手抜き洗車? なにそれ美味しいの? -7ページ目

毎回、あまり有名どころを持ってこないので今回はw

モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K.550


モーツァルトが、晩年の1788年6月から8月にかけて次々と書きあげていった3曲の交響曲は、

どのような目的で作曲されたのかは分かっていない。


また、これらがモーツァルトの生前に演奏された記録が無い。


予約者が少ない為に流れてしまった演奏会の為のに書かれたという説もあるが、

そうした予約演奏会の作品としてはピアノ協奏曲のほうが理にかなっているし、別の機会の為に作曲された

可能性も捨てきれない。


この3曲の調整が1887年にウィーンで出版された、

ハイドンの「パリ交響曲」の3曲(第82番ハ長調、第83番ト長調、第84番変ホ長調)

と同じであったことから、それらに刺激されて筆をとったのではないかとも推測されている。

また、これも前述のように、最近ではモーツァルトの生前に何らかの形で演奏されたのではないかという説が

有力になっている。


当初はクラリネットを含まなかったこの交響曲を、モーツァルト自身がクラリネットを加えて書き直しているのも、

新たな編成で演奏される機会があったから行ったと考えるのが妥当ではないだろうか。


いずれにしても、晩年の苦しい状況の中で、このように優れた作品たちがごく短期間に

次々と完成させていったのは、驚くべきことで、これらの3曲を書き上げたモーツァルトは、その後

1791年に世を去るまでの3年間、再び交響曲の筆をとろうとはしなかった。


しかも、これら3曲の交響曲は、1曲ごとに楽器編成が異なっているだけでなく、

内容的にもモーツァルト晩年の感情や思想のそれぞれが異なる面を特徴的に示しており、

第39番は明るく喜ばしく、第41番「ジュピター」はタイトルの様に崇高で

スケールの大きな音楽によって知られている。


それに対して、39番から1ヶ月後の1788年7月25日に完成されたト短調交響曲は、

モーツァルトの不遇だった晩年の心境を映すように暗い色調を帯び、その音楽は、

この上なく美しく洗練られた哀愁をたたえている。

楽器編成は、フルート、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦5部で、後にクラリネット2が追加された。


