竹花さんに学びたいなら

 

YouTubeの竹花チャンネルへ

 

 

  物々交換とお金

 

 

事業を行うのに不可欠なことのひとつは現在の経済の状況と将来どうなるのかを考えることです。まず経済について理解するために、お金の起源から勉強していきます。大古の昔は人々はお互いに欲しいものを物々交換していました。しかし物々交換では、お互いのどちらかが持っているものを欲しくない場合には、交換ができませんし、自分が欲しいものを持っている人がなかなかいない、交換しようとしても価値が見合わないということもあり、必要なときに必要なものが手に入りません。また食料の交換だと鮮度が違うという問題もあります。なので物々交換だと必要なときに必要なものが手に入りづらく、大変不便でした。そこで何か便利に交換できる仕組みがないかと多くの人々が考ええ、農作物、家畜、塩、服や住まいに欠かせない布など、誰もが欲しがり、いくらあっても困らないものが、引換券のような交換の道具として利用されはじめました。これがお金のはじまりともいえます。しかしこれらのものは持ち運びに大変不便で、何十年も保存できるものではありません。分けるのも難しいです。こうして持ち運びに便利でいつまでも保存できて、かつ皆が欲しがるものを交換の道具にできないかと人々は考えました。そして使われるようになったのが、貝殻や石や砂金です。砂金は美しく輝き、なかなか採れない貴重なもので大古の人々にも高い価値を認められていました。

 

 

貝や石には何の価値もないではないかと思うかもしれません。貝殻や石でもそこらへんにあって簡単に採れるものではなく、遠い海でしかとれない美しい貝殻や山奥でしかとれない宝石のような石で、採るのに危険が伴い苦労するものです。このような貝殻や石は大古の多くの人々に貴重なものとして高い価値があると認められ、持ち運べるしいつまでも保存できるので交換の道具に利用できたのです。とくに貝殻は貝貨というお金となり、個数を数えやすい、小額単位に向いており日常の取引に使える、模造されにくい、腐食や変質しにくいなどの理由で中国ではじめアジア、アフリカ、アメリカ、オセアニア各地で長い間利用され、13世紀から14世紀に最も活発に流通しました。貨幣関係の漢字で貨・財・寳・貯・買・購・賃・貴・販・貧・賠・償など一部分に「貝」の字がは入っているのは中国で約3000年前からタカラガイという貴重な貝が貝貨として利用されたためです。アフリカでは20世紀に入っても貝貨が利用されていました。パプアニューギニアのニューブリテン州のラバウルでは現在でも法定通貨と同時に伝統的な貝貨をお金として使うことが政府から認められています。あと中国では貝貨の他に、しかし貝はとれなくなったり、石と砂金は天秤で重さを測って取引しており面倒でした、貝殻、石、砂金を持ち運ぶのもやっぱり面倒です。人々はさらに取引きに便利なものはないかと考えます。すると鋳造技術が発達してきたため、金、銀などの貴重で人々が高い価値を認める金属で貨幣がつくられるようになります。貨幣は重さではなく、数を数えられますし、かさばらず、さらに持ち運びも便利になりました。現在までに発見されている世界最古の鋳造貨幣は紀元前7世紀に現在のトルコ西部、アナトリア半島のリディア王国で金と銀の合金で作られた「エレクトラム(エレクトロン)貨」です。あと中国では貝貨の他に銅を使って貝貨を模造した「倣製貝」というものがつくられました。これは偽物ではなく、貝貨と同等の価値があると中国の人々から認められます。鋳造技術が発達するとこの銅の倣製貝はやがてもっと便利で扱いやすい銅貨となって使われます。銅の産出が少ない四川では鉄銭がつくられました。しかし鉄銭は重く、高額の取引には向きませんし、錆びやすく、中国の商人たちには人気がありませんでした。10世紀になって中国で製紙技術や印刷技術が発達すると豪商の組合が商人たちの鉄銭を預かり、紙の預かり証を発行します。商人たちは預かり証を使って取引もできました。この預かり証が「交子」といって世界初の紙幣となりました。

 

 

竹花さんの会社MDSに

 

ついて知りたいなら

 

YouTubeのMDSチャンネルへ

 

 

  ヤップ島の「フェイ」

 

 

このように物々交換を便利にするために世界各地で自然発生的にお金の役割をするものがお金の起源だという説は商用貨幣論といって、現在はこの説が広まっています。商用貨幣論は「経済学の父」と称される18世紀のイギリスの経済学者、アダム・スミスさんが提唱したものです。しかし大古の経済が物々交換で成り立っていた事実が誰にも証明されておらず、物々交換からお金ができたのではないという説も最近になって盛んに主張されるようになりました。世界銀行の元職員で世界的な経済評論家のフェリックス・マーティンさんの著書「21世紀の貨幣論」(2014年)での話ですが、西太平洋のミクロネシア連邦のヤップ島に「フェイ」という円形ないしは長円形の真ん中に穴の開いた大きな石があります。小さいものでは直径10cm大きいものでは直径3.6mにもなるものがあり、重さは大きい物は1トンを超えます。運べるように真ん中に穴が開いています。

 

 

