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回想~2009年6月頃 その三 「光は射すのか」

入社3年目を迎えて

私が今の会社に入社したのは2007年4月1日。
初めての転職で緊張したが、スタッフの皆さんの親切なサポートにより、徐々に仕事を覚えていった。任されたのは、事業の売上で大きな比重をしめるアメリカ。代理店と連絡を取り合い、受注出荷をコントロールした。最初の数ヶ月はアシスタントとして、その後は主担当として年間数百件に上る注文を捌いた。とにかく件数が多く煩雑でフル回転で処理を行った。そのために日によって遅くまで残業することがあった。小さなミスはあったが、特に大問題になるような不手際はなかった。

2008年春。
間もなく一年を迎える頃、評価面談があった。その際は問題なく順調に仕事をこなしていると言われた。

問題はその後だった。
まず梱包部品の客先での紛失が立て続けに数件発生した。原因究明と再発防止策の検討に手間取り、一応の終結を見たのは9月に入ってからだった。

また同時期にもう一つ問題が発生し対策を練ることになった。何度か打ち合わせを行ったり、これも効果的な案をあげることができなかった。この問題は結局先輩預かりとなった。

そして、昇格試験。当初実力不足として受験を断ったが、やはり受けたいと翻意する。この試験で最も重要な論文試験の準備が始まった頃から上記2つの問題の処理とも重なり、上司たちからの圧力が増大する。

論文試験は上司のチェックが必須。何とか推敲して見てもらうが中々進歩が見られない。そもそも机上の空論のような展開に話が膨らまずうんざりしながら書いていたのだから無理もない。

日々彼らから攻撃を受け、気が付くと夕方。山のような注文処理が残っている。自分の論文のせいで遅くなっているし、派遣社員の皆さんにはなるべく定時に帰ってもらいたいという思いから作業依頼はせず、一人で遅くまで行った。日によって10時近くなることも度々。

夏が後半に差し掛かると、上司たちの指摘はさらに激しさを増した。一挙手一投足に指摘が入る。何から何までダメだし。日々の応酬により、次第に自信を失っていったのがこの頃である。会社での萎縮、自信喪失が始まり、日常生活における簡単なやりとりにも支障をきたす。

9月初旬初めて産業医の診断を受ける。上司との関係、業務量について説明。まず業務量の調整を行うが、それでも指摘は厳しさを増す。時間管理の徹底。ほうれんそう。随時報告、報告。それらが神経の衰弱に拍車をかけた。

11月に新婚旅行で南米へ行った後にも状況は大して変わらず、その後、ついに休職に突入する。

休職中は、主治医の指導により、規則正しい生活、ストレスを溜めないこと、適度な運動を心掛けた。週に一度の通院と投薬治療。上司への病状報告の際は、再び極度の緊張に襲われた。

そして、2月3日。節分。2ヶ月ぶりに出社。再び職場の空気を吸う。殆ど何も変わっていない。変わったのは会社の置かれた状況。この2ヶ月間で世界経済が100年に一度と言われるほどの大不況に陥っていた。

本格復帰に向けて、まず入力など軽作業をリハビリの一環として始めた。あれから4ヶ月。いまだに入力作業だけの毎日。休職から半年。半年もあれば新入社員だってそこそこの仕事ができるようになる。

上司との関係は相変わらず。面と向かうと極度の萎縮と緊張が起こる。これは昨年受けた強烈なストレスによるPTSDが原因だということが明らかだ。特に個室での二者及び三者面談は脅迫や尋問のように感じる。

この現状打開、そして会社へ貢献するためには配置転換しかないと思う。しかし社内を見渡してみると、どの部署もいかに人件費を切り詰めるかに必死。手を挙げてくれるところは皆無だ。

そうこうしているうちに三年目突入。何かできるようになっていると言うよりは、後退しているのが現状。厳しい状況である。目標設定と言ってもどうすればよいのか。どのように自分に肉付けをしていけば良いのだろうか。特にやることがない日々はストレスを増大させる。でもできることは少ない。今は未来が描けない。

希望の光は射すのか。