うつ病になったSE(システムエンジニア)の夫とその妻の鬱克服日記!! -8ページ目

うつ病になったSE(システムエンジニア)の夫とその妻の鬱克服日記!!

SE(システムエンジニア)でバリバリ働いていましたが、現在"うつ病"で心療内科に通院中。

同じようにSEでうつ病になった方、もしくは身近な人がうつ病になってしまったという方に役立つ体験談となるよう、鬱を克服してゆく様子を記します!

こんばんは、たーです。

今日、うどんを食べていたのですが、歯が欠けました・・・。

まだ食後のうちはそれほど目立たなかったのですが、家に帰り、歯を磨くと完全に歯がなくなりました・・・。ガーン

ガーン


歯抜けジジイです。

違和感がものすごくあります。

これも薬をODして、てんかんのようにぶっ倒れて机にぶつかり歯を欠けたものから来ています。

前歯が欠けたのは、自殺未遂のときと、職場でのてんかんのときと、2回目ですね。

あくまで歯が欠けたの話です。他の箇所をぶつけたとかなら数え切れないほどぶっ倒れています。

とりあえず、週明けにでも歯医者に行こう。

前歯が欠けるのって、めちゃくちゃ気持ち悪いですね。

なるべく笑い顔で歯を出さないようにしよう。
こんにちは、たーです。

昔は、うつに悩まされ何をするにしても気力がわきませんでしたが、最近は、元気すぎる状態が続いています。

僕の場合、躁の状態が続くので、「双極Ⅰ型障害」に分類されますが、軽い躁の場合は、「双極Ⅱ型障害」に分類されます。

躁の場合、以下の症状が現れます。

①自分が偉くなったように感じる
②いつもよりおしゃべりになる
③色々な考えが次々と頭に浮かぶ
④注意がそれやすい
⑤活動性が高まり、ひどくなると全くじっとしていられなくなる
⑥後で困ったことになるのが明らかなのに、つい自分が楽しいことに熱中してしまう
(例えば、買い物への浪費・性的無分別・ばかげた商売への投資など)

僕の場合、①、②、③、⑥が当てはまります。

躁の場合は、うつが完治したと思い込みます。僕がこの状態です。

しかし、ムードスタビライザー(デパケンやリーマス)を使うことで、ある程度の気分の浮き沈みを抑えることができます。

双極性障害は完治が難しい病気なので、ムードスタビライザーを使いながら治療を行っていくことにします。
僕が小学校6年の頃、初めて小倉競馬場に馬を見に行きました。

もちろん、馬を見るのは嘘です。

父親が親戚の叔父と馬券を買いにいくのに、いつも僕を誘うのです。

最初は、競馬なんて面白くもないのに、いやいやながらついていってたんですが、だんだんと競馬の魅力にひかれ、毎週土日は、家で競馬観戦をして過ごしました。



僕が競馬の道に足を踏み入れたのは、ビワハヤヒデという馬が天皇賞を買ったときです。

今から、23年ほど前でしょうか。

競馬場が終わると、競馬場の隣にあるゲームセンターでお店が閉まる深夜0時まで競馬ゲームをしていましいた。

僕も競馬が好きになっていたので、ゲームセンターに行くのを心待ちにしていました。子供の頃は毎日っていっていいほど、競馬ゲームをしに、ゲームセンターに足を運びました。

メダルは、50枚で1000円です。一レースに10枚使っても5レースでコインがなくなってしまいます。

すぐさま1000円と、メダル50枚を交換しに行きます。

「万馬券=メダルが100枚以上」を獲得すると、音がなります。同時に競馬ゲームを楽しむ人に、万馬券が当たったことが分かるのです。

これは気持ちいいことでした。

ここでも”負けず嫌い”という性格が出ていたんだと思います。

次は、「DV、離婚へ・・」です。
僕の実家は、運送業をしています。

祖父が運送業を兄弟から受け継ぎ、そこに名古屋の大学を卒業した父親が実家に戻り、やり始めた仕事は祖父の元でのトラック運ちゃんでした。

遠いときには、北は東京まで荷物を運ぶのですが、ほとんどは”地場”と呼ばれる九州管内行きの荷物。

朝の4時くらいに仕事に行き、速いときには夕方の3~4時には仕事を終えます。

ただ、仕事が終わりまっすぐに帰宅するならいいのですが、近所の酒屋に行き”角打ち”と呼ばれる、酒屋の店頭で仲間と飲み、ぐでんぐでんになりながら帰宅するのです。



小学校から帰ってくると、だいたいよっぱらった父親が毎回同じ戯言をつぶやきながら家で待っています。

そして休日は、僕を連れ出し、トラックの横にのせ、九州圏内を回るのです。

道中は無線で父親がトラック仲間と会話をします。僕もトラック仲間と会話をしました。

小学校の頃、もうすでに九州は行ったことがないというほど、父親とトラックの旅を続けたものでした。

いい話はここまで。

トラックの旅が終わると、決まって角打ちが始まります。

僕は小学生ながら、よっぱらったおじちゃん達の相手をせねばならず、いつ喧嘩が始まるかひやひやしながら会話を行ったものでした。

常に喋る相手は皆年上でしたので、自分を殺しながら喋ることを小さい頃から身につけました。


この頃でしょうね、周りにひどく気を使う性格になっていったのは・・・。

次は、「競馬観戦は動物園」です。


子供の頃と言えば、本当に馬鹿らしいことでもムキになったりします。




今でこそなくなりましたが、昔ボットン便所というものがあったと思います。

ボットン便所は、汲み取り式便所のことで、糞尿がタンクに溜められそこで処理されることなく、月に1~2回清掃業者が汲み取りに回るものです。

子供の頃は、誰々がボットン便所に落ちると笑いのタネになっていましたが、小学4年生のときに、そのボットン便所に石を投げつけ、その跳ね返りを競うみたいな競技が開催されることになりました。

主催者は僕。

運動場の端にある便所なので、辺りには面白いほど石が転がっています。

10人くらいが集まり、次々に石を投げつけていたのですが、思いっきり投げつけても、便所より高くは跳ね返ってきません。

そこで業を煮やしたのか、友達の一人が10cmほどの石を見つけてきて、思いっきり投げ込んだじゃないですか!

「ピッチャン」。

跳ね返りが便所より高く飛びました。Σ(゚д゚;)勢い余って友達の一人の顔にも跳ね返りがかかりました。

これで決まりか!?と思っていたところに、僕が登場。

植木の根元に転がっていた大人の頭くらいはあろうかという石を、わっしょい、わっしょいと便所にもってきて、思いっきり投げつけました。



たぶん、この頃から負けず嫌いだったんだと思います。

「ゴチン・・・」。なんか嫌な音がしました。ガーン

見ると、便器が思いっきり欠けていました。そりゃそうです。便所の穴より大きな石を投げたものですから、そもそも入るわけありません。

みるみるうちに、みんなの顔が真っ青になりました。∑(-x-;)

便器を割ったのは僕です。正直に担任の先生に報告することにしました。

「え?便器を割った?」担任の先生もどうしていいものや分からなく、校長先生に報告することになりました。

そして、後日、全員の親が呼ばれ、校長先生、教頭先生、担任の先生と緊急ミーティングが開かれました。

もう絶対このようなことがないようにと・・・。

僕が便器を割ったせいで、友達全員の親が呼ばれ、みんな叱られていました。

いたずら好きの僕も、このときばかりはちょっと反省しました。ガーン

次は、「父親はトラック野郎」です。