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  パフレヴィ―2世の病

 

ホメイニ師はカーター政権との秘密交渉でアメリカに妥協させ、イラン革命が成功し政権奪取を果たしました。ちなみにこの秘密交渉はBBCの報道によるとCIAの機密文書からホメイニ師が亡命で住んでいたパリ郊外の小さな町ノーフル・ル・シャトーの一軒家の近くにある小さな宿屋で行われ、ホメイニ師の側近であるイラン系アメリカ人医師のエブラヒム・ヤズディ氏とフランス駐在のアメリカ大使館の政治顧問ウォーレン・ツィンマーマン氏によって行われていたとされています。

2016年6月のイギリスの大新聞カーディアンの記事では、国務省のマーク・トナー副報道官は、ホメイニ師がカーター政権と接触していたことについて質問され「申し訳ありません。私はそのことを知りませんし、最新情報もお伝えできません」と述べて、否定も肯定もしませんでした。

 

 

イランから脱出したパフレヴィ―2世はサダト大統領の承認のもとでカイロに入国した後、モロッコやバハマ、メキシコを転々としていました。パフレヴィ―2世は莫大な財産を持ち続け、それなりの支援者はいましたが、各地を転々とするなかでは、警備を固めるも困難で。記者、写真家、狂信的な支持者、詐欺師などに追い回され、生活するにも法外な対価を要求されたりと散々な目に遭っていました。

 

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ニューヨークに本拠地をおき、現在のJ.P.モルガン・チェースの前身であったチェース・マンハッタン銀行を経営し、カーター政権内の有力者でもあったデビッド・ロックフェラー外交問題評議会議長はパフレヴィ―2世のイラン政府に多額の融資をしていました。その議長の尽力で、パフレヴィー二世はメキシコでなんとか落ち着いて生活します。ロックフェラー議長にとってパフレヴィ―2世は国王の座を追われたとはいえ、莫大な財産を持ち続けており一番儲けさせてくれる、大事なお得意様であったのです。しかしパフレヴィ―2世はメキシコで持病が悪化、ガンに侵されていることがわかります。

実はパフレヴィ―2世は1974年に慢性リンパ性白血病という血液のガンと診断されていましたが、他人にガンであることを知られることを嫌い、この事実を隠し通していました。ガンであることを知っていた者が担当した医師以外でいたかどうかはわかっておらず、アメリカ政府さえ長い間わかりませんでした。パフレヴィ―2世は国家のあらゆる問題の主要な意思決定は自身が行う政治の仕組みをつくっていましたが、ガンの治療のために精神が不安定になることも多く、しかも薬をちゃんと飲まなかったり、詳細な検査を拒んだりと、治療にも消極的で政権で有効な意思決定もできなかったことがイラン革命が起こった原因ともなりました。またアメリカ政府が早くからパフレヴィ―2世の病状を把握していれば、有効な手を打ってイラン革命を防げたのではないかともいわれます。

 

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  カーター大統領への批判

 

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パフレヴィ―2世を担当する医師たちはメキシコでの治療が最善と主張しますが、ロックフェラー議長はパフレヴィ―2世を庇護したのは、お得意様でもあるパフレヴィ―2世を何としでもアメリカに呼び寄せ、チェース・マンハッタンの利益を守るためでもありました。なのでその部下たちもメキシコよりも医療環境が整っているとしてアメリカでの治療を強く主張します。パフレヴィ―2世自身はようやく落ち着けたメキシコに滞在し続けることを望んでいましたが、議長の部下たちはパフレヴィ―2世を怒鳴ってまで説得、音を上げたパフレヴィ―2世はアメリカに行くことをしぶしぶ受け入れ、カーター政権にがん治療のためのアメリカ入国を認めるよう求めます。

 

 

しかしカーター大統領は、せっかく秘密交渉で妥協したのに、パフレヴィ―2世の入国を認めれば、ホメイニ師とイラン国民の反米感情が高まるとして、受け入れようとはしませんでした。困ったロックフェラー議長はかつてチェース・マンハッタン銀行の諮問委員会の議長を務め、イランを中東の強力なアメリカの味方にしようと四苦八苦したキッシンジャー元国務長官にパフレヴィ―2世受入れの協力を依頼、元国務長官もそれに応じます。元国務長官が協力したのはチェース・マンハッタン銀行の利益を守るということもありましたが、元国務長官の友人でもあったパフレヴィ―2世の窮状も見かねたからでした。カーター大統領はその頃、アメリカの経済的な負担を減らすため、ソビエトと「SALTⅡ」というお互いに保有する核兵器の数量制限する交渉を行って、アメリカの経済的な負担を減らすためこれ以上核兵器が増えないようにしようとしていましたが、大統領が所属する共和党の党員からソ連に譲歩したと批判が高まっていました。そこで重鎮であるキッシンジャー元国務長官にSALTⅡを認めてもらい、党員の批判をかわそうとしていましたが、キッシンジャー元国務長官は、カーター大統領にパフレヴィ―2世を受け入れなければ、SALTⅡは認めないと伝えたうえに、窮地に立った同盟国の国王を助けようとしないと、カーター大統領を公然と非難します。

 

 

そのためアメリカ国内ではカーター大統領に悪いイメージも付きまとい、病気に苦しむパフレヴィー2世を受け入れなければ他の同盟国もアメリカを信用しなくなると考え、1979年10月、カーター大統領はパフレヴィ―2世をしぶしぶ受け入れます。しかし長期滞在までは認めませんでした。

 

 

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  人質事件の発生

 

 

案の定、イランでは国民が怒ってアメリカへの反発が高まり、パフレヴィ―2世を復権させるためのクーデターをアメリカが計画しているという噂が流れます。とくにイスラム法学校の学徒たちの怒りは激しく、テヘランのアメリカ大使館を取り囲んでデモを行います。カーター政権はホメイニ師を刺激しないため、事態を静観していました。それにイランのCIAの体制は脆弱で職員にはペルシア語を話せる者すらおらず、事態に対応などできませんでした。

そして1979年11月に大勢の学徒や市民が暴徒化して大使館内に侵入します。当時の警備にしていたアメリカ海兵隊員も、事態の悪化を恐れて対して制止・発砲できず、アメリカ人外交官や海兵隊員とその家族が人質にとられ、アメリカ政府にパフレヴィ―2世をイラン共和国政府へ引き渡すよう要求するというアメリカ大使館人質事件が起こりました。この事件はアメリカのパフレヴィ―2世の受け入れに怒ったイラン共和国政府の高官や革命防衛隊が暴徒手引きしており、当時のイラン共和国政府のバーザルガーン首相も防ぐことができませんでした。

 

 

6人の一部の職員はアメリカ大使館から逃げ出してカナダ大使公邸などにかくまわれます。後にCIAがカナダ政府と協力し「ALGO」という偽のSF映画の撮影スタッフに偽装させてイランから脱出させる計画を立て実行し成功させます。この脱出劇は2012年にベン・アフレック氏が監督・主演し、そのまま「ALGO」という題名の映画になり。第85回アカデミー賞作品賞受賞作品ともなりました。

 

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