Tiny Desk Concertで赤い血を取り戻す | 濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

地震などの災害で遠隔にいる災害ビギナーができる支援は、千羽鶴とか食べ物とか一生懸命セレクトした洗濯済みの古着とかを送るんでなく、現金の寄付、という結論はまだ出ていないのかな。ふるさと納税の、返礼品なしの寄付が今風なのかな。

 

自分の住んでいる地域で日雇いバイトでもして、現地にかけつけない交通費の分だけ、そんでバイト代を全部寄付するのが最善手かな。つまりお金を落とせば復興に効率よく使われるんじゃないか。

 

冷たく人間味のない自分が見えてくる。現地の人と交流しながら、人助けしましたという満足、思い出の肯定よりも

とにかくお金を集めて、どこかの頭のいい人たちが指揮をとり軍隊のようなブレない動きで最短経路で家屋や道路を直すのが正義です、って思っちゃうんだ。

 

いや、もともと自分はこんなんじゃないよ。メディアやエンタメの影響だろうか、自分の場合は漫画なのだろうか、データや数字を重視するとダサい、人間の感情と愛とワクワクで行動するとイケてる、みたいな価値観が育まれている。

 

しかし、しかしだ。年齢を重ねてオッサンとしてバカ高い年金とか保険とか税金を払って楽しく生きるためには「ワクワクでクワガタを捕まえてお金にするぞ!」とも言ってられない。左脳を使って人を論理的に説得しながらお金を稼いで生きていく東京サバイバル。「感覚で生きるとステキだよね」って言いたいのは山々だけど、それだけじゃないから大人は大変なんだよな。時代は細いメガネかけてジャケット羽織って、テクノロジーです、AIですって感じじゃん。血も涙も隠しながら淡々と効率的な行動をとっていくことで大きな社会活動になるらしいじゃん。

 

そんな効率主義な考えでいこうとする自分をもう一人の自分が全否定しようとしてくる。オマエ、それでいいのか? 効率、効率、言いながら寿命のロウソクが少しずつ短くなっていくんだぞ。

 

最近、音楽を聴く時に、タイニーデスクコンサート(Tiny Desk Concert)っていうYoutubeをつけるようになった。アメリカのラジオ局が、そんなに大きくない部屋に多様なジャンルのミュージシャンを呼んで音楽を演奏してもらう。テレビの歌番組のライブセットとかでなくて、目の前に客がいない、魅せる雰囲気がいらないから、友達と部屋で適当に楽器合わせながら笑いながら歌う、みたいなアットホームな空間になる。高いチケット買ってくれた人を盛り上げるライブともまた違う。

 

 

楽しそうに歌ってる人もいるし、陶酔しながら音を奏でている人もいるし、自由だなあ。こんな大人、呑気だなあ。ああ、そういや、アメリカに憧れた若い時があったな。それはアップルのイノベーションだとか、パタゴニアの環境意識とか、そういう小難しいことじゃなくて、なんか楽しそうな人たち。イメージ、アメリカ人、陽気、感じイイ!

 

中学生の時に英語の授業にたまに現れてたアメリカ人の先生はギターとハーモニカもって「ヘイ、カモ~ンっ!」ってクラスでノリノリで歌ってた。

 

ニューヨークに行ったときに歩いてるおばさんに「地下鉄の駅どこですか?」って聞いたら

「こんなに天気いいんだからバスに乗りなよ、ほらバス停はこっち!」って。

 

魂の赴くままに晴々と明朗にスカッとした気持ちで他人行儀じゃなくコミュニケーションをとってくる、この感じ、いいじゃん、いいじゃん。

 

そういう生きてて楽しい感じがいいからさあ、

Spotifyとか録音環境バッチリのミュージックビデオは便利だけど最近は聴いていない。しばらくはTiny Desk Concert で音楽流しながら自分もその場にいるっていう妄想でミュージシャンたちの気楽な生演奏を味わって血液の赤みを少しずつ取り戻している今日この頃です。

 

 

 

本当は去年やってきたこと、今年やろうとしてること、そんなこと書こうと思ったけど計画まる崩れた、でも考えてること出せた。こんな感じで、雑で誤字脱字も見直さないブログ毎回読んでもらってありがとうございます。今年もよろしくお願いします、そして、あけましておめでとう!