utsumakiのブログ
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汚い言葉は、嫌いです。

言葉遣いが下品なのも、苦手です。

その発言者自体を嫌いなわけではない場合もあるけれど、

だいたいその発言については、相容れないものがあります。

人そのものを嫌いではなくても、その言葉を嫌いだ、苦手だと思ったとき、

それもその人の一部なんだと感じたとき、

思わず、その人自身を嫌いになりそうになる。

汚い言葉や、下品な言葉を発しているとき、多くの場合、エネルギーもよくない。

誰かを責めていたり、何かを批判したりしている。

私を批判しているのではなくても、その思いを共感できない私のことも

責められているように思える。

もう少し冷静な言葉を言えないものか。

思いやりを持てないものか。

あの人の言葉はきついけど愛があるよね、ってのも、半分違うと思う。

共感できればそう思わないのか。いや、そうでもない。

共感するというのには、言葉や思想だけじゃなく、空気だって関係するし、

その根底に流れるエネルギーが現れてくる。

そして、汚い言葉は、誰かに利用されやすい。





  とりとめもなく、書きたいことがまとまらず。




  
心が痛くなる。

フェイスブックで、怖い言葉が飛び交って。

だから、見たくないものを見えないようにしていったら

見たいものだけ残るのかと思っていたら、

そうでもなかった。

残ったものは、どうでもいいものばかりだった。

今の心の状態が、そういう感じなのもあるとは思うけど、

普段、素敵だな、見たいな、共感するな、と思っていた人の

シェアや、投稿に、怖い言葉のものが多くあったことに気がつく。

さみしいな。

怖いな。




結局、人はいつまでも変われないのか。

誰かを攻めて、自分の無力さを責めて、一体何になるのだろう。

まずは日々を幸せに過ごすこと。

その日々が危険にさらされているとしても。

何があろうと、自分の中心で居続けること。




言いたければ言えばいいけど、言いたくないなら言わなけりゃいい。

言っている人に限って、こんなこと言いたくないんだけど。。。

と言う。

みんなが、口をつぐめばいい。

素敵な言葉が自分の中から生まれてくるまで。

それまで、沈黙を貫こう。

私や、私の友達の語る言葉は、すべてが愛であってほしい。


ものとのあいだには距離がある。

今見えている太陽は、8分前の太陽らしい。

織姫星のベガは、25年前の光らしい。

今、最新の技術で捉えられる一番遠くの光は、138億年前の光らしい。




今、目の前のパソコン、となりにいる人、

自分の手、コーヒーの入ったカップ。

それも、結局何もかも、過去。




でも、今だ。

それを認識しているのは今だ。

それを見ているのは今だ。




太陽の恵みを受けているのは今だ。

ベガに心寄せているのは今だ。

宇宙の果てを思い浮かべているのは今だ。

パソコンにブログを書いている気持ちは今だ。

となりにいる人を意識しているのは今だ。

自分の手が確かに動いているのは今だ。

コーヒーを飲んで眠気を覚ましているのも今だ。

結局、何もかも、今だ。




今そこに、太陽がなくても、

今そこに、ベガがなくても、

今この瞬間に、宇宙がもっと広がっているとしても、

今、過去の全てに生かされている私がいる。