「今」を生きる。という事を比喩を使って説明します。
で観念をコンピュータのバックグラウンドプログラムという比喩をしました。
この比喩を使うと、「今」とはスマホでしたら「今」開いている画面。PCでしたら「今」アクティブになっているウインドウ。
こんな感じです。
アクティブになっていない・・・バックグラウンドで動いているプログラム。
そのプログラムを(いらなければ)アンインストールするか、動作に問題なければ「終了」して、「今」開いているウインドウだけにする。
これが「今を生きる」なんです。
このブログをスマホで読んでいたとして、バックグラウンドでカーナビアプリとかを動かしていたら、CPUにもかなり負担がかかっていると思います。
意識も同じように、負荷の大きな処理をする考え方のクセ(観念)が気づかずに(バックグラウンドで)意識に負担をかけているのです。
中でも答えの出ない「なぜ?」というような思考は、物凄く負担が大きいです。
意識および脳にどれだけ負担をかけているか?が感覚的にわかると思います。
「瞑想法」などはバックグラウンドで動いている思考を停止するための技法(Do)です。
「瞑想」はバックグラウンドプログラムが停止した状態でBeにあたります。
意識していなくても、価値判断をベースとした観念がバックグラウンドプログラムのように動いている事がたいがいです。
「価値判断」をしないように自分の思考に注意を払った事があれば、どれだけ意識をしないで「価値判断」をしているか、を理解出来ると思います。
で、「今ここ」について書きましたが、バックグラウンドで動いている思考がクセモノなんです。
そのバックグラウンドの思考を停止した『自分』は引き寄せる事が出来ます。
「今ここ」とはどういう事か、なんとなくでも理解出来たかと思います。
バックグラウンドで動いていて、生命維持に無関係のプログラムを停止させるイメージを持って
「今ここ」に生きている『自分』
「今ここ」に気づいた『自分』
を引き寄せ設定してみて下さい。
思考で考えるよりもカンタンな事に気づけると思います。
荒崎雅行