あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。





しばらくごぶさたしていました。

実はこの数年間のブログで、一ヶ月以上開けるのは
めずらしいのだけど、

適度に忙しいのと、そのわりに年のせい?か、
極度に疲れやすかったから。



まぁでも数え上げてみると、普通の人に3年ないようなことが
一月で6回もあったら忙しかったりまいったりはするわな。



ま、そんなことも含めてなんだが今日のお題は 


「かろやか さわやか にぎやか あざやか」。


~やか でおわる言葉で不幸せになるものはいない!



皆が幸せの三方よし!


今年は「~やか」にいってみよー!







大阪では、おばちゃんの必須アイテムとして、

コミュニケーションツールにもなっているアメちゃんキャンディー


何かある毎にバッグからとりだされ、

何の気なしであげるもらうのやりとりになり、

あたかも平和と日常の象徴のようでもある。







とき と ところかわり、1991年1月、ユーフラテス河畔。

「世界最強の特殊部隊」の異名を持つ

英国陸軍SASの兵士8人が、極秘に

スカッド・ミサイル発射機を破壊する

という任務をおびてイラクに潜入していた。



当初は順調だった隠密行動だが、やがて

遭遇戦や連絡不達に本隊側のヒューマンエラー等が重なり、

二人きりで国境までの脱出行となってしまった。



いま、アンディとマークの二人は、

ユーフラテス川の岸にいて、

状況を把握しようとしていた。



涸れ谷の向こうから追跡してくる物音が聞こえてくる。

互いに大きな声をかけながら、

懐中電灯で照らしながら近づいてくる。



どうするか.

川を渡るか、危険を冒して敵陣を突破するか。



川は大きく、渡れるほどの体力は残っていない。



「クソくらえ、どうせ窮地なんだ、
 奴らの中をつっきってやろう」



藪から敵の様子をうかがいつつ、

マークはポケットからキャンディを出して口に放り込んだ。


「これが最後のひとつだ。今食べておいたほうがいい。

 …これが最後になるかもしれない。」




アンディにはひとつも残っていなかった。

物欲しそうにマークのほうをみた。



「 … もう、ないのか? 」



マークは、満足げににやつきながら、

「ああ、ひとつもない」




アンディは、仔犬のようにマークの顔をみた。







…マークはキャンディを口から出すと、

かじって二つに割り、ぬれた半分をアンディに渡した。






(アンディの手記ではこの後、マークが撃たれて倒れるの
 を見たあと、はぐれてしまう。)














2012年。東京。俺。

薄汚れた空気のなかで、一線をこえる直前まで追い詰まった

状況のとき、個袋をやぶった飴玉をみつめながら、

何度か上の情景を思い出した。



即死するかしないか程度の違いで、生死のかかった

闘いを24時間くりひろげてるのは俺らも同じだ。
備忘録をもうひとつ。


企業に就職して一定期間体験就業させる番組がある。
そこで本業はお笑い芸人だが、中華料理チェーンに
1週間体験就業したほぼ一流芸人がいた。

そこのレベルが高いこともあり、プロレベルの鍋さばき
にはどうしてもとどかない。
様子を見に来た常務も

「残りの時間で鍋をふれるようになるのは
 難しいかもしれませんね」

と、静かに、しかしはっきりと宣告した。

その芸人に今回担当として教えてくれている人物、
日々、人を育てる難しさと格闘している人物が、
真夜中過ぎまで練習している芸人に語りかけた。


「ニラレバが作れるようになったって、
 あなたの将来に役立つか、俺にはわからない。

 だけど目の前にあることを、徹底して、意味もわからず
 一生懸命やる。
 それを、俺は意味もわからず大切なことだと
 思っているから。

 10年後、20年後になるかもしれないけど、
 あの時、ニラレバ作ってできるようになったことが、

 もしかしたら役に立っているのかなと思える時が
 来るのを信じて、

 俺も一生懸命心を込めて教えるから。もう1回やろう」
  

 ここで、芸人は、お笑いにこれほど命を懸けていたか、
 どこかで甘え、サボっていなかったかと自分に問い直す。


 ここからは割愛するが、
 結局彼は鍋振りを開眼した。努力の結果。

 別れの日、担当として教えてくれた人物はこういった。

「あしたからあなたは本業に戻られるんですけど、

 ずっと仲間だと思っていますんで。

 あなたもそう思っていただけたら光栄です。

 いろいろしんどいことはありますけれども、
 お互いがんばっていきましょう」


 芸人は応えた。

「もしダメになりそうになっても、

 今日も自分の身内が、

 仲間ががんばっていると思ったら、

 よし俺もがんばろうというふうに思える。

 それがかけがえのない財産になりました」


==
 おれの周りも、今日もがんばっている。

月に最低一度は何かをアップしようとつとめつつ、
かならずしも守れていない現実…

そこで今回は、完全受け売りの一文を備忘録程度に
おさえておいて、
この夏も書いてます、の証にしようとおもう。

(セコッ! の声? 
 関係ないが、次男にいわせれば、

 夏休みの一日を割いて新宿 六本木 神谷町 愛宕山 と
 散歩&グルメ?な一日をおえての総括にいわく、

 「六本木… どうだった?」 ⇒ 「 …くさい!…」

 子供は正直だ)

さて本文。


強力な組織にとって、コミュニケーション効率を阻害するものは
すべて悪である。

あいまいな思考、
意味不明な隠語、
凝り固まったヒエラルキー、
「イエスマン」的態度 …

すべてが顧客、クライアントにとっての付加価値の邪魔になる。

組織とそこに働く人びとの持てる能力を最大限に発揮させるのは、

構造的な思考、
明瞭な言語、
異論を許容する実力主義、
職業的な客観主義である。

これを意味する、総称する特別な用語として、それはある。

すなわち、

「プロフェッショナリズム」。



…みんな みんな生きているんだ

友達  な  ん  だ


という歌があったけど


(なかったか?)





