先月、米国の世界的投資家W・バフェット氏が来日した。
氏は一部の日米の逆神ともいえる投資家や評論家等と違い、オーソドックスな投資に基づく際立った実績のある投資家である。
本日は、投資の話は横に置き、氏の食の好みについて述べたい。
氏は、1989年に来日した。
その際、ソニー創設者盛田昭夫氏のディナーに招かれた。
バフェット氏は、盛田夫人が―おそらく必死に―勧める料理を全て辞退したという。
後にバフェット氏は、氏の関係者に「最悪だった。二度と日本食は食べない」(実際食べなかったので見たくもないということか)と語ったという。
この話は有名で知る人は多い。
さて、似たことは幕末にあった。
来航した米国ペリー提督への饗応の膳が盛大に執り行われた。
今日の額にして億単位を要した豪華なものだった。
しかしながら、米国人はカステラ以外を口にしなかった。
幕府御用達の料亭による日本料理は、当時の西洋人には衝撃でしかなかった。
前述のソニーのディナーにおけるバフェット氏の件は個人の好みの問題だが、幕末の本件は食文化の障壁だった。
異民族を接待する際の料理の、「文化的障壁」は古今東西数多く記録されていることではある。
当時、限定的交易を行ったオランダから、欧米の情報を得ていた幕府であったが、西欧式外交プロトコルや饗応料理にまでは至らなかったのだろう。
また、幕府がオランダから西洋式外交プロトコルを学んだとしても、西欧式料理を提供するには無理がある。
しかし、カステラだけだったとは、情けないことである。
なお、ソニーの件は、担当者が事前に来賓の好みを調査しなかった、もしくは誰とは言わぬが主催者の意向が強く押し出されただけのことだろう。
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