ラッキーになる方法〜運を使い果たす論へ反発してやろうじゃないか〜 | 濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

 

 

最近買い物したら福引券もらったんで参加賞でももらおうかととりあえず福引コロコロ回したらカランカラン鈴みたいな鐘みたいなの鳴らされて、おめでとうございます、A賞当たりました〜と言われ、でも食後の眠気がちょっとあったのでリアクション薄めで「お、おお・・・」と。やらないゴルフのドライバーや、増量目指してるのにのに痩せるのに減量用ウォームジャケットとか本格登山しないのにスティックとか、どれでも1つ持ってけと言われて、どれもいらないから現金くれと言いたいとこだけどデサントの凡庸性高いアウターをピックしてメルカリでこれなら売りやすそうだし配送しやすそうという流れになった。

 

福引で当たったことはラッキーだけど、その中で欲しいものがなかったらラッキーとは言えない。
でもこれを売りもの、金の鳴る木もらったと思えばラッキーだ。

 

起こった事象は1つでも考え方でラッキーにもアンラッキーにもなる。

それなら「運を使い果たす」、つまり人は運が良かったり悪かったりバランスよくラッキーがそれぞれの人に訪れるような考え方は間違ってるんでないか?

考え方ってクセだから、起こることをポジティブにラッキーと捉える人はそのクセのおかげでラッキーがたくさん起こり、
反対に何でも悪い方に考えてしまう人には悪いアンラッキーなことがたくさん起こっているように、その人の心の中で感じる。

こうして
「運を使い果たす」論は波状し、
神様に何かをお願いする意味すらなくなる。

ということでいいこと教えてあげるわ。

ラッキーが自分にたくさん起こって欲しいなら
起こる出来事を良く捉えよう、ラッキーだと思おう。
じゃあどうやってそうポジティブに捉えられるようになるのかっていうと
・胸を張って
・上を見上げて
・肩を開いて
・睡眠をたっぷりとって元気にしておき
・嫌な人間関係を無くし生活の外にして

ってやっておくと、起こることが肯定的に捉えられようになっていく。

ラッキーは祈って引き寄せる、とかそういうのよりわかりやすくない?