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  サウジアラビアの発表

 

 

日本がオイルショックで大混乱になったのは、前のブログで述べたように、政府と日本銀行の政策の影響で、「狂乱物価」と呼ばれるほど物価が高騰したこと、アラブ諸国が日本をアメリカと強固な同盟を結ぶ親イスラエル国家として敵視して、石油禁輸、あるいは大幅削減の対象となる可能性があったことでした。これはなぜかというと1973年10月にOAPEC加盟国で石油禁輸が決定されたのは、アメリカ、オランダで、その他の国への禁輸や供給削減についてどうするかはアラブ諸国で個別に決めることになっていました。そこで同じくこのオイルショックの要因となる石油戦略を主導してサウジアラビアが10月に友好国・敵対国・非友好国という分類を発表します。それによれば、イスラエルとの外交関係断絶、経済制裁、アラブ諸国への軍事援助という3つの条件のうち1つまたはそれ以上を満たせば石油禁輸や供給削減の対象とならない国「友好国」これは他の反イスラエルのアラブ諸国やイギリス・フランス・スペインなど分類されます。イスラエルを支援する国は石油禁輸の対象となる「敵対国」上述の通りアメリカ、オランダ、アラブ諸国原油を精油してアメリカへ輸出する可能性のあるメキシコなどの中米諸国・カナダ、南アフリカ・ポルトガルなどが分類。アラブ諸国側にもイスラエル側にも立たず、友好国・敵対国のどちらでもない国は石油供給削減の対象となる「非友好国」に分類されます。日本・西ドイツ・イタリアなどの多くの国がこの非友好国になり、これまでの中東戦争で日本は中立の立場であり、第4次中東戦争勃発直前の 1973年5月には、中曽根康弘通商産業大臣がイラン・クウェート・サウジアラビア・UAE の中東産油4カ国を訪問し、各国との間で経済通商分野における関係強化を確認したばかりであったにもかかわず、このサウジアラビアの発表は日本政府に大きな衝撃を与えたのです。しかもOAPECの毎月5%石油供給削減も実行に移されており、日本に入る石油は徐々少なくなりつつありました。

 

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  日本のアラブ寄り外交

 

 

 

資源エネルギー庁によると、1973年年度の日本のエネルギー資源の割合は原子力発電が0.6%、再生可能エネルギーなどが1%、天然ガスが1.6%、水力発電が4.4%、石炭が16.9%、石油が75.5%で石油の占める割合が圧倒的でした。

 

 

中東協力センターによると石油はその約78%が中東からの輸入だったのです。これでは高度経済成長を続けていた日本から石油がいきなりなくなり、経済危機どこか国家存亡の危機となります。オイルショックを乗り切るため政府は様々なことを行います。石油の節約のため国民には節電、日曜ドライブの自粛、高速道路での低速運転、暖房の設定温度調整などを呼びかけました。また強制力を持つ電気使用制限等規則によってガソリンスタンドの日曜休業、最終列車の繰り上げ、ネオンサインの早期消灯、テレビの深夜放送休止、飲食店や映画館の営業時間短縮や深夜営業の中止、デパートのエスカレーターの運転などの措置がとられます。1973年の7月には当時の通商産業省の鉱山石炭局と公益事業局を統合し石油、電力、ガスなどのエネルギーの安定供給政策や原子力、太陽光、風力など新しいエネルギーや省エネルギー対策を所管する資源エネルギー庁が設置されました。
もちろんこれだけでは根本的な対策にはなりません。日本政府は外交での解決を模索します。政府はかつてサウジアラビアの日本大使であり、石油会社の社長をしていた田村秀治さんと、アラビア語研究者で中東との貿易会社の社長をしていた森本圭市というアラブ通の二人を密使としてサウジアラビアに送ります。石油戦略を主導していたサウジアラビアが日本を友好国として認めれば、他のOAPEC加盟国も日本を友好国として認めて、十分な石油供給が保障されると考えたのです。この二人は元外務省の出身でありますが、既に民間人でした。中東の産油国のなかで日本が大使館をもっていたのはイラン、イラク、サウジアラビア、クウェートの4か国だけで、その大使のなかにアラビア語など現地の言葉のできる人はいません。クウェートの日本大使館は、アラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、オマーンの4国も担当していたのですが、クウェートの日本大使館には大使を含めわずか5人の職員しかいません。また、外務省中近東局の幹部にもアラブ諸国の専門家はいませんでした。新聞やテレビなどマスコミもアラビア語やペルシア語をできる記者などははほとんどいませんし、研究者でも、アラブ諸国を専門的に研究する人は多くはありませんでした。

