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  英国病

 

 

ここでまず1960年代から70年代のイギリスの経済状況について説明します。イギリスは第二次世界大戦の戦勝国でしたが、戦費の調達のため保有していた巨額の海外資産を失い、またドイツ軍の攻撃で国内も荒廃してしまいました。マーシャルプランでアメリカの支援を受け、ある程度の復興はしたものの、1960年代から70年代にかけてはひどく経済が停滞してしまいます。これはイギリスがかつての大国であったプライドを捨てきれず、経済力に不釣合いな軍事力を維持したこと。変化を嫌う時代遅れの教育がなされていたこと。共産主義に近い思想を持つ労働党政権がイングランド銀行、石炭、通信、航空、電気、鉄道、ガス、鉄鋼などが国有化して経営努力がされなかったこと。福祉の拡大政策をとって莫大な出費をしたこと。企業の労働組合が強大化し政権の人気取りのような賃上げばかりが行われ、経営の効率化、コスト削減が進まないなどの原因で国際競争力が低下してしまいました。

この状況は「英国病」「イギリス病」と呼ばれます。このためポンドの価値はどんどん下落ポンドが安くなっても、経済が停滞していれば、輸出も伸びるはずがありません。ポンドの対ドル表記は本来は1ポンド=○○ドルで、ブレトン・ウッズ体制での固定相場は1ドル=0.3571ポンドで1ポンド=2.8ドルでしたが、イギリス病のせいで、ポンドの価値はどんどん下がってたくさん売られてしまいます。イギリス政府もドル売りポンド買いの為替介入の余裕がなく、1ポンド=2.8ドルの維持ができなくなり、1967年11月に1ポンド=2.4ドルへの切り下げを余儀なくされました。アメリカもイギリスが最も親しい同盟国であるため、この切り下げでのポンド安を容認します。しかし英国病で経済が停滞しているイギリスでは輸出も伸びるはずもなく、経済は停滞したままになります。

 

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  金プール制

 

ニクソン・ショックの後、ドルに対する不信感のため、世界各国がまた第二次世界大戦の要因となった保護貿易を行う懸念が高まりました。このままでは3回目の世界大戦にもつながりかねないので、まずアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本、イタリア、オランダ、カナダ、スウェーデンの10ヵ国は「G10(Group of Ten)」と呼ばれる、先進国が混乱する国際通貨体制を収拾すべく、財務大臣級の会議を開きます。これらの10ヵ国は「G10(Group of Ten)」と呼ばれる1962年10月にIMFのGAB(General arrangements to borrow)と言う制度に参加した先進国です。GBAとはIMFの資金補充を目的に10か国とIMFの間で締結された取り決め。参加国がIMFから資金を引き出す際に、IMFは他の参加国から融資を受けることができる制度です。会議は9月半にロンドン、9月末にワシントン、11月末のローマで行われました。アメリカは新しい固定為替相場制のために各国に通貨の切り上げを求めます。各国はアメリカに反発しますが、かといって世界に大量に流通しているドルにとって代わる通貨もありませんし、ベトナム戦争と経済悪化で疲弊しているとはいえ強大なアメリカの軍事力がないと各国はソビエト率いる西側諸国の圧力に対抗もできません。他方アメリカも力業で各国を押し切ってしまうと、関係が悪化しすぎてソビエトへの対抗力が弱まってしまいます。こうしてお互いに激しい議論となり、なかなか決着はつきませんでした。

 

 

ヨーロッパの西側諸国では1960年代の初めから、アメリカの金が減っていることでドルの信用が不安視されていました。アメリカが金の流出を防ぐため、金とドルの交換価格を上げるのではないかとも予想され、金価格の変動を利用して短期間に儲けようとする投機を行う投資家や組織が盛んに取引を行い、金価格の暴騰も起こりました。金は17世紀からロンドンでロスチャイルドなどのの国際的な大銀行などで取引を行う市場ができており、金価格が暴騰が続くと、アメリカが持つ金とドルの交換を各国から頻繁に、かつ大量の交換を要求されてしまいます。かといって長く続いてきた金1オンス=35ドルという交換価格を上げてしまうと各国が持つドルの価値が低下して信用がさらに悪化してしまいます。このためにアメリカはにヨーロッパの西側諸国に呼び掛けて各国に金を出させて、必要に応じてロンドンの市場で金を売買して金の価格を抑える「金プール制」を1962年11月から行うようになりました。

