うつ病になったSE(システムエンジニア)の夫とその妻の鬱克服日記!! -17ページ目

うつ病になったSE(システムエンジニア)の夫とその妻の鬱克服日記!!

SE(システムエンジニア)でバリバリ働いていましたが、現在"うつ病"で心療内科に通院中。

同じようにSEでうつ病になった方、もしくは身近な人がうつ病になってしまったという方に役立つ体験談となるよう、鬱を克服してゆく様子を記します!

----------------
★断酒3日目★
----------------

こんばんは、たーです。わんわん



本日で安静室3日の夜を迎えました。

断酒をすると強い離脱症状が表れるといいますが、幸い顕著な離脱症状は現れていません。

僕は、去年の7月に自分の意思で断酒を試みたことがあるのですが、その時は振戦せん妄を経験しました。

振戦せん妄とは、重度のアルコール依存症患者にみられる離脱症状(禁断症状)の一つで、飲酒を中断して後数日に不安・興奮・発汗・頻脈・手の震え・幻覚・意識障害などの症状が現れる症状のことです。

僕は、虫が体を這い回るような幻覚を経験し、大声を上げて叫んだ記憶があります。

また、大量の寝汗をかき、寒気が止まらなくなり、体重が3日間で5キロも減少しました。

その記憶から、今回もせん妄が起きたらどうしようと不安に感じていましたが、どうやらその症状からは免れそうです。

しかし、ソワソワした感じはあります。

手の震えも止まりません。

あと、1日我慢しよう。
----------------
★断酒2日目★
----------------

こんばんは、たーです。わんわん



昨日から安静室に過ごしていて、今日で2日目。

全く何もする気になれません。

入院前にお酒を飲まないと、本も読めないし、音楽も聴けない。パソコンも触れないし、風呂にも入れない。そういう状況が1ヶ月ほど続きました。

これはおかしいと思い、心療内科の先生に抗鬱剤であるサインバルタを処方して頂き入院しました。

アルコール専門病院でも、その処方から引き続き、サインバルタを飲み様子を見ることが決まりました。

今日は一日ベッドに横になり過ごしました。

断酒会に来た入院したことのある患者さんは、安静室で過ごすのは退屈だったと話していましたが、何もする気になれないので、安静室で過ごす毎日は、自宅のベッドで過ごす毎日となんら変わりありません。

ちょっとずつ薬の効果が表れるのを待ちたいと思います。
----------------
★断酒1日目★
----------------

こんばんは、たーです。わんわん



アルコール依存性を治療するため、アルコール専門病院へ入院が決まりました。

今年の2月末までアルコール依存性で精神科に入院していましたが、退院するなりお酒を朝から飲む始末。

一日中お酒を飲み、γ-GTPの値も1000を超え、仕事も休む毎日が続きました。

お酒を絶とうと思い、断酒会にも参加しましたが、結局行ったのは3回に留まりました。

そこで知り合った断酒会の会長から、あなたは一度アルコールの専門病院に入院したほうがいいと言われ、今回の入院を決意しました。

アルコール専門病院では、アルコールに関する専門のプログラムがあるといいます。

プログラムを受けるとアルコールに対する意識が変わるかもしれない。

入院して4日間は安静室といって、アルコールの離脱症状を抜くために、個室でトイレ以外は部屋の外にでるのも禁止の状態で過ごさないといけません。

昨晩までアルコールを摂取したため、禁断症状からかひどく焦燥感が出ています。ガーン

4日間きついと思いますが、アルコールを抜くために頑張ろう。
皆さんお久しぶりです。たーです。

2年間ブログを停止していましたが、あれから色々ありました。

嫁さんとは別れて福岡に戻り、再就職した仕事でボロボロになって、一昨年の暮れにビルの9階から飛び降りて自殺しました。

幸い命はとりとめましたが、全治4ヶ月の大怪我でした。

その時に、病院で書いた日記です。

-----------------------------

後生に残すのと、もう決してこのようなことを起こさないようにという自分への戒めも込めて日記を書きます。

事故の原因はマンションの9階からの転落。忘れもしない10月10日の深夜二時での出来事。一部の友人にはなぜ転落したかの真実を伝えています。

階段からの転落ではありません。9階の踊り場から1階の真っさらなコンクリートの地面まで真っ逆さまの転落。

地面に叩きつけられたショックで意識が飛びました。いや、記憶はあったのかもしれません。家族に電話をし、「マンションから落ちた」と電話してるのですから。また、自分で110番をし、救急車も呼びました。しかし、電話の途中で意識が無くなり、結局助けは呼べませんでした。

