どうしてもマクロな情報に興味が集中してしまう。昔からそうだ。身近なニュースよりも、国際的な話題に注目する。学術書についても、マクロな、というよりも、抽象的·包括的な議論に目がいってしまう。自分の悪癖である、と言うことには薄々勘づいてはいるのだが...。原因は何なのだろうか。
恐らく、「身近ではないから」なのだろうと思う。トートロジー的な説明になってしまうが、この表現が最もシックリくる(行為に影響した動機を自ら論ずるつもりのため、その言語化は難しい。可能な限り客観性を持たせて論じたい)。より具体的には、自分にとって直接的な影響が少ないと考えられるから、とでも言えるだろうか。
古来から人は神話やファンタジーなど、現実とは離れた世界に憧憬をもった。非日常を楽しんだのだ。その感覚と類似している※。誤解を恐れずに言えば、マクロな情報への興味とは、自分とは関係のない、遠い世界の物語を楽しみたいという欲求なのだ。
こと自分に関して言えば、メディアからの情報に関してこうした志向性が昔から働いている。現実の、身近な、影響力の強い情報の流入をシャットダウンし、非現実的で、疎遠な、傍観していても差し支えないような情報の集積を好む。とどのつまり、これは現実逃避に他ならない。故に、悪癖であると断じることができる。
実際、マクロな情報も、結局は自分に影響を及ぼしていることはわかっている(バタフライ効果、とまでは言わないが)。要は、その影響が及ぶ速度と、婉曲性と、威力の違いだ。とは言え、身近な情報の集積の方が実生活における即戦力であることは否定できない。
どうにかしてこの悪癖を克服したいものだ。
※ファンタジーにもリアリティは必須である。適度な現実と非現実の構成比率が、作品の完成度に寄与する。最も、現在のサブカルチャーの動向を観察すると、リアリティの割合が極端に高い作品、なんとなれば、ほぼ現実や日常を題材としているものが多い。私はこれを、「サザエさん志向性」(仮)と名付けたいのだが...。この議論はまた別の機会に。
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恐らく、「身近ではないから」なのだろうと思う。トートロジー的な説明になってしまうが、この表現が最もシックリくる(行為に影響した動機を自ら論ずるつもりのため、その言語化は難しい。可能な限り客観性を持たせて論じたい)。より具体的には、自分にとって直接的な影響が少ないと考えられるから、とでも言えるだろうか。
古来から人は神話やファンタジーなど、現実とは離れた世界に憧憬をもった。非日常を楽しんだのだ。その感覚と類似している※。誤解を恐れずに言えば、マクロな情報への興味とは、自分とは関係のない、遠い世界の物語を楽しみたいという欲求なのだ。
こと自分に関して言えば、メディアからの情報に関してこうした志向性が昔から働いている。現実の、身近な、影響力の強い情報の流入をシャットダウンし、非現実的で、疎遠な、傍観していても差し支えないような情報の集積を好む。とどのつまり、これは現実逃避に他ならない。故に、悪癖であると断じることができる。
実際、マクロな情報も、結局は自分に影響を及ぼしていることはわかっている(バタフライ効果、とまでは言わないが)。要は、その影響が及ぶ速度と、婉曲性と、威力の違いだ。とは言え、身近な情報の集積の方が実生活における即戦力であることは否定できない。
どうにかしてこの悪癖を克服したいものだ。
※ファンタジーにもリアリティは必須である。適度な現実と非現実の構成比率が、作品の完成度に寄与する。最も、現在のサブカルチャーの動向を観察すると、リアリティの割合が極端に高い作品、なんとなれば、ほぼ現実や日常を題材としているものが多い。私はこれを、「サザエさん志向性」(仮)と名付けたいのだが...。この議論はまた別の機会に。
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