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  デマの発端

 

オイルショックの日本ではトイレットペーパーがなくなるというデマが飛び交い、人々がトイレットペーパーを求めて店に殺到するような騒動が起こります。教科書にもよく紹介されていますが、なぜこんなことになったのでしょうか、今回は経済からはそれますが、話をして言うと思います。オイルショックの前年から、紙の原料となる輸入パルプの価格の高騰や紙の需要の高まりなどで紙製品の価格も上がっていました。

 

出典:首相官邸ホームページ

 

オイルショックが発生した後の1973年10月19日、当時の中曾根康弘通商産業大臣が国民に紙製品の節約を要請します。世間ではこの冬は灯油もトイレットペーパーもなくなるかもいう会話がされます。また当時、トイレットペーパーを生産する過程で、紙をつくるときに溶かした原料を乾かすために燃料として用いていたのが重油でした。

 

 

2023年4月のNHKのWEB特集にある記事ですが、大阪府豊中市と吹田市に跨る千里ニュータウンという大きな団地でトイレットペーパーがなくなるというデマが流れます。

 

 

当時の日本は家庭は70%程度が今では「ぼっとん便所」と呼ばれる汲み取り式便所で水洗便所の普及率は30%程度ぐらいしかありませんでしたが、この団地の便所はすべて水洗でした。

 

 

「備える.jp」の2021年10月の記事にありますが便所の紙は現代はロールタイプのトイレットペーパーが当たり前ですが、汲み取り式便所がまだ主流の1973年頃の日本では便所の紙の生産量は、汲み取り便所の隅の籐や竹でできたカゴに重ねて置いておく「落とし紙」「ちり紙」と呼ばれるものが約60%程、ロールタイプのトイレットペーパーは約40%程しかありませんでした。

紙の博物館によると、ロールタイプは記録に残る限りでは、神戸市にあった貿易商の島村商会が1924年に日本で最も早く発売し、今の規格のロールタイプは水洗便所を利用する日本を占領したアメリカ軍のために、1949年に静岡県富士市の新橋製紙によって初めてつくられています。「落とし紙」は現在も介護用、ペット用、汚れ拭き、緩衝材としての需要があり生産されています。団地の水洗便所は水に溶けないちり紙などトイレットペーパー以外は流すと詰まってしまうため、トイレットペーパーは必需品だったのです。

 

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  全国に広がるデマ

 

デマは団地にどんどん広まっていきます。実際は紙製品の価格の高騰はあったものの、トイレットペーパーについては1974年の国民生活白書にも「生産実績は落ちているわけではない。生産の不足はなかった」と記され、オイルショックの前の1972年よりも生産量が多くなっていました。

この頃、団地にあるスーパーである大丸ピーコック千里中央店がたまたま、新聞の折り込みチラシでトイレットペーパーの特売の宣伝を載せて配ります。トイレットペーパーは噂を聞きつけた団地の住民に飛ぶように売れましたが、特売品がなくなった後もトイレットペーパーを求める住民が後を絶ちません。スーパーは普段の価格でトイレットペーパーを店に並べるても、これも飛ぶようにうれました。

この状況を聞きつけた毎日新聞が1973年11月3日の大阪版の夕刊記事で、スーパーが普段の価格で売ったのに「紙の狂騒曲」という名前の記事でスーパーがトイレットペーパーを品切れを理由にあっと言う間に値段を釣り上げたかのように書いてしいました。店員さんもこのような報道のやり方に憤ったといいます。

 

 

 

これでますます店に人が殺到、しかもトイレットパーパーがなくなるというデマが全国に広がり、日本中の小売店にトイレットペーパーを買いだめしようと客が殺到する騒動となり品不足になってしましました。トイレットペーパーの価格は、1.5倍程度まで上昇し、3倍から4倍の値段をつけても売り切れたといわれています。この騒動は他の商品にも波及し、洗剤、砂糖、塩、しょう油までもが品不足になりました。政府は、国民に買いだめ自粛を呼びかけたが、あまり効果がなかったため。11月12日に、トイレットペーパーなどのの紙類4品目を「生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律」に基づく特定物資に指定し、翌年の1974年1月28日には、国民生活安定緊急措置法の指定品目に追加し、標準価格を定めて価格が上がらないようにしました。3月になると騒動は収束、在庫量も通常の水準に回復しました。

