回想~2009年6月頃 その十三 「休職について振り返る」
今一度、当時の状況を検証してみたい。
そしてどのように再発防止すれば良いか考える。
2008年4月ころまでは、問題なかったと思う。その後、いくつかの問題に対処する中で、一つ一つチクチクした指導が強化されていった。パワハラ紛いの強烈な言動、ストレスの緩やかな蓄積。
7月、8月…。私にとっては大きな課題がたくさんの指導を受ける切欠となる。
●そもそも基本的なコミュニケーションがとれていなかった。
●その前提無しで込み入った案件を話し合った結果、全く整合が取れなかった。
8月頃、日常的コミュニケーションに不安を覚える状態に。9月初旬に産業医への相談を開始し、業務量は減少した。しかし、指導量は減るどころか増加を辿る。何かアクションがある度に、ダメだしの嵐。お説教2時間。精神崩壊。錯乱すること度々。不調の原因となった上司たちとのコミュニケーション問題が解決されぬまま2ヶ月ほど経過。業務量が減ったのになぜ回復しないのかと詰問される。
そして、最初の主治医から休職の薦め。診断結果は「鬱病」。(二人目の主治医は適応障害という診断。)11月末からおよそ2ヶ月の休職はランニングと料理の日々。
2月初旬、職場復帰。軽作業中心にリハビリ勤務が始まる。そして、6月15日の今でも続いている。PTSDにより、現職では上司への相談が必要な込み入った案件には携わることはできない。
なぜ本格復帰が遅れているのだろうか。原因は復帰当初の上司の対応にあると思う。休職に至った状況を省みず、早期の業務本格復帰を促したり、余計なプレッシャーを連発。「過度なストレスを与えたつもりはない。お前のキャパ不足、過剰反応だ。」などとのたまう。逆効果も甚だしい。あくまで自分たちの正当性は崩さない。そんな人たちと平静を保って仕事はできない。
体力は休暇により回復。体調は良い。それでダメなのだから、原因は明らかだ。配置転換が望まれるという診断書は、反故にされたまま。不安を抱えたまま月日は過ぎ、問題はいまだ解決の兆しを見せない。この状況は解決されない。
主因は、コミュニケーション。副因は、関係者の能力不足。私には仕事力不足。上司たちには指導力不足があった。
関係改善なくして進展なし。
そしてどのように再発防止すれば良いか考える。
2008年4月ころまでは、問題なかったと思う。その後、いくつかの問題に対処する中で、一つ一つチクチクした指導が強化されていった。パワハラ紛いの強烈な言動、ストレスの緩やかな蓄積。
7月、8月…。私にとっては大きな課題がたくさんの指導を受ける切欠となる。
●そもそも基本的なコミュニケーションがとれていなかった。
●その前提無しで込み入った案件を話し合った結果、全く整合が取れなかった。
8月頃、日常的コミュニケーションに不安を覚える状態に。9月初旬に産業医への相談を開始し、業務量は減少した。しかし、指導量は減るどころか増加を辿る。何かアクションがある度に、ダメだしの嵐。お説教2時間。精神崩壊。錯乱すること度々。不調の原因となった上司たちとのコミュニケーション問題が解決されぬまま2ヶ月ほど経過。業務量が減ったのになぜ回復しないのかと詰問される。
そして、最初の主治医から休職の薦め。診断結果は「鬱病」。(二人目の主治医は適応障害という診断。)11月末からおよそ2ヶ月の休職はランニングと料理の日々。
2月初旬、職場復帰。軽作業中心にリハビリ勤務が始まる。そして、6月15日の今でも続いている。PTSDにより、現職では上司への相談が必要な込み入った案件には携わることはできない。
なぜ本格復帰が遅れているのだろうか。原因は復帰当初の上司の対応にあると思う。休職に至った状況を省みず、早期の業務本格復帰を促したり、余計なプレッシャーを連発。「過度なストレスを与えたつもりはない。お前のキャパ不足、過剰反応だ。」などとのたまう。逆効果も甚だしい。あくまで自分たちの正当性は崩さない。そんな人たちと平静を保って仕事はできない。
体力は休暇により回復。体調は良い。それでダメなのだから、原因は明らかだ。配置転換が望まれるという診断書は、反故にされたまま。不安を抱えたまま月日は過ぎ、問題はいまだ解決の兆しを見せない。この状況は解決されない。
主因は、コミュニケーション。副因は、関係者の能力不足。私には仕事力不足。上司たちには指導力不足があった。
関係改善なくして進展なし。