手抜き洗車? なにそれ美味しいの? -5ページ目

髪の毛染めたんだけど、、、



思った色に染まらなかったよwww

でも、これはこれでいいかも。

今回はどちらかというと、オリーブっぽくしたかったんですよ

けど、実際はいつもの色に仕上がったという、、、、


どーゆーふうやねんw


あ、数年ぶりに自分で染めてみたんです|-`).。oO

やっぱり美容院で染めてもらった方がいいや( ´∀`)


今日は、いろいろ有意義でしたよ。

ここ数年で一番有意義だったかも←


モーニング行ってから、近くにネコカフェがあるから定休日を調べがてらそこへ行き

暇だったから古本屋へ、そして今晩の夕飯のお買いものしーの、で、さっき毛染めとww


手抜き洗車? なにそれ美味しいの?


いやーしかし、猫カフェ行きたいのお(*´ `*)

もふもふしてわしゃわしゃしたいのだ!

あー、萌えで溶けて消えてしまいそうw

にゃんぱろでぃは萌えの塊です(*´д`*)はぁはぁ


きもいとかゆーなよっw

今日は代休なのですw

先月分のねw


昨日は、カップとドリッパーと割ってしまったのでどっからか輸入中なんですw

今度は全体に割れない代物なんで気をつけたく、、、、


交響曲 第9番 ニ短調 作品125 合唱


さっそくいきます(笑)


第4楽章に合唱が登場するベートーヴェンの交響曲第9番は、

日本では年末恒例の行事として広く愛されている。


「喜びの歌」として有名なこの最終楽章の歌詞は、ドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーが1785年に、人類愛と人間の終結による平和をテーマに書いた「歓喜に寄す」という詩を基にしている。

この詩が書かれたのは、ちょうどフランス革命の4年前にあたり、ドイツではまだまだ封建的な君主政治が強い力を持っていた時代である。


シラーの詩は、こうした封建政治に反対して「全ての人間は兄弟になる」という理想を高らかに歌い上げた、大変革新的な精神にあふれたものだ。


なお、現在では否定されているが、初めシーらはこの詩を「自由に寄す」という台にするつもりだったのだが、発禁処分を受けるのを恐れて、「自由(Freiheit)」という表現を「歓喜(Freude)」に変えたという説もあった(ちなみに、1989年にベルリンの壁の崩壊を記念して行われた特別演奏会で、バーンスタインは、あえて「歓喜」を「自由」と変えて歌わせている。


これも、この詩が「自由」や「平和」のシンボルとなっているからこそだろう)

シラーがこの詩を書いたころ、ベートーヴェンは15歳の少年でボンに住んでいた。

少年ベートーヴェンはシラーの詩を読んで「歓喜に寄す」に書かれた世界に共感し、これを作品にしてみたいと思ったのかもしれない(無論、憶測にすぎないのだけれど)

けれども、実際にベートーヴェンがこの詩を題材に作曲を、それも交響曲を作ろうと考えたのはずっと後になってからの事である。


1818年、つまりベートーヴェンがシラーの詩を知ったであろう時からおよそ30年ほど経って、ベートーヴェンは、ロンドン・フィルハーモニー協会から2曲の交響曲の作曲依頼を受けた。

この2曲を、ベートーヴェンは1曲は器楽だけのものにし、もう1曲は声楽を使ったものにしようと考えたらしい。

だがその後、ベートーヴェンは「ミサ・ソレムニス」の作曲に没頭する時期を迎え、この交響曲の計画はとりあえず頓挫している。


それから4年後に「ミサ・ソレムニス」が完成すると、ベートーヴェンは改めて交響曲の作曲に向かう事になり、ロンドン・フィルハーモニー協会とも改めて作曲量の契約などを交わしている。


おそらくこの時に彼は、純粋に楽器だけの交響曲と器楽を用いた交響曲という2曲のプランを立てたようだ。

結局、ベートーヴェンはこの2つの交響曲を一つの作品にする事に考え直し、終楽章にしらーの「歓喜に寄す」を用いてこれを全曲のクライマックスにする、という構想が打ち立てられた。


ただし、シラーの詩はそのまま使われた訳ではなく、前24章のうち9章が選ばれ、1824年2月頃に完成した。

1824年5月7日、この音楽史上かつてないスケールとアイデアを持った型破りの交響曲は、ウィーンノケルントナートーア劇場で、ベートーヴェン自身の指揮によって初演を迎える事になった。


ただしこのとき、ベートーヴェンはすでに耳がまったく聞こえなかった為、実際の指揮は宮廷劇場楽長ウムラウフが指揮を行い、ベートーヴェンはその横で各楽章の出だしを指揮していた。

独唱は、H.ゾンダーク(ソプラノ)、K.ウンガー(アルト)、Aハイツィンガー(テノール)、J.ザイベルト(バス)。

オーケストラ編成は、ヴァイオリン24、ヴィオラ10、チェロとコントラバス12、管楽器はスコア指定の倍管。


合唱は、各パートが20~24人で構成され、またソプラノとアルト声部は少年合唱団が受け持った。

最終楽章が終わった時、爆発的な拍手喝采が起こった。


ところが、耳の聞こえないベートーヴェンは、人々の喝采に気づかづに聴衆に背を向けたまま。

アルト独唱のカロリーネ・ウィンガーが彼の手をそっと取り聴衆のほうへ体を向けてあげて、はじめて彼にも、帽子やハンカチを振って歓呼の声を上げる聴衆の熱気が分かった、というエピソードが残されている。