第1楽章

モルト・アレグロ、ト短調、2分の2拍子、ソナタ形式。

ヴィオラが細かく刻む伴奏の上に、ヴァイオリンが奏でる哀愁絵をたたえた第1主題ではじまり、

やがて木管とヴァイオリンに半音階的ななめらかな第2主題が変ロ長調で出る。

展開部ではほとんど第1主題だけが扱われ、再現部の第2主題はト短調で表れる。


第2楽章

アンダンテ、変ホ長調、8分の6拍子、ソナタ形式。

2つの主題はともに平和な慰めにみちているが、その背景には独特の哀愁と劇的な力が秘められている。


第3楽章

メヌエット。アレグレット、ト短調、4分の3拍子、複合3部形式。

哀愁を帯びた、極めて巧妙に処理されたメヌエット主題で開始され、

弦と管が対話する中間部のトリオはト長調に転じ、この交響曲の中で唯一牧歌的でのどかな気分をもっている。


第4楽章

アレグロ・アッサイ、ト短調、2分の2拍子、ソナタ形式。

極めてドラマティックな緊張感にとんだ終曲で、強弱の激しい第1主題に始まり、活気にとんだ経過句を経て、

静かで美しい第2主題をヴァイオリンが歌い、それが木管によって確保される。

そして、第1主題を転調とフガートで巧妙に処理した緊張感にとんだ展開部を経て、

やがて2つの主題が再現される。

今度は、ハイドンじゃないですw

お久しぶりでww

最近はスピーカーの改造に精を出していたので更新できずwwww


さて、今日は気分を変えてモーツァルトといきましょう^^


交響曲 第35番 ニ長調 K.385「ハフナー」


1781年3月、ザルツブルク大司教に辞表をたたきつけたモーツァルトは、

以後ウィーンに定住するが、第35番「ハフナー」は、新天地における最初の交響曲となった。


しかし、その音楽は、本来はザルツブルグの富豪ハフナー家の為にセレナード第7番ニ長調K.250を

作曲しているが、この第2の「ハフナー・セレナード」もやはり第6楽章の作品として

1782年7月末に完成されている。しかし、翌年春に自分の予約演奏会の為に新しい交響曲が必要になり、

そのセレナードから行進曲とメヌエット1曲を省いて改作したのがこの曲であった。


それだけに、その音楽は祝典的な明るさと力強く豪華な気分を持ち、

しかも交響曲としての統一感にも全く不足していない。


楽器編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニー

弦5部である。


第1楽章

アレグロ・コン・スピーリト、ニ長調、2分の2拍子、ソナタ形式。

第1主題を対位法的に展開した楽章で、モーツァルトは父への手紙で

「まさに烈火のごとく進まなければならない」と述べている。


第2楽章

(アンダンテ)、ト長調、4分の2拍子、ソナタ形式。

ウィーン風の明るく優雅な緩徐楽章である。


第3楽章

メヌエット、ニ長調、4分の3拍子、3部形式。

短いが、やはりウィーン風の典雅な魅力を持っている。


第4楽章

フィナーレ。プレスト、ニ長調、4分の4拍子、ロンド・ソナタ形式。

モーツァルトが「出来るだけ速く」演奏するように望んだフィナーレで、

第1主題は、オペラ「後宮からの誘拐」のオスミンのアリアから採られている。


ではw

今日も、無駄に詳しくwww

ハイドン 交響曲第101番 ニ長調 時計


ハイドンは、1792年7月24日にウィーンに戻ったが、大成功であったロンドン訪問も

ウィーンではほとんど話題になっていなかった。


しかし、そのおかげでハイドンは、以前にもまして落ち着いて創作に励む事ができ、

第1期の6曲はすべてロンドンで作曲されたが、今回は旅立つ前に交響曲99番を書きあげたほか、

第100番「軍隊」と第101番「時計」をウィーンで着手し、

さらに6曲からなるアポニー弦楽四重奏曲(第54~59番)もこの時期に完成した。


1792年11月には、ウィーンに出たベートーヴェンがハイドンに入門したが、その関係が長く続かなかったのは

2人が性格的に合わなかった事もあるが、ハイドンが創作に忙しかったことも一因であったと言われている。


そして、1794年1月19日にウィーンを発ったハイドンは、2月4日にロンドンに到着して、

2月10日から5月12日の間に12回の「ザロモン・コンサート」を指揮し、さらに3回の慈善演奏会を開いて、

前回以上の成功を収めた。ただ、ザロモンのコンサートは、、フランス革命に端を発する戦争の為に

大陸から一流歌手を招くことが困難なった事を理由に、1794年で打ち切られてしまった。


しかし幸い、それに変わって「オペラ・コンサート」という演奏会が新たに組織されて、

1795年2月2日から5月18日までに9回開かれ、第2期「ロンドン・セット」の最後の3曲は、

このオペラ・コンサートで初演された。


そして、今回の訪問でも、しばしばイギリス王室一家に招かれたハイドンは、それまでもっぱら

ヘンデルの作品を愛好していた国王にも気に入られて、このままイギリスに留まるよう求められたという。

しかし、ウィーンを発った直後にアントン・エステルハージ侯が急逝し、

息子のニコラウス侯からオーケストラの再建を手紙で請求されていたハイドンは、8月15日にロンドンを発って、

同月末にウィーンに戻った。


なお、ハイドンが2度のロンドン訪問で得た金額は2400ポンドに達し、

旅費や滞在費は900ポンドにすぎなかったという。


新しい主君のもとでの任務があまりにも忙しくなかった事もあるが、晩年のハイドンが自由に創作に励み、

オラトリオ「天地創造」をはじめとする傑作の収入があったからともいわれている。


交響曲第101番はウィーンで着手して第2~4楽章を書きあげ、第1楽章はロンドンで作曲されて、

1794年3月3日の第4回「ザロモン・コンサート」で初演された。


弦楽器に適しているだけでなく、金管楽器やティンパニーにも効果的なニ長調という調性は、

「ロンドン・セット」でも好んで用いられており、4曲のニ長調交響曲があるが、

この曲は第104番とともに最も優れた1曲として知られている。


楽曲編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット(クラリーノ)2

ティンパニー、弦5部である。


なお、「時計」というタイトルは、第2楽章の規則正しい伴奏リズムが時計の振子を

連想させることから名づけられた。


第1楽章

アダージョ、ニ短調、4分の3拍子ープレスト、ニ長調、8分の6拍子、序奏をもソナタ形式。

第98ばんがそうであったように、この序奏も主長調ではなく、主短調であるニ短調で始まり、

さらに単一の動機によっている。

また、プレストの主部の8分の6という拍子も開始楽章としては珍しい。


第2楽章

アンダンテ、ト長調、4分の2拍子、変奏曲形式。

10小説と24小説がそれぞれ反復される主題と4つの変奏からなり、

伴奏部で規則正しいリズムがスタッカートで演奏される。


第3楽章

メヌエット。アレグレット、ニ長調、4分の3拍子、3部形式。

堂々としたメヌエットで、トリオはニ長調の低声部の上でフルートが歌う旋律になっている。


第4楽章

フィナーレ。ヴィヴァーチェ、ニ短調、2分の2拍子。

第一主題部の後に新しい主題が出るが、これは活用されず、第2主題は第1主題から派生した音形なので、

単一の楽想がロンド風に再帰することになり、しかも、それがソナタ形式に基づいて

構成されるという独特の形式をとっている。


指が疲れましたw