学校に行きたくない!
「ボク、学校に行きたいくない…」
子どもにこう言われたときに、皆さんならどうするだろうか?
アドラーはこのように言っている。
「甘やかされた子は、学校に上がると周りがチヤホヤしてくれないという経験をする。そこで彼らは自分に自信が持てずにおどおどするようになり、人生において何事も達成できなくなる」
家庭で可愛がられて、幼稚園や保育園では先生が我が子を手厚く面倒見てくれることが良い先生だと思う親は少なくない。
しかし、小学校1年生になるとその環境は大きく変わる。
幼児期は「大人がやってくれて責任を取ってくれた」が、小学校になると「自分のことは自分でやり、自分で責任をとる」という能力が問われる。
例えば…
・幼児期は迎えに来てくれたり親が送ってくれたが、小学生は自分の足で学校に行かなければならない。
・幼児期は先生が一人一人を見てくれたが、小学校では35人に1人の先生でOne of themになる。
・幼児期は大人がやってくれたが、小学校では自分のことは自分でやらなければならない。
・幼児期は好きな遊びをしたり伸び伸び外で自由に遊べたが、小学生になると45分授業で決められたカリキュラムに従わなければならない。
・幼児期は自分の好きな友達とだけ遊べば良かったが、小学校では好きになれない友達とも絡まなければならない。
・幼児期は泣けば親や先生が何とかしてくれたが、小学校は親はいないし、先生が何とかしてくれるとは限らない。
・幼児期は自分の好きな事だけをしていればよかったが、小学校では自分の好きな事だけではなく苦手な事や嫌いな事にも知り組まなければならない。
このように、幼児期は自由に甘えられて好き放題していればよかったことが、小学校に行くとルールに従い、自分で責任を持ち、相手の立場に立って考える能力が問われるのだ。
幼児期に家庭で訓練をされてこなかった子は、小学校に行って苦しむことになるだろう。
それを学校や友達のせいにしても根本解決にはならない。
小学校で起こる問題は、まだ序の口である。
ここで、家庭の教育や親の対応を変えるチャンスなのだと私は思う。
子どもの問題は自分の間違いに気づくありがたいチャンス!
ここで、少し長くなるがアドラーの言葉を紹介したい。
「人格の原型は4歳か5歳には既に出来上がっているので、それ以前に子どもが経験したことを見てゆく必要がある。何を経験するかは子どもによって実に様々だ。大人が考えるよりもずっと多様性がある。
大きな影響を与える経験の一つは、父親か母親による厳しすぎるしつけ、または虐待によって精神が抑圧されるというものだろう。これを経験した子どもは、精神の開放を求めるようになり、それが時には心理的排除という形になって現れる。
そのため、すぐに激昂する父親をもった女の子は男性を拒絶するような性格が作られるのだ。または、厳しい母親に抑圧されてきた男の子は、女性を拒絶するようになるだろう。
もちろん、この「拒絶する」という態度は様々な形に現れる。例えば、極端に内気になるかも知れないし、異常な性行動を取るようになるかも知れない。このような倒錯は、生まれつきではなく幼少期の環境から生まれるものだ。
幼少期に間違った扱いを受けて子どもは、その後の人生でおおきな苦労をすることになる。それなのに、その子が何らかの治療や指導を受けられることは滅多にない。両親は子どもの問題に気づいていないし、問題を子どもに伝えることもないのでねその子は性格の原型で決まった方向性に従って生きなければならない」〈原典 生きるために大切なこと 方丈社 A・アドラー著/桜田直美訳 p20 幼児期に出来上がる人格の原型より〉
行きたがらない原因追及を止める
子どもが「学校に行きたくない…。」
行きたがらないと多くの親は「行かない原因」を考える。
例えば…
・発達障害だから。
・友達が作れないから。
・先生が面倒見てくれないから…などだ。
中には、自分の子育てが悪かったとか、なんで行きたくないのかが分からないという親もいる。
大切なのは、原因を追究することではない。
もし、原因を特定できたとして、それが解決つかなければ問題は改善しない。
例えば…
・発達障害だから…。
発達障害が原因で学校に行けないとするならば、この子の発達障害が良くない限りこの子の問題は一生解決つかないことになってしまう。
・友達が作れないから…。
親が子どもの友達に対して友達になってほしいとか、友達になってくれない?と頼むと友達ができないかった時や友達と仲が悪くなった時に親のせいになったり自力で解決が付けられない。
・先生が面倒を見てくれないから…。
先生がどういう対応をするかは先生の課題であり、親が出しゃばることではない。相手を変えようとしたり、相手に原因を求めても一生解決はしない。相手は変えられないからだ。
以上のように「原因」を追究しても、解決しなければ意味がない。
親は、どうすれば子どもが楽しんで学校に行ってくれるのか?を望んでいる。
子どもを正しく導くには「子どもの心理」を知る必要がある。
次回は、解決策について書きたいと思う。