このように日本政府はアラブ諸国への外交を民間人に頼らないといけないほど、アラブ諸国への人脈が細く情報に事欠く有様だったのです。田村さんは1973年11月12日に中東で石油開発を行う日本企業であるアラビア石油の水野惣平社長とサウジアラビアのファイサル国王と謁見し、日本を友好国にいれてもらうようお願いします。またファイサル国王の妻イファット王妃の弟であるカマール・アドハム国王顧問やラシュアド・ファラオン国王顧問などサウジアラビア政府関係者らと面談します。森本さんも11月10日から13日にかけて親密な付き合いをしていたカマール・アドハム国王顧問と面談しました。

 

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  友好国への認定

 

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11月15日、アメリカのヘンリー・キッシンジャー国務長官が訪日して田中角栄首相と会談、そこでアラブ諸国の見方をしないように要求されます。田中首相は国務長官に、ならアメリカから石油の援助があるかと聞きましたが、国務長官は何も言わなかったため、田中首相はアメリカとの同盟は維持しながら、石油についてはアラブ諸国寄りの外国を行わざる得ないと述べました。
サウジアラビアから出された日本が友好国となる条件は、武力による領土の獲得や占領を許さないこと、1967年の第三次中東戦争の全占領地からイスラエルが兵力を撤退させること、イスラエルが侵略をやめず、全面的撤退もせず、パレスチナ人の人権を侵害し続ける場合には、日本のイスラエルに対する立場を再検討することなど、日本が中東諸国側に味方することを鮮明にすることでした。政府内では日米関係の悪化やユダヤ人勢力の反発を招くと議論となりました。11月7日にEC(European Communities:ヨーロッパ共同体)が発表した「中東問題に関するEC外相会議共同宣言」をOAPECが高く評価し、11月18日にECへ毎月5%の石油削減を免除します。

11月6日に既に二階堂進官房長官がこのECの宣言と同内容の発言をしていたにも関わらず日本はECと同じように扱われず、毎月5%の削減が続けられることはかわりませんでした。

政府はこの事態にさらに危機感をつのらせ、サウジアラビアの条件を受け入れる二階堂進内閣官房長官の談話を11月22日発表して日本はアラブ諸国の側に立つことを鮮明にしました。この談話の翌日にアメリカ国務省の報道官は中東の石油禁輸によって日本が直面している困難を理解する」とする一方で「我々は、日本政府がイスラエルに 1967 年戦争の占領地からの撤退を促すアラブ寄りの声を発出したことを遺憾とする」という遺憾表明によって、日本がこれ以上アラブ寄りのにならないように釘を刺しました。

 

出典:首相官邸ホームページ


しかし官房長官談話を発表しても、アラブ諸国からは何の反応もありません。11月26日から28日までアルジェリアの首都アルジェで開催予定のアラブ首脳会議に向けて政府は、アラブ諸国に駐在する日本の大使らを使って、首脳会議に出席する首脳らに対して官房長官談話の内容を説明し、日本を「友好国」として認めるよう働きかけました、にもかかわらず、アラブ首脳会議ではアラブ連盟のマハムード・リヤド事務総長が28日の記者会見で「日本とフィリピンに対して毎月5%の石油供給削減を免除すると発表しただけで、日本とフィリピンを友好国に加えると言う話はありませんでした。友好国として認められないと、十分な石油供給が保障されず、いつ禁輸されたり供給量を大幅に削減されるかがわからないのです。
そこで政府内では官房長官談話だけでなく、然るべき人物が日本政府を代表して中東諸国を訪問しその立場を説明すべきという声が高まります。1967年と1968年の両年に国連総会に外務大臣として出席し、中東問題に対する日本の立場などを説明する演説を行ったという経緯から三木武夫副総理が中東諸国に特使として派遣されました、三木特使は12月10日から28日までアラブ首長国連邦・サウジアラビア・エジプト・クウェート・カタール・シリア・イラン・イラクの 8 カ国を訪問、ファイサル国王と会談したり、エジプト、シリアには開発途上国の開発を主な目的とする政府及び政府関係機関による国際協力活動として供与される資金である政府開発援助
(ODA:Official Development Assistance)による通常の民間金融機関の融資より低い金利で長期の資金を開発途上国に資金を貸し付ける円借款を申し出ます。こうしてようやく三木特使の中東訪問中の12月25日、OAPECは日本を友好国として認める決議を採択しました。しかしこのアラブ諸国に対する日外交は、アメリカに不信感を抱かせ、アラブ諸国からもイスラエルからも日本が石油戦略にひれ伏したと見なされ、アメリカには不信感を抱かせ、また日本国内においても「油乞い外交」と揶揄されました。

 

Y.H X(旧Twitter)

 

 

 

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