高尾山で山岳救助隊を呼ぶとは思いもよらないわ | 濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

朝起きるのが大変だった。

前々日、柔術を長時間やって、腰を酷使しすぎて腰が痛い。

今日は練習に行くのはやめよう、空いた時間なにやろう、そうだ、高尾山へ行こう。

腰を丸めるのがきついんで登山は問題なくできそうだ。まあ、新しい瞑想方法、とぼとぼ自然の中を歩いて味わう、高尾山トレッキングメディテーション、TTM(勝手に命名)をしたっかった。

 

高尾山は東京の新宿から1時間くらい、横浜からもアクセス良い、駅到着してすぐに登山道の入り口がある首都圏住まいの憩いの山だ。

ホットヨガして、洗濯して、移動して、高尾山口駅に到着したのが午後3時。午後3時から登山するって完全に山を舐めているようだが、普段運動している成人男性なら1時間くらいで頂上に登れてしまう。

 

この時間に登る人は少なく、登山道6号はどうやら登り専用なのか、もうほとんど人はいない。川の水の音がチロチロチロ~って聞こえて心地がいいので、ちょこちょこ止まるって水辺でダラダラする。街のオシャレカフェでダラダラするなら断然こっちだね。12月なのにまだ緑もあって、紅葉の赤もあって、黄色い葉っぱもあって、自然って意外とカラフルなんだなあ、なんて思いながら、また頂上へ歩き、また水の音を聞くために止まり。結構のんびりしてたけど山を駆け上がるのが楽しいから結局4時くらいに山頂についた。

 

寒い季節は洗濯物が乾かない。気温が低い空気は水分をたくさん取り込めない。水分のないカラっとした空気から頂上を見ると遠くまでよく見えて気持ちいい。

 

で、景色、空気、自然を楽しんだので下山します。

 

6種類のコースがあるけど、静けさの自然コース③を選んでみた。

気持ちよくどんどん進む。

だんだん暗くなってくる。

携帯のフラッシュライト付ける。

「こういうの求めてたんだよ」って心の中で考えていた。

神経尖らせて、慎重に進まないと、転んで怪我しないように。安全に、安全に。

アドレナリンがドバドバ出てる。

木の根っこにつまづかないように、でもトロトロしてたら冷えるのでそこそこのスピードで山を下り降りる。

 

下の方に明かりが見えた。自分と同じようにライトで足元を照らしているようだ。

 

ん? 止まっている? 休んでる?

 

追い越そうとしたら、

おじいちゃん(80歳と後で判明)と

外国人(メキシコ人学生と後で亜判明)の、100%知らない者同士のコンビだった。

 

急な斜面をおじいちゃんが1人で下れないからメキシコ君が片手で携帯のライト照らしながら、もう片方でおじいちゃんを支えながら、なんとか進ませようとしてる、けど全然進めてない。

 

メキシコくんとオレ、2人で協力して、おじいちゃんの両肩を支えながら、3人で下山することにした。

 

腰を休ませる休養日の予定だったんだけど脚本ミスなのか、しっかり腰でおじいちゃんを支えてる。がんばれ、おじいちゃん、がんばれ、オレ。

 

30分くらいかけて少しずつ少しずつ進んだ。あと20分くらいで下り終えるかな、くらいに思ってたら、下山中の登山好き男性がウチら3人に追いつき、「まだかなりありますよ」って貴重な情報を教えてくれた。

 

2時間くらいかかりそうだったので山岳救助隊を呼んだ。

タタタタタタタ、

救助隊員たちはこの暗闇の山でめっちゃ早く走って登ってきて、おじいちゃんに軽く説教してた。「ダメでしょ、全然一人で進めないじゃん」

テレビ局も来ておじいちゃんと救助隊のやりとりを写してた。ついでにウチらもインタビューされた。テレビに出ると思います、って言われた、でもテレビ見ないんだよなあ。

 

 

明るい山は綺麗だけど、日没から次の朝まで、1日のうちの半分は静かで寒くて暗い山。

山道の夜は高尾山という甘っちょろい響きではなく、キリっとした空気が張り詰める。いや、山は知れば知るほど深くて、怖い部分があるんだろうね。

 

なんでもそうかもしれない。怖い部分が隠れてて、それは目立ってないだけで、知ろうとしなければ表面上のとっつきやすい部分だけ、紅葉、頂上、蕎麦、ビアガーデン、温泉、お土産、高尾山の表面しか見えていない。

 

人の心の中はどうだろう?

山の夜みたいに漆黒の何かが隠れていて、それを見ていないだけなのかな。それともひたすら昼間の高尾山みたいな心の人もいるんだろうか。自分はどうなんだろうか。自分の中の闇を探してみたい。

 

おじいちゃんを山岳救助隊に任せ、登山好き男性は特急な自転車みたいなスピードで下山していき、オレとメキシコ君はやや早足程度のスピードで一緒に下山した。

 

メキシコ君と下山中のしょうもない発言してみた。「やっぱり急な斜面、けっこうあるね。これ、ウチらが通らなかったらあのおじいちゃん、下るのに1年くらいかかるかもしれないね。誕生日を山の動物たちに祝ってもらうのかな、幸せだよね」と明るめにブラックジョークに言ってみたらマジウケしてくれた。やった、日本の冗談が国境を超えた!

 

メキシコ君も応戦する「こっちの道を行けば、また登りになるるから、また誰か遭難者を見つけてサポートするってのはどう?」

おもろいじゃん。

 

人を笑わせる時に、ちょっと皮肉なジョークを好んで言う人、自分とか、メキシコ君とか、闇の発想をする人なんだろう。それはただのジョークとしての頭の体操なのか、それとも闇があるからダークなジョークを作るのか。

 

オレもメキシコ君も、心の奥にダークサイドがありながらおじいちゃんを助けようと奮闘したのだろうか。

 

結局はアクションしたことが正解で、心の奥に闇があえろうが偽善だろうが、アウトプットしたものだけが現実、と結論は簡単につく。

 

んでも、もうちょっと深堀りしてみたくなる。

人間の精神として自分にもダークサイドがあるのかどうか、どんな聖人みたいな人でも、誰にでも闇があるのか、なんか気になってきた。オーガニックカレーをキッチンカーで売ってる人とか、超良いバイブスなんだよね。彼らですら漆黒の闇が奥の奥にあるのかな。心って深そうで面白いね。そして高尾山も深い。山と心、重なる。