服を少なくしても生活がより良くならない人 | 濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

冬服をしまうシーズンになってる(とっくに終わってる?)し、服の少ないミニマリストに関して。

 

物が少ない生活をしていると褒められることがある。嬉しいんだけど、正直言うと。ホントはすごくない、むしろ能力が足りてないから物が少ない。

 

ミニマリストというあまり物を持たない、服はいつも同じ服の人たちがいて僕がそれだ。衣類を制服化して、重要な選択のために1日の選択回数を少なくしているんだ! とか言う仕事バリバリ系のミニマリストもいる。僕も重要な選択のために・・・って言われると、そんなことのためにやってるわけではない。そもそも1日の選択肢なんて将棋ゲームやって、この戦法でいっくか、いや、あの戦法かな、みたいな程度。。世界のWebサービスの重要な決断がかかっているわけでない。でも衣類は少ない方がいい。明らかに生活が簡単になった。

 

私服を制服化して毎日同じものを着ていても生活の難易度が変わらない人はおそらくたくさんいる。そうでない人はミニマルライフが効果的で、その人達は頭がとっ散らかりやすい人、ADHDっぽい人になんだろうか。

 

毎日TPOと気温に合わせて服を選ぼうとすると、「これにしよう。いや、やっぱこっちにしよう」って色々、時に楽しく、時に苦しく迷う人にとっては制服化は効果的だ。逆に効果的でない人、色んな服持ってるのに思考がパキパキっとして、普通に、「今日はカッチリ目の仕事、その後はゆるい飲み会だからコレとコレ着てこう」に迷いなく決めてしまう人の方が多いんでないのか。

 

一時の変なブームはなくなったけど、最小限の物で生活した方が人間として優れているから、みんなソッチの方に向かったほうがいいよ、ほら、それ捨てよう、あれ捨てよう。みたいなノリはまだまだある。マジでいらない物に囲まれて掃除大変、みたいな人に言うのはいいんだけど、安易にミニマリズムを広めようとするとメチャクチャにウザくなってしまう。そんでミニマルの効果を感じない、脳みそスッキリな多くの人からすると、ミニマリスト達が宗教っぽく見えてくる。

 

大抵の日本人から見た「宗教っぽいよね」のフレーズは、実際はそれほどプラスの効果がないのに「すごいんだよ」って強く主張して、周りに勧めて広めようとする活動にある。

 

衣類や物を減らしてミニマリストになり生活が良くなった頭ゴチャゴチャさんは頭スッキリさんになれて生活がラクになって、幸せになって、そしてそれは誰にでも起こりうると思い込む。ミニマルにする前から先天的な頭スッキリさんにミニマルライフをアツく推す。

 

1日に何回か聖地の方向向いてお祈りするといいよ、って言われても、あなたにとっての幸せですよね。僕にとってメリットあるの? それ本当に幸せになれるの?

 

何をすれば幸せになるのかは、遺伝と環境でつくられたその人の能力と状況によって全然違うので万人hが幸せになる方法はない。

 

こんなの書いてる僕もミニマルな生活は人を最高に幸せにすると思っていたことがあったけど、人それぞれだ。物であふれる生活だったり、瞑想、旅、酒、恋愛、自分の子供、スポーツ、映画、だらだらしてるだけ、人によって幸せに導くものは違う。だから全員に強くお勧めできるものはないよ。それぞれの個性、それぞれの人生に合致する、幸せの方法を見つけて、自分の人生を自分で幸せにしてあげる、それが生きるってことなんだろう。自分を幸せにするものは同じ人間の中でも年齢やライフステージによって違うから、今の自分を幸せにするのは何か、ちょこちょこ更新するのがよき。

 

5月になっても東京の夜は肌寒い。黒のアウターを着ている。10月から5月半ばの今もなお、ずっと同じの着てる。春だからあのアウターにしようとか何も考えない。どの服にするかとか、衣替えとかめんどくさい人とかにはお勧めだ。周りは自分の服を見ていないから大丈夫だ。なんだかんだいってミニマリズムを人にお勧めしたくなってしまうんだよね。

 

人によって幸せは違うんだから勧め過ぎるな、という理性的な自分がいて、

でも、自分が良いと思うものをお勧めする少し感情的な自分がいて、どっちも自分だ。どっちも自分なんだけど、理性に支配されてる自分と、感情に支配されている自分って、同じ身体使ってるはずなのに全然別人みたいで面白いね、やばい、話が別方向にズレて展開していきそうなので終わります。こういう人はミニマルライフが良いと思う、以上。