URUオンラインスクールは主に起業や経営について学ぶものですが、竹花さんが日本経済について語った動画を見て、なぜ日本は今の経済状態になったかに興味を持ちました。またそれを知るためには日本経済に影響を与えた国際政治の歴史も勉強すべきと思い、学んだ知識を使ってブログを書きました。このブログの参考になった動画は一部公開ですが、YouTubeで以下のリンクから見られます。全て見たくなった方はぜひURUオンラインスクールに入学してください。
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ドル防衛
1970年代はベトナム戦争の戦費調達とジョンソン大統領の「偉大な社会」での財政支出による通貨供給量の増大しており、また当時強力であった労働組合の賃上げ要求が激しく人件費が高騰します。これで企業は設備投資も技術革新もままならず、製品の生産も非効率で生産費用は高くなり、アメリカ製品の価格も高騰しひどいインフレが続きました。また70年代初めから、日本や西ヨーロッパの安い製品が売れるようになり、アメリカは国際競争力が低下し輸出不振に陥ります。せっかく石油・ドル本位制でドルを世界の基軸通貨にしてドル高を維持しようとしても、アメリカ本国の経済がひどく悪いと意味がありません。
カーター大統領の時代はアメリカの経済低迷でドルの信用がいよいよ薄れ、急激にドルが大量に売られました。1976年は年平均1ドル=296円だったのが、1978年10月には1ドル=175円と大変なドル安になります。ドル安であれば、アメリカの輸出不振が回復しそうで歓迎されそうなものです。ところがカーター大統領はドル安が続けばドルが価値を失って基軸通貨の地位を失い、アメリカの世界各国への影響力がガタ落ちになるデメリットの方が大きく、ドル高に戻す必要があると考え、78年11月にドル防衛政策を発表。
アメリカ財務省とFRBに、複数の国の通貨当局が合意のうえ、それぞれの為替市場で足並みをそろえて為替介入を行う協調介入を行わせます。この協調介入に参加したのは自国の通貨安で有利になる日本・西ドイツ・スイスでした。ドルの需要を大きくして通貨供給量を減らすため、FRBには預金準備率と金利も引き上げさせました。とくに金利は8.5%から9.5%と1%上げましたが、1%上げるというのは常識的に考えられないことでした。この後で第2次オイルショックも起こり、経済低迷にさらに追い打ちをかけます。そしてFRBのボルカー議長がさらなる金融引き締めの荒療治で本格的なインフレ制圧に乗り出すのです。
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双子の赤字とジャパンバッシング
1970年代から80年代はとくに質が良く安い、日本の電化製品・機械・半導体・自動車がアメリカでたくさん輸入されていました。とくに日本の小型車は燃費が良く高性能で第2次オイルショックが発生すると、アメリカで大人気になりました。日本車の人気は長続きしないと油断していた「ビッグスリー」と呼ばれるゼネラルモーターズ・フォード・クライスターは何の対抗策も準備していなかったため、アメリカ国内のシェアの多くを日本車に奪われます。1980年になるとアメリカの自動車産業の労働者の約40%が業績悪化を理由に一時的に休業させる一時帰休を余儀なくされました。
ビッグスリーの中でも規模が一番小さいクライスラーは、1970年代後半から日本車などとの競争激化したにもかかわらず、利益の大きい大型車に固執し社内ブランドの乱立させる無理な生産拡大が品質低下を招きました。アメリカの排ガス規制の対応も負担となり、深刻な経営危機に陥ります。大規模な破綻を回避するため、アメリカ政府が80年1月、クライスラーに対して15億ドルの融資を行うはめになりました。これに対して日本の自動車生産は1000万台を突破します。
労働者たちの不満は高まりデトロイトなど自動車産業が盛んだった都市では、労働者が日本車をハンマーでたたき潰す「ジャパン・バッシング」のパフォーマンスも行われました。1980年にはフォードと全米自動車労組(UAW:United auto workers 正式名称 International union, united automobile, aerospace and agricultural implement workers of america)などが通商法201条に基づき、激増する日本車の輸入制限を求めて国外からの輸入品に対して、不公正な行為からアメリカ国内産業を保護するための連邦機関であるアメリカ国際貿易委員会(ITC:United states international trade commission)への提訴に踏み切ります。これに合わせて議会の一部では、輸入規制法案が提出されました。レーガン大統領は自由貿易を掲げており、過度な規制には反対。一方では世論の反発から日本に対し輸出自主規制を行なうよう求めます。1981年日本政府は自動車の対米輸出の自主輸出規制を表明。以後、81~83年度は168万台、84年度は185万台と制限されました。ちなみにアメリカの自動車産業はあまり回復しなかったため現在も235万台の自主規制が行われています。