第1楽章

アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ウン・ポーコ・マエストーソ、ニ短調。

ホルンを伴った弦楽器によるトレモロで、この交響曲は神秘的に始まる。

壮大でありながら、どこか苦悩に満ちた表情をもった重々しい楽章。


第2楽章

モルト・ヴィヴァーチェ、ニ短調。

古典的な交響曲の決まりに従えば、ここはゆっくりした楽章に成るべきなのだが、ベートーヴェンはここはスケルツォを置いた。

ワグナーはこの楽章を「あたかも絶望に逐いたてられて絶望を逃れ、絶え間なく休みない努力のうちに、新たな道の幸福を負い掴もうとしているかのごとく」と表現している。


第3楽章

アダージョ・モルト・エ・カンタービレ、変ロ長調。

清らかな愛情に満ちた、天国的な美しさを持つ楽章。


第4楽章

プレスト、ニ短調-アレグロ・アッサイ、ニ長調。

オーケストラによる序奏の中から有名な「歓喜の主題」が登場。

まずバリトンの独唱が「おお友よ、このような音ではない。もっと心地よく、もっと喜びに満ちたものに声を合わせよう」というベートーヴェン自身が書いた一句を歌う。そして、「もっと心地よく、喜びに満ちたもの」として、シラーの詩による「歓喜の主題」が合唱によって歌われていく。


ベートーヴェン:シラーの頌詩「歓喜に寄す」 による終結合唱


おお友よ、このような音ではない!

もっと快いもっと歓びに満ちたものを

歌い出そうではないか!


喜びよ、美しき神々の花火よ、

それは楽園から来た乙女なのだ、

われらは火のごとく酔いしれて、

天にもまがう汝の聖堂に踏み入るのだ!

世俗の習慣が強引に引き離したものを、

汝の魔力は再び結び付けてくれる。

汝のやさしい翼のとどまるところ、

すべての人々は兄弟となる。


ひとりの友を真の友にするという、

難事を克服したものや、

優しい心の女性を妻にした者は、

喜びの声とともに挙げるのだ!

そうだ、この世界の中で

たとえ一つでも人の心をかち得た者は共に歓ぶのだ!

しかしこれらに失敗した人は

涙しつつこの同盟から去らねばならぬ。


生きとし生ける者は

自然の乳房から歓びを飲む。

全ての善なる者も、悪なる者も

自然の開いたいばらの道をたどって行く。

その自然はひとしく我らにくちづけとぶどうの房と、

そして、詩の試練をくぐりぬけた一人の友を与えた。

情欲的快楽は虫けらに与えられたのだ、

そして神の御前には智の天使ケルビム立ち給う!


天の広大な計画に従って

神のさまざまな天体がめぐり行くように、

歩め、兄弟たちよ、汝らの道を、

凱旋の英雄たちのごとき歓びをもって。


抱擁を受けよ、もろびとよ。

全世界の接吻を受けよ!

兄弟よ! 星の輝く天蓋の上に

愛する父がおわします。

地にひざまずいたか、もろびとよ?

造物主のいましことに気づいたか、世界よ?

星の輝く天蓋の上に、彼らを求めよ!

そこに、必ずや彼はおわします。

運命を説明するとか言いましたがw

気が変わりましたwwww


今日は、のだめカンタービレで有名な曲をww


ベートーヴェン 交響曲 第7番 作品92


ベートーヴェンは1808年に交響曲第6番「田園」発表した後、3年ほど交響曲の作曲から遠ざかっていた。

これは、彼を取り巻く環境が悪化したためである。

1809年にオーストリアとフランスは交戦状態に入り、5月にはナポレオン軍がウィーンに侵入してきた。

フランス軍の占領は7月まで続いたが、その間ベートーヴェンは、面倒を見てくれていた貴族たちが皆逃げ出してしまったウィーンで、家の地下室に逃げ込んでいたという。

しかもこの時期、彼に耳の病は悪化の一途をたどっていて、絶え間なく続く砲声から悪くなる耳を守ろうとして、地下室で枕を耳に押し当てていたというのである。

ベートーヴェンの様な人にとって、そうした状況がどれほど心に深い傷を残したかは想像に余りあるものがある。

「不安で野蛮な生活、周囲にあるのは軍鼓と大砲と人間とあらゆる種類の不幸ばかり」という言葉は、彼の痛ましい胸の内えお表している。

交響曲第7番には、こうした苦難の歳月を乗り越えたベートーヴェンが、新たに獲得した創作力の大きさを物語る作品である。

この曲の一番の特徴は、「リズムの喜び」とでもいったものである。

ワグナーはこの作品を『舞台の聖化」と呼び、「メロディーとハーモニーはあたかも人体組織のごとく活気あるリズムの形象をもってよどみなく流れ・・・・・」と表現したが、全曲を通してリズムの面白さが、聴く人の心を浮き立たせるのだ。

そしてこうした、音楽におけるリズムのクローズアップは、ベートーヴェンが、例えば交響曲第5番などで見せていたような確固とした意志の力を、より強調している。

耳の病気、失恋、戦争といった様々な困難から立ち上がる時に彼が見せるその力は、巨大な推進力となって音楽を前へ進ませることになる。

交響曲第7番の各楽章に置かれたテーマは、いずれもこうした推進力を感じさせるもので、全体は、常に前へ進もうと知る力の塊といった印象を私たちに残すのである。

初演に際してこの曲が圧倒的な人気を勝ち得たのも、こうした力の偉大さを、人々が歓迎したからに他ならないだろう。


第1楽章

ポーコ・ソステヌート、4分の4拍子-ヴィヴァーチェ、イ長調、8分の6拍子、序奏付きソナタ形式。


第2楽章

アレグレット、イ短調、4分の2拍子


第3楽章

プレスト、へ長調、4分の3拍子


第4楽章

アレグロ・コン・ブリオ、イ長調、4分の2拍子


楽章の所、ちょっぴりサボりましたw


次回は無駄に詳しく?ベートーヴェン交響曲第9番ww