★ 茶髭の熊のブログ (^(ェ)^)ゞ -5ページ目

★ 茶髭の熊のブログ (^(ェ)^)ゞ

★ 人畜無害、時に毒舌。 日常生活や趣味道楽 などを書いています。
★ 更新:【 第2木曜 】、他・随時更新。(2010年9月2日開設)  . 

 

近年、道内では道立高校が次々と消えていく。
言うまでもなく少子化のためである。
そのため、高校のない自治体も増えてきた。

さて、その際、道に対し厳しく反対する自治体及び関係者が少なくない。

しかしながら、近隣の道民からすれば消えて当然で、潰すことこそが急務と思うのだ。

それほど永続を望むのなら、なぜ自分の子弟をその高校に入れないのか。
自分の子弟は、近隣の進学校や他地域の私学に入れて、何をぬかすのか。
誠に勝手の極みで腹立たしいことこの上ない。

まあ、理不尽な寝言をほざいても、粛々と潰されるだけで何ら問題はないことではある。

 

*   *   *   *

 

 

今は亡き母が老人ホームに入居していた時の話だ。

ホームでは日毎、月毎、季節毎に行事を行う。
それが、体操であったりゲームであったりカラオケであったりのレクレーションのほか、外部招聘の演芸だったりする。

これらの催しへの入居老人の参加具合に違いがある。

自分独自の趣味の有無により参加率が大きく違う。

将棋や囲碁が趣味の場合、ホームのレクなど迷惑でしかない。
また、ジャズやクラシックなどの趣味の老人は、演歌主体のカラオケは五月蠅いだけだ。
そもそも、1950年代のロカビリーや1960年代のビートルズ等のロックを20歳で聞いた人は現在80歳から90歳だ。
しかし、どういうわけか老人クラブや老人ホームのカラオケは演歌の割合が多い。
そのため、カラオケに参加しない老人も少なくなかった。

興味深いのは、団塊の世代を含むそれ以上の年代の老人は団体行動が好きなようだ。
この世代は、何をやるにも団体が多かった。


団塊の世代の親自体が、職場の家族会単位の催しに家族で出向いた。
今はほとんどの業種で家族会など消滅したが、当時は事実上の強制参加であった。

だから、団塊は団体を苦にしない。

今一度、考えたいことは『趣味を押し付けられる苦痛』だ。
お仕着せの既製レクレーションを押し付けられるのは、自分独自の趣味を持つ者には苦痛でしかない。

しかし、世の中の独自の趣味を持たない老人は、自ら善行を広げると勘違いして催しを勧めるのが困ったところだ。

なお、ホーム側の視点で見れば、高参加率は自らの実績でもあり高めたいところだが、入居老人としては迷惑でしかない。

 

*   *   *   *

 

友人に旅行好きがいる。
月のほとんどを旅して、居宅することがごく僅かだ。

友人は伴侶に先立たれた老人だ。
頻繁に旅に出るようになったのは、奥方を亡くした1年ほど後だったろうか。
寂しさを紛らわすためと思ったが、そうではなかった。

本日は、わが友の「“ほぼ住所不定”旅行老人」が宣う「旅の勧め」を述べたい。

以下は彼の談による、「余はどうして旅に出るか」である。

◆一番目は、家事からの解放だ。
食事や掃除、洗濯等の家事一切をしないためだ。

◆二番目は、旅行中は水道光熱費は、ほぼかからない。
もちろん全く浮くわけではないので、旅行費用の方が多い。

しかしながら、年金に加え、彼の親から引き継いだ株式運用益があるので何等問題はないそうである。

◆三番目は、呆け防止だ。
旅は、歩く距離が大きく延びて健康に良い。
また、非日常のアウェイ環境は脳を強く刺激する。

◆マンションは旅に良い

友人は、奥方の一周忌の後持ち家を処分し、マンション住まいとなった。
一軒家だと、長い留守は不味いがマンションなら防犯環境が良い。

深山幽谷等のアウトドアを除き、一般的な旅先は、健康等の救急事態があっても、対応されやすい。
居宅でも、腕時計形式の救急対応サービスはあり、友人もそれを利用しているが、それとは別の安心感があるという。

以上が、友人の談だが、独り身にとっては家事からの解放が何より助かるという。

そして、体力的に旅が無理になれば、老人ホームを終の棲家とするという

 

*   *   *   *