1985年8月12日

 その日、私は実家(群馬県みなかみ町)でテレビを観ていました。

 

「東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えた」との速報がNHKのニュースで流れました。

 

 あれから39年という歳月が流れ、昨日(5/2)、初めて上野村「御巣鷹の尾根」に行ってきました。

 4月29日(月曜日)に冬季通行止めが解除されたばかりの道路を車で進み、そこから片道約40分の山道を歩きました。

 スマホの記録によると、何と最大心拍数「164」まで上昇。何度も立ち止まり、肩で大きく息をしながら、《昇魂之碑》を目指しました。

 遺族の方々が「慰霊登山」し易いようにと、登山道は階段状に、とても歩きやすく整備されていました。この登山道を整備されている(地元の?)方々の地道な努力に、本当に頭の下がる思いでした。

 

 《昇魂之碑》の周辺には、あちらこちらに慰霊碑が建てられていて、それぞれの方々の名前、年齢等が記されていました(犠牲者は520名)。

 

 あの日、機長はコントロールを失った飛行機の操縦桿を握りしめ、一人でも多くの乗客の命を救いたいとの想いで、何とかこの尾根までたどり着いたのでしょう...。

 

 色々と考えさせられる登山となりました。