発見されたのは二時間後の午前四時過ぎ。幸いにも通行人が発見してくれ、救急車を呼んでくれたようです。後で分かったことですが、落ちた周辺は血の海になっていました。

ちょうど落ちた場所に5cmほどの鉄のフェンスがあり、その上に落ちたため、それがクッション材の役割を果たし奇跡的に助かったようです。ちょっとでも落ちた場所がずれていればコンクリートに叩きつけられアウトでした。鉄のフェンスは原型を残さないほどグニャグニャに曲がっていたそうです。

すぐに最寄りの済生会福岡総合病院に救急搬送。心配して早朝まで起きててくれた家族にも病院側から連絡がいった模様。

生死の境を彷徨いました。意識が戻ったのは実に五日後。病院側から家族には、「正直に申し上げて生きるか死ぬか五分五分の状態です。覚悟はしておいてください」との説明があったと後日聞きました。

事故の症状としては、両側血気胸、出血性ショック、広範囲肺挫傷、左大腿骨骨骨幹部骨折、右下肢膿瘍というものでした。また、肋骨も八本折れていました。

血気胸というのは胸に怪我をし、胸腔内に血液と肺から漏れた酸素がたまった状態。

胸腔内は血の海で、体内の20%の血液が失われるという出血性ショックの状態でした。一刻も早く処置をしないと死に至ります。

また、肺がつぶれ、広範囲に渡り肺の中に血液がたまっていました。

半死半生状態です。

すぐさま胸に二箇所穴をあけ、肺に直接チューブを突き刺し、血液と酸素を抜く胸腔ドレナージという処置を施行。

同時に呼吸ができないため、人工呼吸器を使って口から管を入れ直接酸素を送り込む処置も施しました。

それからは集中治療室(ICU)での生活が始まりました。そのICUでの治療期間は実に16日間。

大腿骨の接合手術が行われたのは入院日から七日後の10月17日。開放骨折で骨が飛び出ていたので、直達牽引を行ない、膝関節から骨盤までチタン合金の板を入れました。

集中治療室での日々はまさに地獄。二時間おきに肺にはすぐに血痰がたまり、計器で痰がたまったことを知らせるアラームが病室内に鳴り響きます。すぐに看護師さんが口から痰を吸い出すためのチューブを気管深部まで入れ、痰を吸引。当然ものすごく苦しいです。涙を流しながらの嗚咽との戦い。看護師が近くにいない深夜とかになるとナースコールが命綱。片時も離さないように手に握りしめていました。

また自力では呼吸ができないため人工呼吸器に頼る日々。一向に酸素濃度が改善されないので、ベッド横に置かれた人工呼吸器からの電車の走り去る音に相当する70~80デシベルはあろうかという騒音で眠れない日々が続きました。

高熱も出ました。最高で39.8度、低くて38度後半という高熱がICUにいる間の16日間出続けました。血液検査でも肝数値が通常時の10倍まで跳ね上がり、黄疸が出る始末。

毎朝早朝に血液検査をされ、一日に何本も痛み止めと抗生剤の点滴を打たれました。両手にはもう打つ所がないんじゃないかっていうくらい注射針の跡が残っていました。

集中治療室から開放され、一般病棟に移ったかと思えば、左大腿骨骨幹部骨折術後感染が発覚。手術した左大腿骨の30cmにも及ぶ傷跡から細菌が入り、皮下に膿がたまった状態だったので、それを取り除く第二回目の緊急手術が11月1日に行われました。しかも、その細菌がメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)という普通の抗生剤が効かない種別の菌だったので、さあ大変。

一錠13800円という高級フランス料理フルコースが食べれてしまうザイボックスという薬を一日二錠、一ヶ月飲み続けました。

そして入院日から68日後、手術日から数えて左大腿骨の症状としては厚生労働省が定めている制限一杯の二ヶ月の12月17日で急性期病棟である済生会を去る事になりました。

そしてそのまま転院先の病院へ。現在回復期の病院でリハビリを続ける毎日。

全治四ヶ月はかかる見込みと言われたので、あと二ヶ月頑張らないといけません。

今は幸いにも車椅子と松葉杖で移動できるので、看護師さんの助けなく日常生活がほぼ(全部ではありませんが)送れています。

普通の人には入院生活は堪え難い苦痛でしょうが、僕は本当のどん底を味わっているので、比較的悠々とした日々を過ごしています。

-----------------------------

今は、幸いにも新しい”福岡”の会社でつい最近新しい嫁さんを見つけ、再スタートをはかっている状態です。

もし”うつ病”に関して分からなければ別のブログをやっていますので、そこで読者申請していただいてメッセージ頂けると幸いです。

今後ともよろしくお願いいたします。

おはようございます、たーです。


最近になってみるみる状態が回復していくのが、分かります。


精神運動抑制からも解放されつつあります。


”~したい”という欲求も出てきました。


ちょっと前までは、活動時間の半分はベッドで悶々とする日々が続いていましたが、現在ほぼ90%くらいはTVを見たり本を読んだり、音楽を聞いたりする時間を作り出すことができます。


