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  金本位制の崩壊

 

 

世界の経済が依存していたアメリカで1929年に起こった大恐慌は世界各国に波及しました。第一次世界大戦の敗戦国だったドイツとオーストリアは1931年にオーストリアとドイツが恐慌をのりきるため関税同盟を結び、経済圏を一体にしようとしましたが、第一次世界大戦でドイツに国土を破壊されたフランスはこの関税同盟がドイツの復活につながると猛反発。オーストリアへ投資してした資金すべて引き上げてしまいます。

このため、かねてからアメリカの大恐慌の影響で企業などに貸した金が返してもらえなくて困っていたオーストリア最大の銀行であるクレジット・アンシュタルトは経営危機に陥ってしまいました。クレジット・アンシュタルトはオーストリア政府の支援で倒産はなんとか免れましたが、この経営危機がドイツに飛び火し第2の規模の銀行であるダルムシュテッター・ウント・ナティオナールが倒産してしまいます。ドイツ国内の全銀行が閉鎖され。国内外の多くの企業が倒産し大恐慌となります。ドイツもマルクを持っている外国からたくさんの金の交換を要求されドイツからどんどん金が流出しました。

このままでは紙幣も発行できなくなるため、1931年ドイツは金本位制から離脱。賠償金も払えない状態となります、ドイツから賠償金をもらって借りたお金をアメリカに返さないといけないイギリスも、お金が返せなくなってしまったためポンドが信用を失い、ポンドをを持っている外国からたくさんの金の交換を要求されイギリスからどんどん金が流出し、ドイツと同じく1931年に金本位制から離脱。この年には日本も離脱します。アメリカも金の流出に耐えられなくなり1933年に離脱しました。フランスは遅れて大恐慌の影響を受けて、1936年に金本位制を離脱。こうして列強といわれる強国が次々と離脱して金本位制は崩壊してしまいました。

 

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  中国と銀本位制

 

ここで中国についても触れておきます。前のブログでも述べましたが、中国では金や銀は貴重で王朝が独占し、長い間おもに王朝が価値を保証した銅貨や鉄貨を鋳造して流通させて経済を動していました。ただし鉄貨は価値が低いうえに錆びて重くて使いづらく不人気で、時代が進むにつれて利用されなくなっていきます。10世紀の宋王朝になってからは銅が産出量の減少や外国との交易拡大で国外流出し不足します。

しかし逆に銀が中国に流入し、銀も貨幣として多く利用されるようになります。加えて宋王朝は銅貨と交換できる兌換紙幣も発行します。宋王朝の後の元王朝も兌換紙幣を発行しますが、中国王朝の兌換紙幣は、紙幣と交換する金属の不足、異民族との戦争や国内の反乱のために王朝が乱発したり兌換しなくなることも多く、紙幣の価値がなくなり、ハイパーインフレもよく引き起こしたりしました。15世紀半ばからの大航海時代以降は、中国と外国の交易が活発になりヨーロッパ、日本、メキシコなどで採れた銀が大量に流入します。この頃の明王朝では銀が主体に銅貨、紙幣をそれぞれ交換できる本格的な銀本位制がとられました。次の清王朝では歴代の王朝が紙幣の乱発を行いハイパーインフレになったことを恐れ、紙幣の発行をしませんでした。

 

 

 

中国で昔から貨幣として使われていた銀は、丸くて小さな銀貨ではなく「銀鋌」「銀錠」と呼ばれる様々な形をした銀の塊で目方を測って価格を決めるものであったので商取引に不便でした。

こうして清王朝の元ではかつての交子のように質屋や両替商が書いた銀の預かり証が紙幣のように利用されたり、外国の紙幣も利用されます。やがて内乱である太平天国の乱とイギリスとのアヘン戦争で、清王朝の財政難が深刻になり、やむなく銀や銅貨と交換できる兌換紙幣を発行しますが、やはり乱発されてしまい信用を失います。清王朝はアヘン戦争に敗北。厳しい外圧の中で何とか王朝は存続させますが、1894年の日清戦争で清王朝は日本にも敗北、それに乗じて中国はイギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、日本など列強と呼ばれる強国の侵略を受け、植民地化されてしまいます。