慇懃無礼もセクハラも


みんなみんな相手が決めてるんだ


そこを慮れるかどうかなんだ。







だけどね。

ツカマロー的名前の奴だっけ?



ありゃおかしい。

自分の状態・行動をわかってない。

その向け先をわかってない。むけるべきところもわかっていない。

まわりもその対処をわかってない。

因習だろうが履歴保存回避の風習だろうが、

それでもとるべき行動というものをわかっていない。



所詮中二病は中二病。

似たような体験を自慢げにインタビューで公開して、

時にうわさにのぼる「お山だけ以後」

のように、永久に幸せにはなれないよ。

幸せになる価値の「ありそうな」レベルの人間に

いつかなった瞬間、自分の事が見えてしまうはず。

見たくなければ、もとの鬼畜界にもどるだけ。


別に神とか天罰とかがあろうがなかろうが、

それをどうすることも、「本人」には

できないはず。





そうやって生きていくがいい。

そんな人生には微塵の価値もないし、

愛することも愛されることについても、

真実を知ることは





ありえない。


亡くなった人が、生物学的には蘇生しないのと同様に。

友人が紹介したツイートより…


“某結婚コンサルさんの講演会に参加したけど、
 帰りはみんな目が死んでたわ。
 その時の話の内容がだいたいこういう感じ↓↓

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
女子力とか仰ってる女性の、何が大きな間違いかと申しますと・・・
女子力を磨くのは「女子」のうちにやっとかないと無駄ってことに尽きるんです。
幼少期から学生の間に、お稽古事や勉強をしっかりやっていれば 「女子力」がつきます。
だけどいい歳になって「女子力磨き」なんてやっても、 それは「オバサンの厚化粧」と同じ意味なんですよね。
そんな無駄な努力をするよりも「良い歳のとり方」に力を注いだ方が、 よほど美しく生きられるんです。
アラサーにもなってネイルだエステだのと必死になっても、それは 内面の醜さを増すだけで、外見も、これは自己満足を楽しむ分には 宜しいのですが 男性諸氏には醜悪としか映りません。
昔着てた服を自分で上品にリフォームしてみるとか、派手な化粧をやめて、 自分の年齢を受け入れた自然なメイクを心掛けるとかした方が、 男性婚活者が結婚相手として認めてくれる可能性は格段に高くなるんです。
わかりますよ、みなさん私が古い考えなんじゃないかと思ってますよね?
しかしこれは婚活の現場で私が日々見ている最新の傾向なんです。
テレビや雑誌では、ほぼ真逆のことが言われてますけれども 、それは、 言っちゃ悪いですけど、商売のための宣伝広告であって、 婚活女性のためを考えたアドバイスじゃないんですよ。
「最新」とか「正しい」とかいう情報は現実の男性にあるのであって、 テレビや雑誌には無いんです。
そういった事をよく考えて、 みなさんの婚活に対する姿勢を考え直してみてください。


これは男にも言えることかもねぇ”



…社会や苦境と自分の折り合いをつけるため、調整、馴化、恭順、
という手法ばかりとっていても、それこそ厚化粧かもしれない。



踏んだ足に体重をかけるのか、 体重をかけて足を踏むのか。


見た目にたいした違いはないが、「活きる」姿勢としては

全く違うものだろう。
数少ない有名人の知り合いに、

某国営放送の女子アナウンサーがいる。


この間、1年ぶりにばったり街で遭遇した。



少し遠い距離からお互い気づいたが、

相手は満面の素敵な笑顔!

ラブラブ!さすが人気のある人だけのことはある。



思わず歩み寄り挨拶したが、

○○ちゃんは、相好を崩さぬまま、

ニコニコ手を振りながら、



会って最初のせりふが

「 じゃ~ また~ 」だった。



かおウム、さすが人気のある人だけのことはある。










日々の家事としつけと仕事におわれ、

冷え切った夫婦の生活の中でいわれてみたい

せりふ。




今日の午後位に、携帯がなり、そこにはメールで。




「 あなたと 金環食がみれて よかった。 」
$静心即専 静思即通 静居即安 静黙即熟






ったら いいなぁ~

俺的には !
「成功する」 事については、
巷間あまたの本が上梓されている。
しかし わかる と できるは 違う。
もともと傑出しているものどうしがしのぎを削る場で、
簡単な勝利ははない。


なにが最終的な勝利での分水嶺か。
能力や才能に加え、それを活かす戦略と
勝利への執念、そして不確定要素の追い風。


結局、勝利への確度は向上しても、絶対はない。

⇒ 確実なのは、勝負を挑んでも、ほとんどの人は
負けるということ。


負ける。絶望する。それこそが確かなこと。

負ける。絶望する。そこからが確かなこと。



誰かにいわれてきづくことではない。
いつかそのときがきたら自分でたどりつくもの。


調べても答えなどない。
例えば 虎の子の土地を
レストランにするのかコンビニにするのか
調べても調べても正解等有りはしない。


考えて考えてレストランに決めたら、
その店を地域一にする方法をまた考えるだけ。


調べて成功しようというのは、自分以外の誰かが
この世界をつくって完結したと思いこんでいる。

なので、そこにあるものを集めて知れば、世界
がわかる感覚に陥りがち。

負けながらも、しょぼいながらも、世界のピースのひとかけら
として、世界市民や、有権者としてでなく、

世界のつくりてとして行動しよう。

主体的であろう。
分析は構造的でなくてはならないが、

結論を構造的に出すのは現実的ではない。


もやしのようにたよりないリーダーは、

全体の合意などめざすべくもなく、

まためざす必要もない。