晩冬に高尾山を瞑想しながら登りました | 濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

晩冬に高尾山を瞑想しながら登りました、の話。

 

今日は朝早くからゆっくり歩く瞑想しながら登りました。

 

頂上につきました。

 

下山しはじめました。

 

途中の水辺で座りました。

 

水の音を聴きます。目を閉じます。水の音チョボ。チョボ、ゴポ、ゴポって音を聴きつづけてます。心が無になっていきます。。。無になりすぎて変なスイッチが入った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

高尾山にはいくつかの登山コースがあって、そのうちの1つ、6号路は小川に沿っていて、登山道と小川が合流するような場所がいくつかかある。そこで登山道から少し外れて小川の近くまで行き、座り、流れる水の音を聴く、これが好き過ぎて、山道に戻らず小川を下り始める。たくさんの水流の音が聴くために。

 

完全防水のミドルカットの登山靴で小川の浅井箇所はそのままズカズカと入ってく。

少し深くなると、

川の水面から顔を出している石の上をピョンピョンって飛んだり、

ツルとか木の枝に掴まりながら、水の深い場所に足を落とさないように、

調子よく下りていく。

 

「冷たっ」

 

集中力が切れた。足が滑って川の深みに左足をふくらはぎまでズボって突っ込んでしまった。1時間くらい川を下って遊んでた。足冷たくて、もう今日は帰るかな、って小川下りを中止し、普通のみんなが通っている山道に戻った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

小川を下り、道になってない道を進むのは楽しかった。

 

ここ、進んで安全な道に戻ってくれるの?

 

この先を進み続けて何になるんだろう?

 

山でない場所、町で似たようなことを考えている。物理的な道じゃないんだけど、人生にはいくつもの選択肢が用意されている。~~を始める道、とか~~を続ける道とか、~~をやめる道とか。

 

「この道を進んで戻ってこれる?」

 

「進み続けて何になる?」

 

そういうの考えて進んだり、進まなかったり、また進んだり。悩ましい選択肢をその都度、考えながら。自分はそんな風に生きてる。たぶん、みんなもそんな風に生きてる。

 

先日、通っている格闘技ジムの退会の申し込みをした。今のジム、楽しいし、通いやすいけど、一旦やめて別のジムでやってみよう。この流れ、合ってるよな? そのまま進んでいいよな?

 

他の人から見ればジムを移るなんてどうでもよい。

そんな取るに足らないことも、当の本人の中では大事な問題。どうでも良いわけでないから、分かれ道の迷路ができて、それで進んで。

 

みな、それぞれの何かの迷路の中にいる。無数の選択を続け、道なきオリジナルな道ができていき、そこで現状の道を進み続け、たまに迷って別の道を進んだりしてるんだろう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

小川下りをしていて「ここは下に下りても行き止まりっぽいな」って思いながら進むのを躊躇している時に、そんな思考が頭に入ってきた。

 

 

小川から上がり山道に出るとスイスイ歩ける。山道出口まですぐ着き、早歩きで舗装された道路を駅に向かって歩く。途中、折れたばかりか? 折れて横たわってる満開の梅の木があった。なんな色っぽく感じた。あっという間に通り過ぎる。作られた道は早い。あの艶やかな寝転がっている梅の木、ちょっと戻ってもう一度、見ようか? いや、靴の中が水びたしで心地よくないから、もうこのまま帰ろうか? とか小さな迷いのある自分がいた。誰にもないオリジナルな迷い道を脳内で作り出している自分がいた。

 

戻ることにした。梅の木を見て20秒くらいで飽きた。飽きたけど、梅を眺めてて、冬の終わりを感じた。

 

これから、春、夏が来るぞ、って思うと、なんかワクワクするね。