竹花さんに学びたいなら

 

YouTubeの竹花チャンネルへ

 

 

  不換紙幣の発行

 

 

前のブログではフランスとの戦争と産業革命でインフレとなっていたと述べましたが、イギリスは軍事費調達のためさらに多くの銀行に不換紙幣を刷らせて物価が上がり、さらにインフレとなります。不換紙幣も金に交換できる兌換紙幣よりも価値が下がり続けました。このままでは不換紙幣しか持っていない国民の不満が高まります。イギリスは1797年に兌換紙幣と金の交換を一時的に停止し、兌換紙幣と不換紙幣でなるべく価値の差がつかないようにして国民の不満を抑えます。

しかし戦争が長引き、不換紙幣を刷らせ続けるとハイパーインフレもになりかねません。かといって戦争が終わった後に不換紙幣を無効にしてしまうと、国民が怒り暴動が起こります。イギリス政府では不換紙幣の対策のための委員会がつくられました。委員会では人間が国の通貨の量を調整することはできない。なら輝きを持ち大古の昔から世界中の人々に価値があると信じられている金。この金の量に応じた紙幣しか刷れない金本位制を採用して、ハイパーインフレを回避し経済を自然に任せて不換紙幣は回収して兌換紙幣と交換するしかないと1811年に結論が出されました。しかし戦争は戦う相手がフランス皇帝ナポレオン1世となって続いており、いきなり金本位制採用して不換紙幣を国民から回収すれば、その分を補う兌換紙幣を刷れるほど、金もないため紙幣が足りなくなり、経済に悪影響が出て軍需物資の調達に支障が出てナポレオン1世に勝てないという意見が政府内でも続出。委員会の結論は採用されませんでした。

 

 

竹花さんの会社MDSに

 

ついて知りたいなら

 

YouTubeのMDSチャンネルへ

 

 

  金本位制の導入

 

 

不換紙幣を刷り続けてもイギリスは産業革命で物資の生産力が上がっていたため、ハイパーインフレはなんとか回避できました。1815年にワーテルローの戦いでナポレオン1世を倒しフランスに勝利したイギリスですが、不況でデフレとなり、物価が下がり始めます。金の値段も下がり、兌換紙幣と不換紙幣の価格が同じになります。これを見はからってイギリスは1816年に貨幣法という法律を成立させそれに、基づき1817年に「ソブリン金貨」という1ポンドの金貨を鋳造して国内に流通させました。これが金本位制を法的に導入した初めての例となります。

1822年にはこの金貨をイングランド銀行が発行する紙幣と交換できるよう保証し兌換紙幣と金の交換を再開しました。幸い産業革命のために不況は長くは続かず、工業力が向上し続け、人口も増ていたこと、戦争終結で軍事費が必要なくなったことでイギリスは不換紙幣の回収と兌換紙幣の転換を徐々に進めることができました。ハイパーインフレを起こさないため、1844年にはピール銀行条例がつくらます。この条例では金1オンス(約31グラム)=3ポンド1シリング10ペンス半で交換できるよう保証し、イングランド銀行に兌換紙幣の発行権を独占させた金本位制が確立しました。

イギリスが勝利できたのは、国債や不換紙幣でうまく軍事費が調達できたためで、フランスが負けたのは軍事費が調達できなかったのが一因言われています。前にも述べましたが、昔から大国であったフランスは王様が横暴で国債を何度も踏み倒し、国債を買う国内外の銀行家の信用を失います。フランスは国債発行に大変高い金利が必要となり、発行もできなくなります。またナポレオン1世はフランスで不換紙幣がハイパーインフレを引き起こしたことで紙幣を嫌い、発行しようとはしませんでした。フランスが軍事費を調達するには周りの国を侵略して財産を奪うしかなく、だんだん軍が疲弊していきました。それに比べて昔は小国であったイギリスは国内外の銀行家から信用されないと大変なので王様が国債を発行すれば、国債は王様の借金ではなく国の借金として責任を持ち、国民から税をとって、苦しみながらもなんとかお金を国内外の銀行家に返せていたのです。こうしてイギリスは銀行家に信用されフランスとの戦争の時には安い金利で国債を発行できました。産業革命のおかげで、大量の不換紙幣を発行しても経済の大混乱を免れたのも戦争に勝った一因でした。ならイギリスは国の信用だけで不換紙幣を発行し続ければよいのに、わざわざ金本位制に戻す必要があったのかと思うかもしれませんが、当時の人々の多くは、金銀などと交換できない、国の信用だけの不換紙幣は経済の大混乱の原因にもなると考えられて、よく思われなかったのです。

