自分に都合のいい話以外は怒られていると感じる、この考え方は何なのでしょうか?
自分の間違いを指摘される、自分がより良くなるようなアドバイスをされる、してはいけない事を注意される、自分の考え以外の意見が出る、これらを怒られていると表現するのはどういった考え方からなのでしょうか?
間違っている事は指摘されてもおかしくないですし、注意されてもおかしくありません。
今より良くなるようなアドバイスは有益な情報であってマイナスになることはありません。
自分の考え以外の意見がある事は人の数と同じだけ有り得る事のはずです。
当たり前の事でありかつ自分にマイナスになることは無く自分にプラスに働く事しかない事柄を自分に都合のいい自分の耳に心地いい話でなければ怒られていると考えるその感覚は全く理解出来ません。
しかし復縁したい人の中には自分の聞きたい話し以外はそれがどんなに復縁に必要なアドバイスであっても復縁する為に絶対に改善しなければならない事への指摘でも怒られていると表現する人がいます。
自分に都合のいい話以外は聞きたくない、聞き入れたくない、それ以外は認める気が無い、その自分に都合のいい考え方を持ったまま復縁したいなんて無理だとは思わないのでしょうか?
怒られるのは誰でもいやでしょう。
しかし指摘やアドバイス、意見まで怒られていると表現してまで自分を守りたいものでしょうか?
その守りたい自分は間違いを認めないただの意固地な自分ではないでしょうか?
間違っている頑固で意固地な自己中心的な自分をかたくなに守る事にどんな意味があるのでしょうか?
むしろその性格でいる間は復縁出来る事はないのではないでしょうか?
こちらの記事に興味のある方はこちらの記事もオススメです
実際にやらなければならないという事をもっと強く認識する必要がある
クリックにご協力いただけますと励みになります