本日より
新巨人の星再開いたします
まあこの時期実在の巨人軍が
オフに入ってるのが
ちょっとアレですけど、、、
右腕投手として現役復帰した飛雄馬
まだコントロールに不安は残るものの、左腕時代の
軽い球質から重い球質に変わり、その剛速球の
荒れ球が逆に武器になり、ついに長嶋巨人の
最下位からのV1に貢献した
そして阪急との日本シリーズに臨む
1946年(昭和51年)の日本シリーズは
10月23日、後楽園球場から始まった
初戦は巨人堀内、阪急山田の先発
しかし両投手共に3点ずつを失い、リリーフの
小林繁と山口高志の投げ合いになったが
小林が阪急打線に捕まる、、、
初戦を惜しくも落としてしまった長嶋巨人
だがこの1敗から流れは阪急に大きく傾いた
阪急に連敗という形になった
この試合、巨人の5失策が大きく響いた、、、
舞台を西ノ宮球場に代えた第三戦
巨人の先発は加藤初、阪急は中一日で山田
まあこの頃までローテって曖昧だったのだ・・・
巨人、初回にマルカーノ、
ウィリアムスの連続ツーベース
連続四球の後の大橋のタイムリーなどで
加藤初初回でKО、、、
5回表には、このシリーズ当たっている
マルカーノにスリーラン。。。
このシリーズ、小林はリリーフに回っていたが
阪急打線にことごとく打たれた
『うーん、いけませんねえ、、、いけませんよ!
マルカーノに打たれ過ぎ、四球多すぎです
ええ、、、』
頭を悩ます長嶋監督
『やはり星を登板させるべきなんですかねえ・・・
でもいわゆるひとつのノーコンなんですよねえ、、、』
まあ阪急打線に打たれたのもアレだったけど
とにかく今と同様だいたい四球が絡む失点・・・
3投手で7四球、しかもそれでランナー貯めて
打たれるという悪循環がずっと続いた
「去年ドベで終わった野球をですね
ここに来てまたやってちゃ話になりませんよ、ええ
何のためのV1なんですか」
「まあ3ついきなりろすとしたらもう日本一は
なっしんぐでしょうえ・・・・
せめて1勝!
1勝はしないと全員給料だうんですよ
いわゆるひとつの」
「監督っ、明日は俺を投げさせてくださいっ」
「・・・・・・・・」ピクッ
そのまま長嶋監督帰ってしまう
ちなみにこの時この試合見に行っててたまたま
バスに乗り込む長嶋監督目撃したけど
ほとんど大魔神
みたいだったの覚えてる
『うーん、これだけ四球で点取られてる中をですね
更にのーこんの星を投げさせて
勝てるんですかねえ・・・・ええ』
巨人の先発は堀内だった(笑)
この時すでに球速で140出るか出ないか
くらいに劣化、しかも肝心なところで
制球難に苦しむ癖が、、、
西ノ宮のブルペンでは、小林と飛雄馬が
投球練習していたが・・・・
ブルペンから荒れ球の飛雄馬
『この試合負けたら俺の出番なしで
終わっちゃうぞ。。。。』
しかしこの試合の堀内、実は結構好投してて
5回まで2点は失ってたものの、福本の一発と
加藤秀司のスリーベースの2安打に抑えていた
6回裏、先頭バッターは初回ホームランの
福本豊
実際は2番の大熊からだったが(苦笑)
ボールが2つ続いたところで長嶋監督
「ホリはもうダメですね・・・ええ」
えっ、、、、
球数的にはだいたい70球くらい
しかも先頭打者に2球投げて・・・
いや、普通あり得ないでしょ、、、
言われて困る杉下ピッチングコーチ
「か・・・代えるって、ブルペンで投げてるの
調子悪い小林とノーコンの星だけですよ・・・・」