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URUオンラインスクールは主に起業や経営について学ぶものですが、竹花さんが日本経済について語った動画を見て、なぜ日本は今の経済状態になったかに興味を持ちました。またそれを知るためには日本経済に影響を与えた国際政治の歴史も勉強すべきと思い、学んだ知識を使ってブログを書きました。このブログの参考になった動画は一部公開ですが、YouTubeで以下のリンクから見られます。全て見たくなった方はぜひURUオンラインスクールに入学してください。
パフレヴィー2世の死
1979年1月にイラン革命でパフレヴィー2世がイランを脱出したパフレヴィー2世の受入れを最初に申し出たのはサダト大統領でした。1973年10月の第四次中東戦争の時に、パフレヴィー2世はイスラエルと戦うエジプトを支援し、医療援助や医師を派遣、また特にエジプトに味方するソビエトの輸送機がイラン上空を飛行してカイロに武器や軍事装備品を供給することを許可したことで、サダト大統領とパフレヴィー2世はお互いに「兄弟」と呼び合うぐらいに親交を深めていました。しかし受け入れたサダト大統領はエジプトのイスラム教徒から強い反発を招きます。かつてパフレヴィー2世が資金援助したモロッコ国王のハッサン2世の招きもがあり、サダト大統領の立場をこれ以上悪くしなないためにも、パフレヴィー2世はモロッコのマラケシュに移りますが、ハッサン2世の招きはパフレヴィー2世の財産を狙うものだったことがわかります。こうしてパフレヴィー2世はモロッコを出てバハマ、メキシコ、アメリカ、パナマと移ります。
サダト大統領の申し出を知ったカーター大統領は、人質事件解決の妨げになるとして、サダト大統領に直接電話してパフレヴィー2世を受け入れないよう求めましたが、サダト大統領は応じません。またアメリカ政府の職員がパフレヴィ―2世にエジプトに行かないようにも求めてきましたが、パフレヴィー2世とファラ王妃はサダト大統領に頼らざる得ないと、エジプトに戻ることを決めます。パフレヴィ―2世が国の厄介者であったパナマ政府はエジプト行きを黙認しました。実際にカーター大統領と、当時のイラン・イスラム共和国のサーデグ・ゴトブザーデ外務大臣との間でパナマ政府がアメリカ政府を通してパフレヴィー2世を引き渡せば人質を解放するという話はありましたが、ゴトブザーデ外相がパナマの時差を勘違いしたため、当時のイラン・イスラム共和国政府の最高意思決定機関であるイスラム革命評議会がイランの新年の休み入ってしまい招集できず実現しませんでした。
こうしてパフレヴィー2世は難を逃れて、1980年3月にカイロに戻りガンの手術を受けますが、ほぼ手遅れの状態で1980年7月に死去し、葬儀はエジプトの国葬として行われました。最後までパフレヴィー2世をかばったサダト大統領は1981年10月に暗殺されます。
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人質の解放
パフレヴィー2世の死去で人質事件の目的が少し薄れましたが、依然とイラン・イスラム共和国は、アメリカ政府に資産凍結を解除すること、パフレヴィー2世の財産を返還すること、内政に干渉しないことを保証することを要求し続け人質を解放しようとしません。ところが長く続いた事件の膠着状態は一変します。
1980年9月に入るとイラン・イスラム共和国の隣国イラクとの散発的な戦闘が起こるようになります。9月22日にはイラクの大規模な侵攻が始まり、イラン・イラク戦争が勃発します。前のブログでも述べましたが、イランとイラクは以前から両国の国境地帯にあるシャットゥルアラブ川という石油輸出の要所となり、ペルシャ湾にそそぐ川の周辺の領土をめぐる争いがありました。1972年からもこの領土をめぐり衝突が起き始め、大規模な戦争にまでなりかけましたが、アルジェリア、エジプト、トルコの仲介で1975年3月、アルジェリアの首都アルジェで開かれたOPEC総会でパフレヴィー2世とイラクのサダム・フセイン副大統領が会談、アルジェ協定が結ばれ、両国は和解しました。
イラク政府内の権力闘争に打ち勝ち、副大統領から昇格したフセイン大統領は、協定でイランに領土とられてしまったことに強い不満を持っていました。またイランにはフーゼスターン州というイラク系住民が多い州があり、州内にあるアーバーダーン島は豊富な油田地帯で、こちらをめぐっても過去にイランとイラクは対立していました。フセイン大統領は革命でイラン・イスラム共和国軍が弱体化していることもあり、これに乗じてシャットゥルアラブ川の周辺領土とフーゼスターン州、アーバーダーン島を奪い取ろうと侵攻を決断しました。またイラクは国内は約65%がシーア派のアラブ人イスラム教徒で、スンニ派はアラブ人とほとんどのクルド人で約35%。イラクを支配し、フセイン大統領が頭目となった政党であるバース党はスンニ派でした。バース党はシーア派を弾圧しており、フセイン大統領はイラン革命はイラク国内の多数を占めているシーア派に影響を与え、スンニ派であるバース党の支配が打倒されるのではないかとも考えていたことも侵攻する理由の一つでした。