原始時代を舞台にした有名なマンガ「はじめ人間ギャートルズ」に出てくるような真ん中に穴が開いた丸い大きな石のお金がフェイのイメージです。ヤップ島の資源は魚、ココヤシの実、ナマコや家畜の豚ぐらいしかありません。これらや土地などの取引にフェイがお金のように使われました。このフェイに使う石はヤップ島から500キロ離れたパラオでないととれません。ヤップの島民は舟でわざわざパラオに向かいパラオの島民と話し合って石を採らせてもらいます。採った石は削って、穴をあけフェイに変えて、舟に乗せて持ち帰りました。西太平洋を粗末な舟で渡り、しかも大きな石を載せて帰ってくることは大変危険で、多くの島民が犠牲になりました。フェイは苦労してパラオからもって来られて、大きく重いフェイほど宝石のように高い価値があるとヤップ島の島民は信じていたのです。フェイの価値は大きさや重さだけでなく子々孫々に語り継がれるフェイを手に入れるまでの話の壮大さや壮絶さでも決められます。わざわざ犠牲を払ってまで石を手に入れて、フェイをつくるのは偽物が出ないようにするためで、簡単につくられた偽物のフェイで島の経済が破壊されて、島民が絶滅してまうのを防ぐためともいわれます。フェイなら持ち運びするときもありますが、大きなフェイは運ぶのが難しくめったに動かしたりしません。またヤップの島民はおおらかですし、大きな重いフェイなどを盗もうとして動かす人もいません。フェイは基本的に所有権だけが変わるしくみになっています。

 

 

例えばフェイを持っているAさんが、Bさんからナマコを譲ってもらったとします。Aさんは対価として自分の持つフェイの所有権をBさんに渡すと宣言し、そのことを島民に知らせて、口約束で相手の了承と島民にさえ認めてらえれば取引が成り立つの不思議な仕組みなのです。またBさんからおつりがあれば、そのおつりは繰り越され、AさんはまたBさんからおつりの価値に等しいものがもらえるようになっています。おつり分のフェイを運んで渡したりというのもまずありません。またフェイの所有者が変わったことや取引の内容を何かに書き残したりすることもありません。フェイと島民の記憶が記帳になります。新しいフェイの所有者であるBさんはフェイを譲ってもらったことを、子供や孫などに語り次いでいきます。1871年にヤップ島に流れ着いたデービッド・オーキフさんというアメリカ人はフェイに目をつけ、その後香港に渡って船と石を削る機材を手に入れてパラオに行き、自分でフェイをつくってヤップ島に持ち込みました。オーキフさんのフェイはまったくの偽物ではりませんが、あまり苦労して手に入れたものではないと島民にすぐに見抜かれ、価値が低かったといいますが、それでも石鹸やロウソクの原料になるココヤシの実の白い果肉を乾燥させたコプラやナマコと交換できたのです。コプラとナマコを香港で売りさばいたオーキフさんは大きな財産を得たといいます。

 

URUについて

 

もっと知りたいなら

 

YouTubeのURUチャンネルへ

 

 

 

  メソポタミア文明の粘土板

 

 

現在の中東イラクの一部で紀元前3000年頃に栄えた、世界最古の文明といわれるメソポタミア文明では、粘土の板に穀物や家畜などの人々の財産の数を書いて管理していました。

 

 

簡単に考えますが、ある粘土板には、大麦の収穫の時に、この粘土版を持ってきた人にDはX量の大麦をあげます。」と書かれています。例えばDさんがCさんからを銅の槍を譲ってもらったとします。Cさんは対価として今すぐDさんからモノの価値と同じ大麦をもらうこともできますが、粘土版をを受け取れば、時間がかかりますが収穫の時ときに今よりももっと多いX量の大麦をもらうこともできます。この利息のような考え方もメソポタミア文明にはありました。Cさんは大麦をももらわずに、粘土版をもらいました。今度はCさんはEさんから、収穫の時にもらえる大麦X量と同じ価値の酒を譲ってもらい、対価としてEさんに粘土版をあげます。Dさんが信用できる人なら、EさんはDさんから収穫の時に、X量の大麦をもらえるのです。これは粘土板がお金の役割をしていることになります。

 

 

このように大古の昔からヤップ島やメソポタミア文明のように債権と債務による信用取引は世界各地で存在しており、フェイや粘土板のような信用取引を便利にするためにつくられたものがお金の起源であるとする説が信用貨幣論です。信用貨幣論では物々交換は瞬時に取引が成立するので特定の行為や給付を強いることができる債権と特定の人に特定の行為や給付を強いられる債務が存在せずお金は必要ないとされます。また商用貨幣論では貴金属などのようにそれ自体に希少性があり、交換価値があるものとして考えられていました。信用貨幣論ではフェイや粘土板、紙幣、貨幣のようなお金は単に債務の記録である「借用書」とされています。さっきの粘土板の話ですが、ただの粘土板に小麦と交換できるほどの価値はありません。しかし、経済に参加する全員が粘土板を収穫の時期に1年後に大麦と交換しなければならない借用書として考え信用すると、粘土版がお金として成り立ちます。信用貨幣論では多く人々の信用さえあれば金や銀のように綺麗な貴重品でなくても何でもお金になります。ビットコインなどの仮想通貨がその例だともいわれています。金、銀、貝などがお金になったのは、綺麗で貴重なものの方が人々に信用されやすかったからです。信用貨幣論はアメリカの経済学者でニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のステファニー・ケルトン教授が提唱した現代貨幣理論(MMT:Modern Monetary Theory)という理論の基礎となる考え方です。ここでは現代貨幣論については話はしませんが、この新しい理論には根強い反論もあります。

 

 

もっと学びたいなら

 

URUオンラインスクール

 

無料体験

 

 

竹花さんの会社MDSの

 

GoogleMAP集客サービスに

 

に興味のある方はこちら

 

 

インスタ集客サービスに

 

興味のある方はこちら

 

 

HP制作サービスに

 

興味のある方はこちら

 

 

LINE集客サービスに

 

興味のある方はこちら