20世紀初頭の清王朝では銀本位制の中で、銀、銅貨、預かり証、外国紙幣、兌換紙幣など、様々な通貨が使われるようになっていました。1911年の清王朝は滅亡し、1912年に中華民国がされますが、中国は列強や地主を後ろ盾とする私兵の組織である「軍閥」という勢力が割拠し内戦状態となりますが、1928年に中華民国の蒋介石主席がなんとか中国を統一します。1920年代から列強の国々が第一次世界大戦で離脱していた金本位制に復帰、銀の価格は下がり、また大量に中国に流入していました。世界恐慌が起こった当初、列強が金本位制のために苦しんでいる中、銀本位制の中国でつくられた商品も安くなり、輸出が拡大し経済を安定させていました。ところが、1931年頃から、やはり中国で農産物の価格の低下や工場や商店が潰れたりすることが多くります。さらに1934年にアメリカが大恐慌で苦しむ銀産業を安定させるために、政府が銀を買い上げて集める政策をとり、中国から銀が大量に流出、中華民国政府は1935年に通貨の改革を行い銀本位制を停止しました。

 

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  ブロック経済

 

 

金本位制が停止されて利用されたのは管理通貨制度です。管理通貨制度は金の保有量とは無関係に法律で定められた通貨制度にもとづいて、中央銀行が貨幣の量を管理して自国の経済状況に見合った量の通貨を発行する体制です。管理通貨制度では、発行された通貨は紙幣なら不換紙幣となり、金と交換できないですが、国の経済成長に伴い通貨の発行量を増やせるため、さらなる成長を目指せたり、不況の時も通貨の発行量を増やし金利を下げて景気を刺激できるメリットがあります。しかしその反面、政府が通貨を乱造して、ハイパーインフレが起こり安いというデメリットがあります。管理通貨制度はその国の政治や経済状況にを踏まえた国の「信用」が貨幣の価値を決めます。異なる国同士の通貨を交換する市場が為替市場になりますが、世界各国の為替市場で世界中の通貨が取引きされています。各国の通貨の価値を示す相場はこの市場で決まります。なので政情不安や経済不安、通貨の乱造などで外国から信用されなくなった国の通貨は、為替相場で暴落したりするのです。

 

 

 

代々木ゼミナール公民科講師である蔭山克秀さんのダイヤモンドオンラインの2014年10月の記事にあることですが、管理通貨制度がとられるようになったものの金本位制が崩壊した世界恐慌の世界では、列強をはじめとする勝国は金という価値の担保を失った外国の通貨はお互いに信用しなくなり、受け取るのも拒み、自国の産業の保護を優先するようになります。まずアメリカが保護貿易というものを行います、まず保護関税で輸入品に高い関税をかけて国内で売れないようにしました。こうなるとアメリカに輸出を依存している国々、例えば日本であれば、通貨である円を不当に人為的に切り下げて、為替相場で円安にして、アメリカへの輸出品を安く売れるようする為替ダンピングを行うようになります。為替ダンピングに対抗するために、今度はアメリカは為替制限でドルと外国通貨の交換を禁じたり制限かけて、外国がアメリカとほぼ貿易できないようにしてしまいました。アメリカ以外の国々も保護関税と為替制限で保護貿易を行い、世界の貿易はどんどん縮小していきます。しかし過去に比べて貿易自体は拡大しており、貿易を全くやめて完全な自給自足はできません。そこで列強は宗主国である自国を中心に他国を締め出し植民地や親密な関係にある国だけ関税を優遇し、他国を締め出す貿易を行うブロック経済を導入します。アメリカはカナダ・メキシコ、植民地であるフィリピン・中南米諸国とドル・ブロック。イギリスは北欧のスカンジナビア諸国・バルト三国・ポルトガル・シャム(現在のタイ)・イラク・エジプト・アルゼンチンとニュージーランド・南アフリカ・アイルランド・インド・香港・アデンなど植民地とスターリング・ブロック。フランスはオランダ・ポーランド・ベルギー・スイスとリビア・アルジェリア・マダガスカル・インドシナ半島などの植民地とフラン・ブロックを形成します。しかし親密な国や植民地が少なく、経済力も弱いドイツ・日本・イタリアは小さなブロックしかつくれず、経済がいよいよ行き詰まってしまいました。

 

 

 

3ヵ国の国民の不満は高まり、ドイツではヒトラー、イタリアではムッソリーニのような独裁者が、日本では軍国主義が台頭します。そして3ヵ国は植民地を獲得して強力なブロックをつくり経済を立て直そうと戦争を引き起こし、これが第二次世界大戦になったのです。

 

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