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  古代の金と銀

 

 

大古の昔から金は輝きがあり、腐食しにくく薄くのばせて、分割できることから、世界中の人々に価値があると信じられ、何とでも交換可能でした。紀元前3500年頃、メソポタミア文明を築いたシュメールという民族が楔形文字を発明し、その文字を使った粘土板に「アヌンナキ(神)は地球に金を掘りに来た」と記されており、これが大古から金が人々に価値を認められていたという証拠になっています。また銀は同じメソポタミア文明の古代都市ウル(現:イラク南部)の墓地から銀の宝飾品発見され、銀製品は紀元前3000年頃から存在していたことがわかりました。これらは大古の昔から貴重れ綺麗な金銀が人々に価値を認められていたという証拠になっています。ちなみに古代では純度の高い金も掘り出せばそのまま出てくるのが多いのに対し、純度の高い銀は掘り出してもそのまま出てくるのが大変まれで、純度の高い銀を得るには精錬の必要があったため、銀の方が価値が高いとされていました。しかし精錬技術が発達し銀鉱石からの生産が増えると銀の価値は金に比べ低くなります。とはいえ、銀も貴重なものには変わりはありませんでした。

 

 

 

前のブログで出てきましたが、元前7世紀に現在のトルコの西部にあったリディア王国で作られた金と銀の合金で作られた「エレクトラム(エレクトロン)貨」と硬貨がつくられました。古代から違う土地に住む違う民族同士での品物の取引も世界各地で盛んに行われていましが、このリディアも取引の要所でした。貨幣がない時代の取引は、主に物々交換で砂金が交換に使われていました。しかし砂金は天秤で重さをはかるのに手間や時間がかかることから、取引を便利に進めていくために、偽造が難しく持ち運びしやすい、金と銀の合金である貨幣がつくられたのです。これがエレクトラム貨です。リディア王国の貨幣は多くの国々でその利便性が注目され、世界各地に広まっていきました。金と銀の合金ではなく、世界で純度の高い金貨や銀貨もつくられました。金貨は本格的に流通させるには、量が少なすぎるし、価値が高すぎるため、富裕層が蓄財用として貯めておくか、せいぜい高額な買い物に用いられるぐらいで、庶民にはほとんど手に入りません。銀貨は庶民にも使われました。

 

 

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  ニュートンと金本位制

 

経済が単純である場合は金貨や銀貨だけでもよかったですが、やがて経済が発達し複雑になると、金貨や銀貨だけでは足りなくなりました。金や銀はたくさんとれるものではありません。そこで価値の低い銅を使った金貨、銀貨と交換できる銅貨も鋳造されるようになります。このようにお金自体を誰もが高い価値を認める金や銀でつくって流通させたり、たくさんの銅貨を金貨や銀貨と交換できようにするような経済は「金本位制」「銀本位制」「金銀複本位制」というものになります。

これらは通貨発行量が金銀の保有量に左右されます。国が持っている金銀以上に通貨をつくることはできません。ヨーロッパでは金銀の供給が安定しないため、銀本位制、金銀複本位制がとられましたが、領主や教会が貨幣鋳造権を握って粗悪な銀貨をつくったり、銀そのものが不足したことが原因で、貨幣経済が衰退することもありました。中国ではあまりとれない金、銀は西洋以上に貴重であり、中国の王朝がほぼ独占していました。その代わり中国では銅がたくさんとれるため、おもに金や銀と交換できないが、王朝が価値を保証した銅貨や鉄貨を鋳造して流通させて経済を動かしましたが、西洋よりも巨大で強い権力の王朝が支配していた中国ではこのようなことができたのです。ただし中国の歴史では王朝が貨幣鋳造権を完全に独占できない状況も長く続き、王侯や民間で鋳造された銅の私鋳銭がつくられたり、質の悪い銅貨も大量に出回って経済が混乱、ハイパーインフレになることもありました。

時代は進み、16世紀の大航海時代で発見された南北アメリカ大陸や、日本から金銀が大量にヨーロッパに流入しました。しかも水銀による銀の精錬法が開発され、これまで無価値とされた銀鉱石から銀が取れるようになり、金貨と銀貨の価格の変動が激しくなります。とくに銀の価格の下落は激かったのですが、イギリスが17世紀から植民地支配のために進出していたインドでは銀が高値で取引されていました。イギリスでは金銀複本位制がとられていましたが、銀がイギリスから海外へ流出、このままではイギリスで人々が商売に使うための銀までもなくなり、経済危機に直面しました。

 

 

この頃、万有引力のを発見したことで有名な物理学者であるアイザック・ニュートンさんがイギリス王立造幣局の長官となっており、ニュートンさんは危機回避のため、金と銀の値打ちをかけ離れないように双方の価格を安定させようします。

 

 

1717年にイギリス大蔵省は金と銀との交換比率を金1:銀15.21とするいわゆるニュートン比価を定めました。しかしニュートンさんは銀を高く評価しすぎており、インドでは交換比率が金1:銀10でした。そのためインドで銀10を金1に交換しさらに金1をイギリスで銀15.21に交換して、その差の約5の銀を儲ける者が続出しました。こうしてとうとう銀がほとんどなくなってしまいますが、逆に金がイギリスに流入します。また当時ブラジルを植民地としていたポルトガルは、ブラジルのミナスジェライスで発見された金山から採掘された金を、イギリスへの貿易赤字の補填に利用していたので、さらに金が流入して貯まっていたため、イギリスはほとんど金貨だけで経済を回そうとします。これでイギリスは制度上は金銀複本位制でしたが、金本位制に近い状態になりました。

 

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  国王の悩み

 

 

これは三井住友アセット・マネジメントの2020年3月のコラムに書いているのですが、戦争になると莫大な軍事費が必要になります。国は可能な限り増税や国債の発行をして軍事費を調達しますが、たいてい足りません。軍事費を増税ですべて賄おうとすると国民が反発しますし、国債の発行も面倒で間に合わなくなります。お金をつくるための金も銀も足りません。なので1番簡単で楽な方法である不換紙幣を大量に刷ってし軍事費を調達します。しかし不換紙幣の発行はハイパーインフレなどの経済不安の原因になります。なので国内外の銀行家からはお金を貸しても、外国政府からは貿易しても大損すると思われ、信用されなくなる危険があります。ヨーロッパの国王たちは長年この問題に頭を悩ませました。フランスでは国債を発行しても国王が何度も踏み倒して、国債を買う国内外の銀行家の信用をなくし、フランス革命後には不換紙幣を大量に刷りすぎてハイパーインフレになりました。

 

 

イギリスは1792年に起こったフランス革命戦争で政府が膨大な軍需物資を購入し、また1780年代に起こった産業革命の影響もあって好景気でインフレとなり、紙幣もたくさん必要になりました。国債を発行し増税もして紙幣、かつてのニュートンさん政策のために大量の金が流入し金本位制に近い状態とってなっているイギリスでも持っている金の量ではまだ紙幣が刷れずとても足りませんでした。

これ以上の増税は国民が反発しますし、国債の発行では間に合いません。このまま紙幣が足りなくなると、好景気が終わって不景気になります。これは軍需物資の生産が止まり、イギリスはフランスに敗北するということでした。そこで切羽詰まったイギリスは金と交換ができない「不換紙幣」をなくなく大量に多くの銀行に刷らせます。当時のイギリスは後に中央銀行となるイングランド銀行が紙幣の発行権を独占しておらず、様々な民間銀行が自分で紙幣を発行していました。

 

 

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