 

URUについて

 

もっと知りたいなら

 

YouTubeのURUチャンネルへ

 

 

 

  金本位制の国際的な拡大

 

 

産業革命で18世紀半ばのイギリスは工業も発展し世界中から原料を輸入して国内の工場で加工して輸出、世界の工業生産で圧倒的な地位を築きます。17世紀からはじめた植民地獲得のための世界進出もすすみ、イギリスの植民地支配はアメリカ、カナダ、オーストラリア、インド、エジプト、東南アジア諸国、アフリカ諸国に及んでいました。フランスとの戦争で発行した大量の不換紙幣の処理も終えつつあります。イギリスは貿易で世界にたくさんのモノをもっと売って儲けたいと考えるようになりました。しかし、貿易で受け取るお金は外国通貨です。もし外国で何かあって経済が大混乱してしまえば、受け取った外国通貨は価値がなくなり、大損してしまう可能性があります ちょうどイギリスにはフランスとの戦争の時に足りなかった金も潤沢にありました。イギリスは貿易で大損しないように、貯まっている金を使って、金本位制を国際的に拡大し金と通貨の交換を各国が保証しするようにしようと考えます。先ほども述べた1844年にイギリスが中央銀行となったイングランド銀行に金と交換できる兌換紙幣を独占的に発行させたのは金本位制を国際的に拡大させるために世界各国を信用させる目的でもありました。こうしうて貿易で決済手段に用いられる基軸通貨としてイギリスのポンドが世界各国から認められ、イギリスは世界各国に金本位制の採用を求めました。金本位制を採用しない国はイギリスと貿易をいつまでも続けられません。金を持っている国はイギリスにならい徐々に金本位制を導入し始め、1873年にはドイツ、フランス、アメリカ、1897年には日本とロシアが金本位制に移行します。

 

 

金本位制のメリットは持っている金の量に応じてしか通貨を発行できなないため、ハイパーインフレにならないということですがそれだけではありません。自国通貨と外国通貨の交換で金を共通の尺度にするため、貿易で通貨のやり取りがしやすくなります。例えば、日本の金本位制は金0.75グラム=1円での交換を保証していました。円とポンドを交換するなら、金1オンスは約31グラム、31グラム÷0.75グラム≒41円となるので「約41円=金1オンス=3ポンド1シリング10ペンス半」となります。自国の通貨を外国の通貨に換えるの外国為替市場といって様々な国や地域の通貨を売買(交換)する市場です。その市場での通貨の交換比率を為替相場といいます。市場といっても証券取引所のような建物があったりするわけでありません。この市場で円とポンドが売買される場合、仮に1ポンド=5円から1ポンド=10円となると、円安ポンド高になります。「円安」とは、外国の通貨に対して円の価値が下がっている状態のことです。また1ポンド=5円から2ポンド=5円となると、円高ポンド安になります。「円安」は、外貨に対して円の価値が下がっている状態のことです。為替相場がひどく不安定な場合は貿易の損得を計算しにくくなり、貿易が縮小してしまいますしかし金本位制では為替相場が金を通して「約41円=金1オンス=3ポンド1シリング10ペンス半」と常に安定し円安ポンド高とか円高ポンド安といったことにもならないので、損得を計算しやすく貿易がお互いに拡大するのです。

 

 

これでイギリスはポンドで世界の経済の中心となる地位を確立しました。それができたのは圧倒的な工業力と広大な植民地を有し、世界で最もお金がある国になっていたことが理由です。

 

もっと学びたいなら

 

URUオンラインスクール

 

無料体験

 

 

竹花さんの会社MDSの

 

GoogleMAP集客サービスに

 

に興味のある方はこちら

 

 

インスタ集客サービスに

 

興味のある方はこちら

 

 

HP制作サービスに

 

興味のある方はこちら

 

 

LINE集客サービスに

 

興味のある方はこちら