プロ野球女性投手第1号の水原勇気は、ついに魔球
ドリームボールを完成した
一方ドリームボールの発案者武藤兵吉も、プロ入り10年目に
して一軍入り、初打席を初ホームランで飾った
そして武藤と水原の初対決
ジャストミートと思われた武藤のバットは、水原の
謎のボールに空を切る
試合終了と同時に取材陣は古葉監督のもとに
「監督ぅ、武藤選手にインタビューさせてください
最後の球、噂のドリームボールですよね」
悪いが、それは勘弁してやってください
今の武藤は相当のショックを受けています
とてもインタビューには答えられないですよ
大事な決め球の秘密バラすやつがどこにおるんじゃ!?
そんなもんお前らの目ぇで判断したらええやろ
帰れヴォケ
ドリームかクリームか知らんが、私は武藤が
空振りしたからストライクの判定下したまでだよ
「いや、しかしあなたはドリームボールの球筋を
見たはずだ!」
食い下がる山井
「ドリームボールはホップして沈む・・・それは
どういう落ち方をするんです!?」
その頃カープの選手が乗ったバスもマスコミに
取り囲まれていた
「古葉監督!ドリームボールについて一言!!」
「うるさいマスコミだな・・・おい、バスを出してくれ」
え・・・えっ、でも武藤がまだ・・・( ̄□ ̄;)
武藤はあの調子じゃあもう使い物にならん
明日から登録抹消だな( ̄ー ̄;
『ふっ、ドリームボールか・・・そんなもんあるかいな』
ちなみにこれ江夏さんです
わしのバットは確かに水原のボールをとらえていたんだ
にもかかわらずバットはかすりもしなかった
なぜだ!?
フォークのようにも見えたが、あれはただのフォークじゃない
しかしどんな落ち方をしたか、全くわからんかった
ほう、水原って子ドリームボール投げたんですか
「そうなんですよ、世界の王さん」
うーん、そうですねぇ~
ところでドリームボールってのはいわゆるひとつの
どういう変化球なんですか?
私ミスタープロ野球のナガシマです、はい~( ̄▽ ̄)
いゃぁ、それが中継のカメラも入ってなくて我々もどんな
変化したのかよくわからんのですよ、、、
うふふふ・・・こりゃペナントレースが面白くなって
きましたよ
その夜のプロ野球ニュースもドリームボールの話題で
はじまった
さすがに佐々木信也さんの声は本人ではなかったがw
「え~、残念ながら試合の様子は中継がなかったので
ドリームボールの映像はありませんが、相手は
昨日のヒーローの武藤選手だったようです」
水原は見事武藤選手を三振に打ち取りました
ノブ子はこれに少しショックを受けた
翌日登録を抹消された武藤は一足早く広島に帰らされた
水原はわざわざ見送りに
ついにドリームボールを完成したんだな
お前ならかならずやれると思っていたぜ
だがな、俺に言わせりゃあの球はまだまだ甘いぜ
次に対決した時は必ず打つからな!
自惚れるなよ、水原ぁ
今程度のドリームボールじゃあ一流のバッターなら
必ず打たれる
『しかしああでも言わなけりゃ、俺が惨めだった、、、』
プロ入り10年目にしてやっと這い上がった一軍
それがたった2打席でまた二軍に逆戻り・・・
だが、プロ野球界ではリアルにある事なのだ
第7話泣くな勇気さまよう魔球!7-3につづく
さて、武藤さん水原から喰らった、たった1度の三振で
二軍に落とされちゃいましたけどね(苦笑)
前記した通り、現実のプロ野球でもよくある事なんですよ
中には、一軍登録されても一度も出番なしで1週間で
二軍落ち、そのまんま現役生活終えた辻内のような
ケースもままあります( ´(ェ)`)
まあプロ野球界は厳しい世界です、、、
ただ辻内は現在サラリーマンやりながら女子プロ野球の
コーチにも就任してまだ良い方かもしれない
引退後にもっと悲惨な目に遭った選手も大勢います
ケース1 チョ・ソンミン(趙成珉)
韓国アマチュアでエースとして活躍したソンミンは、1996年
巨人に8年契約で入団
150キロ超の速球とスライダーが武器の投手でした
入団した翌年の1997年後半から抑えとして頭角を現し
当時ストッパー不在に悩んでいた巨人の救世主となります
翌1998年からは先発ローテに入り前半戦だけで6完投3完封で
7勝をあげ、当時の巨人のエース格にまで成長
しかしその年のオールスター出場がソンミンを地獄に
叩き落とします
肘の不調を訴えたソンミンを、首が斜め70度くらいに
傾いてる事で有名な某老害監督(この時はコーチ)が
そのまま続投を命じ
肘が悪化、(自分のチームの守護神大魔神佐々木は温存)
ソンミンはそのまま長期欠場の末巨人を退団してしまいます、、、
巨人時代の2000年に、韓国の有名女優と結婚
帰国後韓国プロ野球界での復帰を望むものの、どこからも声が
かからず仕方ないので韓国でシュークリームチェーン店経営に
乗り出すが、そもそも商売なんてした事がない元プロ野球選手が
そう簡単に事業で成功するはずもなくすぐに撤退
2004年には、妻へのDVで逮捕され執行猶予付で釈放されるも
妻とは離婚
ちなみにこの元嫁は4年後に自殺してしまいます
その後2005年にやっと韓国プロ野球で復帰するものの、パッとした
活躍もなく3年で自由契約に(´_`。)
引退後は、解説者やインストラクター、韓国プロ野球のコーチ
などをするが、2013年1月6日に愛人宅で首を吊って
自殺してしまう
まだ39歳という若さだった(´・ω・`)
チョ・ソンミンは、当時かなり期待してた選手で
あのオールスターでの一件がなければ、本当に巨人のエースに
なってたかもしれなかっただけに残念だったねえ、、、
一説では、オールスターはソンミンの方から続投の意思を見せたとも
言われているが、日本球界に入って2年そこそこの外人選手だ
痛いからといって「誰か代わってくれ」とは言えるはずがない
周りは日本球界でも一流の先輩ばっかりだからね
あの事件以降Gon藤が大嫌いになったわ(`×´)
ケース2につづく