 

 

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  アメリカでの大パニック

 

アメリカでも日本と同じようなトイレットペーパーをめぐる騒動が起こります。2020年3月のGigazineの記事にあることですが、アメリカではオイルショックが起こると、マスコミが「ガソリン・電気・タマネギなどの供給が途絶える」と不安を煽っていました。アメリカにはウィスコンシンという州があります。森林が多く水も豊富でこのために製紙会社が数多くありました。

 

Public domain

 

ウィスコンシン州の第8選挙区選出のハロルド・フレーリッヒ下院議員は製紙会社の有権者たちから、紙の原料である木材からつくられたパルプが手に入りにくくなったと苦情を受けます。1973年11月の末には日本でもトイレットペーパーの騒動も報じられます。これらのことでハロルド議員は、アメリカ政府が紙の価格を規制しているせいで、パルプ製造業者が国内の製紙会社に販売をせずにパルプを国外に輸出していること、紙幣も刷る合衆国製版印刷局でも紙が不足。政府が軍人や官僚たちのための備品であるトイレットペーパーの調達も予定数に満たしていない主張します。これは議員の憶測でしかありませんでしたが、話題性を狙ったマスコミが飛びつきハロルド下院議員の事実でないにもかかわらず議員の主張を大々的に報じます。こうして小売店にトイレットペーパーを求める人が多くなります。

 

 

12月29日にはNBCテレビ(National broadcasting company)で現在も放送されている、深夜の人気トーク番組「ザ・トゥナイト・ショー」の司会者でありコメディアンのジョニー・カーソンさんが2000万人以上の視聴者に向けて「スーパーの棚から消えていくものが他にあるか知っているか?トイレットペーパーだ!あははは!もう笑っていいよ!古き良きアメリカでは、トイレットペーパーの不足が深刻なのだ。」と発言します。

 

 

この発言をきっかけにトイレットペーパーをめぐる大パニックが起こり小売店に人が殺到。トイレットペーパーの買い貯めに必死になる人々の様子をマスコミが取り上げたことも、大パニックをひどくします。小売店は購入を2ロールから4ロールに制限したり、買い貯めを止めるため1ロールの価格を倍以上にしたりしましたが、それでもメーカーは生産がまったく追いつかず、最終的に在庫はほぼゼロになってしまいました。

大パニックがピークに達していた1974年2月には、お金ではなくトイレットペーパーを使っての物々交換が行われたり、トイレットペーパーを取引する闇市場がつくられたとさえいわれています。この大パニックの最中、自分の主張が間違っいたことに気づいたハロルド下院議員は主張を撤回すること発表しましたが、注目されず、大パニックは収まりません。

 

 

Public domain

 

この大パニックに対してCBSテレビ(Columbia broadcasting system)の有名ジャーナリストで「アメリカの良心」とも呼ばれたウォルター・クロンカイトさんはニュースで国民に冷静になるよう呼び掛け、後にキンバリー・クラーク・コーポレーションに買収されたアメリカの巨大製紙会社であるトスコット・ペーパー・カンパニーの工場の生産ラインからトイレットペーパーが遅延なく出てくる映像を放映しました。トイレットペーパーを買い貯めした多くの人々は新しいものが品不足で手に入らないので、貯めたトイレットパーパーを使います。その間に品不足が回復して転倒に並びはじめ、供給に問題がないことに国民が徐々に気づき、大パニックは4か月で収まります。カーソンさんはデマを広めたとの批判の矢面に立たされ、カーソンさんは、テレビカメラの前で謝るはめになりました。この時カーソンさんは「偽のトイレットペーパー不足を作り出したことで後世に名前を残すのは不本意です。私は新聞の記事を少し誇張してしまいましたが、実際には不足は発生していません」と謝りました。

 

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