レーガン大統領の経済再生計画、レーガノミクスの柱の一つであった政府支出の大幅削減ですが、軍事費が大幅に増額されてため、福祉予算を削っても到底間に合わず、財政赤字はかえって増大してしまいました。またもうひとつの柱である金融安定化ですが、レーガン大統領の就任した1981年のアメリカのCPI上昇率は81年は10.3%もあり、依然としてひどいインフレが続いていました。
あとレーガン大統領は就任間もない81年3月に銃撃され、肺に弾丸が命中しますが、幸い致命傷に至らず、しかも70歳という高齢でありながら驚異的な回復を見せ早期に職務復帰します。
レーガン大統領はレーガノミクスのもう一つの柱である金融安定化の実現のため、ボルカー議長のFRBと協力します。金融引き締めの荒療治で通貨供給量を抑え続けたのです。かつてのカーター大統領のドル防衛政策とボルガー議長の金融引き締めで高金利のためにドルでの資産運用が有利となり、国際的なドル需要が増大、1982年11月には1ドル=277円まで上昇します。ところがこのドル高で、アメリカの輸入はどんどん増えていき、輸出不振がますます悪化、長年続いていた貿易赤字がさらに増大してしまいました。
こうしてレーガン政権時代に大きく増えてしまった財政赤字と貿易赤字は「双子の赤字」と呼ばれます。貿易赤字は増大しても経済自体が強く好調であればよいのですが、経済が弱体化している状況での増大は国内の生産力が低下し経済が衰退し続けるということであり、やがて国家の破滅を招く、深刻な問題になります。金融引き締めの高金利による借入金返済の負担増や輸出不振により、アメリカでは企業倒産や失業が増大、1982年にはアメリカ経済は最悪の状態に陥ります。この危機的状況では金融引き締めを続けることは難しくなり、レーガン大統領は82年8月に方針転換してボルカー議長に約3年続いた金融引き締めをやめさせ、金利を下げて通貨供給量を増やす金利緩和が行われました。
3年間の金融引き締めの結果はこの時にようやく出て、インフレは収まりはじめました。そして軍事費の増大による雇用創出と金融緩和によりアメリカの経済は回復はじめ失業率も下がり始めます。これでレーガン大統領はアメリカ国民の大きな支持を得て、1984年の大統領選挙では525人もの選挙人を獲得、対する民主党のウォルター・フレデリック・モンデール候補はわずか13人の選挙人しか獲得できず空前絶後の歴史的勝利をおさめて再選されます。ただアメリカの経済は本格回復しはじめたものの、貿易赤字も増大し続け、まだ予断を許さない状態でした。
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ソロモン・レポート
アメリカ産業界は、輸出を邪魔して自分たちを苦しめる一番の元凶は日本ではないのかと苛立っていました。1983年9月、アメリカの建設・鉱山機械の大企業であるキャタピラーのリー・モーガン会長は第三国に機械を輸出する競争で日本に負けるのは、日本が引き起こしているドル高円安のせいだという「円ドル為替レートの非整合性」と題する報告書を議員や政府関係者に配布します。この報告書は「ソロモン・レポート」や「モーガン・ペーパー」と呼ばれており、モーガン会長がスタンフォ-ド大学のエズラ・ソロモン教授およびデビット・マーチンソン弁護士に作成させたものでした。報告書には日本政府が円安を維持して輸出を拡大するために、人為的な為替介入を密かに行ってドル安円高している、これを是正しドル安円高にすべきと書かれていたのです。レーガン政権のマルコム・ボルドリッジ商務長官もドル安円高を強く主張しました。レーガン大統領は当初は「強いドル」を標榜してカーター大統領と同じようにドル高のメリットを重視していましたが、世論も高まりドル安円高を容認する方針転換を図ります。
ある国の政府・企業・個人が海外に保有する金融資産である「対外資産」から、海外の政府・企業・個人がある国で保有する金融資産である「対外負債」を差し引いたものは「対外純資産」といいますが、アメリカの対外純資産はアメリカは第一次世界大戦以来、外国に借りているお金よりも貸しているお金が多い債権国でしたが、1981年は1409億ドルの黒字だったのが、経済低迷により1982年から経常収支の赤字が大きくなりはじめため、1985年には対外純資産は1114億ドルの赤字となります。アメリカは第一次世界大戦以来、外国に借りているお金よりも貸しているお金が多い債権国でしたが、借りているお金の方が多い債務国に転落してしまいました。この状況でアメリカの日本への圧力はいよいよ高まっていきます
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ブログの竹花貴騎のURUの動画。30年賃金が上がらぬ日本。私にとってこの厳しさと戦う武器の一つが、竹花のURUオンラインスクールであると思っている。
— URUで勉強する壮年 (@wJYqoBq2Bv36945) February 14, 2025
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