イラン・イラク戦争により、イラン・イスラム共和国は人質事件をこれ以上長引かせても、利点がないと判断、アメリカに資産凍結を解除させ、革命で混乱した経済を立て直すことを優先し、秘密交渉で応じます。アルジェリアが仲介に入り、アメリカは今後イラン・イスラム共和国の内政に政治的にも軍事的にも介入しないようにして、資産凍結と貿易制裁を解除する。イランは人質事件の損害賠償を支払う用意もあるが、その裁判は新たに設立された仲介裁判所で行うなどの条件にアメリカ政府が応じれば、人質は解放することになりました。カーター大統領は既に1980年11月9日の大統領選挙で共和党のロナルド・レーガン候補に敗れていましたが、イランが譲歩する姿勢を見せたこの条件は了承。1981年1月19日に両国が合意して人質解放のための「アルジェ宣言」が成立します。
翌日の1月20日、カーター大統領の任期が終わりレーガン新大統領が就任演説を行った数分後に、52人の人質全員が事件が起こった1979年11月4日から444日ぶりに解放されました。
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イラン・イラク戦争と国際社会
パフレヴィー2世のイラン軍を引き継いだイラン・イスラム共和国軍にはアメリカから購入した強力な戦闘機などの兵器もたくさんありましたが、兵器を整備するアメリカの技術者たちはイラン革命で国外退去となり、整備や予備の部品の調達が困難でした。またパフレヴィー2世の配下であった将校はイラン革命でその多くが処刑、追放、投獄されていました。そのため、イラン・イスラム共和国軍の弱体化が激しく、将校の処刑をやめたり、釈放しないとけませんでした。また軍の指揮をするのはイラン・イスラム共和国政権で要職についたイスラム法学者たちで、軍事には素人であったので、イラン・イスラム共和国軍の戦力はパフレヴィー2世の時代のイラン軍よりもはるかに劣るものでした。
第三次中東戦争後の1968年6月にイラクはイスラエルに味方するアメリカとの国交を断絶。その後、イランで政権を奪取したバース党は、反共産主義でありながらソビエトに接近し1972年10月にはイランとソビエトは友好条約を結びました。この間にイランはソビエトから兵器を輸入します。しかしフセイン大統領は前のブログでも述べましたが、1978年頃からシャットゥルアラブ川周辺の領土をめぐるイランとの戦いの戦費が莫大になり、石油収入を高めるため、アメリカやサウジアラビアなどに接近。西側諸国の市場、資本、優れた技術を導入して、ソビエトへの依存を少なくしようと考え、国内の共産主義者も弾圧。ソビエトと関係が悪化させました。これで戦争当初、ソビエトは中立を表明します。
フランスは第二次世界大戦前からイラクと交流がありました。大戦後、中東の植民地であったアルジェリアを独立戦争で失ったフランスは中東で自国をアメリカ、ソビエトと並ぶ地位にして石油を安定的に確保しようと、ジャック・シラク大統領がイランに兵器の輸出や原子力発電所建設の技術提供などの支援行っていました。そのためイラクはフランス製の兵器を一番購入している国となっていました。フランスは1981年5月に就任したフランソ・ワミッテラン大統領がイラン・イラク戦争でイラク支持を表明し積極的な支援を続けました。
イラン・イスラム共和国に人質事件で苦しめられたアメリカは、国交を断絶しソビエトと関係が深いイラクにも戦争当初は関係をつくろうとせず、中立を表明します。イギリスも表向きは中立でしたが、双方から利益を得るため、秘密裏にイラン、イラク両方に軍事支援を行います。
主にソビエトとフランスから大量の兵器を輸入していたイラクは海軍力は重要性が低かったため小さいものでしたが、それでも1980年までには世界有数の軍事力を誇り、24万2000人の兵士、 2350両の戦車、 340機の戦闘機を保有するようになります。
竹花動画コーナー
Y.H X(旧Twitter)
ブログのユアユニの竹花貴騎の動画。コメントでは「常識を偉そうに言うな」とあった。確かにそうかもしれないが、私のような鈍い無知な者には竹花の動画は勉強になった。
— uruz001 (@wJYqoBq2Bv36945) July 16, 2024
竹花貴騎のURU!人質事件の終焉とイラン・イラク戦争https://t.co/dQesUARAN7
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