あれほど慢性的な”うつ状態”に悩まされていた人間がこの1カ月くらいで、別の人間に変わりつつあります。


原因はいくつか考えられます。


一つは、ストレスフリーの状態が続いていることです。


まず、仕事をしないといけないという焦燥感から解放されていることです。


嫁さんが働いてくれるおかげで、生活を維持できますし、自分自身も傷病手当、障害年金からお金を貰うことで当面は何もしなくても生活に困らないということで焦燥感もありません。


また、そのことで周りから仕事をしてくれと言われるわけではないので、精神的な圧力もありません。


次に薬やお酒からの依存状態から抜け出しつつあるということです。


薬は嫁さんに厳重に管理され、気分が落ち込む→薬をODするという負のスパイラルから抜け出したということです。


これにはかなり時間がかかりましたが、今では精神安定剤を大量に飲まなくても、精神状態を維持することができています。


お酒についてもほぼ飲まなくても日常を過ごせるようになってきました。お酒を飲むと一時的なハイテンション状態にはなりますが、その後にはひどい抑うつ状態が待っています。


この2つから抜け出すには本当にかなりの時間を要しました。


この状態まで来るのに。少なくとも2年はかかりました。


僕がこの”うつ病”を経験し身をもって体験したのが、”うつ病”は薬だけでは治りません。


これははっきりと断言できます。


薬を飲み続ければ”うつ病”は回復すると、様々な本に記載、あるいはお医者さんも言いますが、あれはウソですね。


確かに薬にはセロトニンの分泌を促す効果がありますが、それだけでは不十分だと思います。


ストレスフリーの状態を何ヶ月か作り上げないと、回復するスピードはおそろしく鈍くなります。


人間は地球上で生活すると重力の影響を必ずうけます。これを実社会に例えると、重量=ストレスとなり、日々何かしらのストレスを受けています。しかし宇宙空間に飛び出すと重力の影響はなくなり、宙にふわふわと浮かぶことができます。


これがストレスフリーの状態です。元々ストレス=重力に耐えきれなくきれなくなった人間が、そのまま実社会に居座り続けると絶えずストレスからの影響を受けることになり、やがて動く、すなわち活動することも困難になります。


薬は重力=ストレスの影響を弱めてくれますが、それは一時的なもので、すぐに元の状態に戻ってしまいます。


焦燥感は重力の影響を受ける地表を全力疾走で走るようなものです。すぐに息切れを起こし、さらなる状態悪化を招きます。


ではどうするか。


一時的に実社会から自分の身を遠ざけることです。


仕事をしている方は、休職し全く仕事のことを考えなくなるまで待ちます。


これは言うは易しですが、行うは難しです。


人によって異なると思いますが、僕は2年かかりました。


中途半端に復職しても、また症状がぶり返すだけです。


周りからのプレッシャーを受けるようであれば、入院するのも一つの手です。


僕は幸いにも理解のある嫁や、家族に助けられましたが、一人でストレスフリーの状態を作り出すには恐ろしいほどの強靭な精神力が必要です。


たとえるなら、一人でストレスフリーである宇宙空間に飛び出すロケットを自分で作っているようなものです。


できないなら、家族や病院、医者やカウンセラーの力を借りましょう。


これも言うは易しですが、行うは難しです。


色々なものが入り組んでいるストレスを一つずつ解きほどいていく作業が必要になります。


ストレスフリーの状態を作り出すことに成功すると、驚くほどのスピードで抑うつ状態から回復できます。


精神運動抑制は弱くなり、徐々に活動意力が活発になってきます。


僕は今この段階です。


その後は徐々に重力=ストレスをかけていく作業が必要になるでしょう。


ある程度体が重量=ストレスに耐えれるようになったら、地上空間=実世界に再び再突入です。


中途半端だと大気圏で負荷に耐えられなくなり、空中分解しかねません。


まだ僕はちょっとしたストレスにも脆く耐えられないので、しばらくは慣らしが必要でしょう。


その内容も追ってブログに書く予定です。


ではでは。