金は17世紀からロンドンでロスチャイルドのような大銀行などが取引を行う世界の中心となる市場ができており、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行が、各国の取引を代行しました。しかしこの金プール制はブレトン・ウッズ体制が崩壊が時間の問題で対策が必要であることをヨーロッパの西側諸国に痛感させたといわれます。ヨーロッパから遠い、しかも敗戦国である日本は金プール制に参加する機会もなく、このような動きをまったく察知できず、国際通貨体制の中で完全に後れをとっていました。それに日本は輸出で不利になる大幅な切り上げを防ぐことに固執してしまい、各会議ではまったく存在を示せないどころか、アメリカを中心とする各国から日本はとくに1ドル=360円の円安による輸出で大変な恩恵を受けていると批判され、大幅な円切り上げを要求されます。

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  スミソニアン合意

 

 

1971年12月、ワシントンのスミソニアン博物館でまた財務大臣級の会議が開かれました。スミソニアン博物館はアメリカを代表する科学、産業、技術、芸術、自然史の博物館です。アメリカ財務省のような政府機関で会議を開いてしまうと、ワシントンで会議をすること自体、世界中からアメリカ政府が各国に圧力をかけていると思われかねないのに、政府機関で会議をすれば、政治の介入を嫌う金融市場に悪影響が出るのではと懸念され、政治とは関係のない、かつ学術的な施設で会議をしたほうがまだイメージがよいとされたからだといわれています。

 

“The rear entrance of the Palazzo Corsini”©AlexanderVanLoon.2014. 

(Licensed under CC BY 4.0)

 

11月のローマの会議では15世紀に建設された美術館にもなっているコルシーニ宮殿が会場となりました。

 

 

1971年12月20日のニューヨークタイムズの記事に掲載されていることですが、スミソニアンでの会議では金とドルの交換価格は1オンス=35ドルから38ドル引き上げられます。1ドルとの各国の通貨の変動幅はこれまでの1%から2.25%に拡大されました。イギリスのポンドとフランスのフランが約8.6%、ドイツのマルクが約13.6%、イタリアのリラが約7.5%の切り上げで合意。そして日本の円は315円、悪くても310円の切り上げと予想されていましたが、約16.9%と最大の切り上げ幅となり、1ドル=308円で合意させられるためになります。

スミソニアン博物館の会議でのアメリカと各国の合意は「スミソニアン合意」「スミソニアン協定」といわれます。この日本はやはり欧米に見下され、政治家も無力、通貨外交の敗北で日本経済は大打撃を受けるという悲観論が漂いました。

イギリスは最も親しい同盟国だからといってもアメリカの要求をつっぱねることまではできず、英国病で経済が停滞しているにもかかわらず、なくなく切り下げを受け入れます。この切り上げで1ポンド=2.4ドルから2.61ドルのポンド高になりました。スミソニアン合意で新たな固定相場制でドル安でアメリカの輸出が拡大し経済が立ち直り、金との交換が再開され国際通貨体制が安定するかと思いきや、そもそもアメリカが金とドルの交換を停止したままでは、ドルは信用を取り戻せません。世界各国でドルはまだまだ価値が下がり安くなると思われてしまいます。ドルと他国の通貨の相場変動を利用して、為替取引そのものから利益を得ようとする投機を行う投資家や組織もポンドを大量に買ってドルを売りポンド高になります。ドル安ポンド高はアメリカには有利ですが、イギリスの輸出には不利です。イギリス政府はスミソニアン合意での固定相場、1ポンド=2.61ドルを維持し、ひどいポンド高を止めるめにドルを買いますが、買い支え切れなくります。イギリスは1972年6月にとうとう固定相場制をやめてしまいました。イギリスが英国病から立ち直ったのは、1960年代に発見した大量の石油がとれる北海油田の開発で石油輸出国になれた1980年代になってからでした。

 

 

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