で、この言葉の語源なんですが……、順々に辿っていきましょう。
ワーナーブラザーズ配給のギャング映画、The Doorway to Hell。
有名な、西部戦線異状なしの後を追う形で、1930年代に日本で公開されたようですが、
これの邦題が"地獄の一丁目"と言いました。
それより前となると、別府温泉のツアーに地獄めぐりというものが存在しますが、
こいつぁかなり歴史が古く、その中のかまど地獄というものにおいて、地獄の○丁目、
という語句が使われているそうです。ただ、いつから使われているのかが分からんのですが。
仮に発祥当時から使われているとすれば、上記の映画よりも早いことになるでしょう。
しかし、多少話が前後しますが、丁目という言葉は、17世紀にはもう使用されていたようで。
とすれば、こんなに若い時代が発祥な訳がないってことで遡ると……ありました、四千両小判梅葉です。
なんじゃそりゃ、って歌舞伎の演目ですね。初演が1885年、明治時代です。
ここに描かれているのは江戸の話なので、江戸時代には広く使われていた言葉と見るのが適当か?
地獄の一足飛び、なんていう、他の地獄を用いた慣用句の生まれは軒並み江戸時代、
上記の言葉も、井原西鶴が1688年、好色五人女で使った実績があったりするので、
恐らく、地獄の一丁目の正確な発祥は、やはりこの17世紀中辺りになるんじゃあないでしょうかねえ。
ただ、地獄の沙汰も金次第という言葉は、四千両小判梅葉が広く広めた言葉らしい……。
まあ、どこが語源かはちょっと分かりそうにもないですね。学者さんの仕事だよ、これ以上は。
とりあえず、日本人がずっと昔から兼ね備えている、気の利いた言葉使いの賜物であった、
という俺の感想は間違っていないということが分かっただけでヨシとしよう。
でも……、東京都に住んでいた人間としてましては、一丁目が触りの部分を意味するなんていうのは、
微妙に納得がいかない気がしないでもないのです。だって、駅を降りたら何十丁目とか、
そういうの、珍しくねーからさー。30丁目の隣が5丁目とか、訳分からん地域もあるんだぜ。