昨夜のGP中国大会の羽生選手とエンカン選手のアクシデントの上での出場に多くの方が感動したとおもいます。
私もその一人で結果感動しましたが、途中の心のなかでは棄権したほうがいいとかムリしないでほしいとか思っていました。
そして棄権するだろうとも思っていました。
本人の意志だけでなく監督などの意見も尊重され慎重に考えられて、
お二人共競技に望まれたことだと思います。
あのアクシデントを見て「無理してでもやれ!!」なんて思ってた人がいたでしょうか?
棄権してしたからと言ってあの二人を責める人がいたでしょうか?
あるブログに
”最大の問題は、その姿を、マスコミや観客、視聴者は、「感動した」「涙が出た」とたたえたことである。”
と表現されていたブログがあり悲しくなりました。
感動したとか涙が出たと言うのは個人の感情であると思います。
感動してしまった私がすごく悪いことしたようにも感じました。
その後なぜが怒りがこみ上げてきました。
なぜいつも感動の言葉が使われるニュースにも何かしら批判をいう人がいて、
確かに大きな事になれば感動って言ってられないことあり、賛否両論であることもわかります。
しかし視聴した人達の感情までに問題視する必要があるんでしょうか?
結果論で色々あるでしょうが、
感情を大きな問題と捉える人もいるんだなと感じました。
たられば話で脳震盪で選手生命が・・・・と決めつけて連盟などにくってかかるなんてことがあったとしてその食って掛かる人て日頃から言霊を利用してる人かもしれませんね。
これも結果論での話ですが・・・
最近の若者であのお二人のように無理をしなさいと受け止める人がいたり、
あのお二人のように自分と戦う強さを持とうと受け止める人がいたり、
あの一つの出来事で色々な受け止め方がありますが、
自分にとって一番のポジティブ思考な発想が出来る思考回路を持ち合わせていたいとおもいます。
昔の人は上手くいいましたね、、、、、”病は気から”と。
気の持ちようで見るものも捉え方が変わりますからね^^