人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事 -189ページ目

人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事

子育て中のやり直し英語でTOEIC講師、実務翻訳者という自分の夢を叶えながら子供たちの英語教育リテラシー向上も果たしました。
「勉強しなさい」と言わない子育てで、長男は東大合格、長女が国立大医学部に合格しました。
教育コーチングを通して学習の自立をサポート

さて、鎖国やキリスト教追放について、すべて「国防」のためだったというエントリーを以前に書きましたが、今回は「朝鮮出兵」についてです。

 

学校ではこのように学びます。

「「豊臣秀吉が天下を取り、日本全土を掌握したため、家臣の間で不満が溜まり、その家臣たちの不満を逸らすはけ口として朝鮮出兵を行った。」

 

また、ドラマなどでは、第一子を亡くした悲しみや淀殿への色ぼけから判断が狂ったなどと言われています。

 

左翼の人々は、もともとが左翼が暴力革命を肯定するからなのか、なぜか、戦いを「侵略」や「拡張欲」などと自分の都合を押し付ける行動にとらえますが、実はそんな軽薄な動機ではなく

「外交」上、考えに考えた行動だったのです。

 

朝鮮出兵の目的は、実は朝鮮半島ではなく、その先の明でした。

当時、既に西洋列強は着々と東アジアを征服していました。スペインはルソンのマニラ、ポルトガルはマカオ、オランダはジャワに拠点を築いて虎視眈々と中国大陸を狙っていたのです。

これを放置しておくと、やがて明は西欧の手に落ち、そこを足掛かりに日本に攻めてくる、これが秀吉の危惧だったのです。そこで、明を打ち、西欧列強の侵略の波を食い止めようというのが、秀吉の雄大な戦略だったのです。朝鮮はその通り道にすぎませんでした。

 

秀吉が天下統一を成し遂げたころ、スペインはフェリペ二世の時代でした。イスラム勢力をおさえたフェリペ二世は絶頂期にいました。秀吉とフェリペ二世は互いに情報交換をしていました。アジアに派遣されたスペイン宣教師は、フェリペ二世に盛んに明の武力制圧を説いていましたが、フェリペ二世は慎重策をとっていたのです。秀吉は今で言えば、外交政策によってスペインをけん制し、明に侵略の防波堤を築こうと考えていたのです。

 

しかも、いきなり朝鮮に出兵したわけではありません。

当時、明は「海禁政策」をとっていて、公的な貿易は10年に一度というように、明朝の許可のもと、細々と行われていただけでした。そして、1547年には、これをも全面禁止として半ば鎖国状態に入ったのです。

 

秀吉は、西欧列強に対抗するためにも明との貿易を切望しました。朝鮮に交渉の仲介役を頼んだのですが、これを拒否されたため、仲介してくれなければ朝鮮を通って明に行くぞという圧力をかけたのです。これが朝鮮出兵の真相です。

 

教科書では、朝鮮出兵に朝鮮半島の民衆は激しく抵抗とありますが、実際は加藤清正軍が朝鮮の二人の王子を追って北上すると、民衆は進んで清正軍に食糧、酒、医薬品を提供しました。当時の民衆は、長らく自分たちを苦しめたのは朝鮮王朝だと考えていたためで、民衆からすると、秀吉の日本軍は「解放軍」だと考えたからです。朝鮮の二人の王子を捕縛したのも現地人であり、これは朝鮮の記録に残っています。

日本が侵略されなかった理由として、

 

1、(航海技術、造船技術が発達するまでは)親潮と黒潮が合流するという自然の要塞があった

2、高い技術力が庶民レベルで確立していた

 

とこれまで述べてきましたが、3つ目は、その精神性の高さがあげられると思います。強靭な精神力と高い教育水準、文化力がありました。

 

侵略の先鋭だったフランシスコ・ザビエルは本国にあてた書簡でこう記述しています。

 

「日本人はこれまで遭遇した国民の中で、もっとも傑出している。名誉心が強烈で、彼らにとっては名誉がすべてである。武士も平民も貧しいことを屈辱だとは考えてはいない。武士が主に服従するのは、それが名誉だからであって、罰をおそれているからではない。日本人の生活には節度がある。酒を飲みすぎるきらいがあるが、多くの人たちが読み書きができ、知的な水準が極めて高い。学ぶことを好み、知的な好奇心にあふれている。」

 

織田信長を尋ねたイエズス会の巡察師、ヴァリニャーノも、日本人の欠点をあげる一方で「ヨーロッパ人にみられる粗暴さや無能力がなく、忍耐強く清潔好きで、理解力に優れ、仕事に熟達している。礼儀正しさと理解力において日本人が我々をしのぐほど優秀であることは否定できない。」と日本人を高く評価しました。

 

また、このシリーズの最初の方でのべたように、江戸末期に黒船で来航したペリーも伊能忠敬が測量してつくった日本地図が彼らが持っていたものとほぼ同じだったことに驚いていました。

 

また、別の観点からネットで年表が出回っているのでご存知の方も多いと思いますが、日本という国は皇紀2600年、王朝が変わったり、民族が変わって虐殺されたりということがありません。天皇を中心とする「祈りの文化」があり、「八百万の神」という言葉があるように、森羅万象すべてに神が宿るという極めて精神性の高い民族だったのです。(ここを、戦後「アミニズム信仰ととらえ、だから野蛮な民族だったとされることも多々あるようですが、そんな野蛮なものではなかったことは、また機会を改めてご紹介できればと思います。)

 

欧米の侵略の武器は、「鉄砲」と「十字架」でした。

しかし、鉄砲はすぐに日本の技術はヨーロッパをしのぐものになりましたし、高い精神性と知的水準が「十字架」による侵略も防いだのです。

 

具体的な「十字架による侵略をどう防いだか」は、以前に書きましたこちらをご参考に☆

 

日本を見直そう♪ 鎖国の目的

日本を見直そう♪ 鎖国の目的2

航海技術や造船技術が進んでいなかった時代には、親潮と黒潮がぶつかる世界的な海の難所であったことが自然の要塞となり、欧米の侵略から免れた理由の一つだと前回書きました。

 

とはいえ、現実に1492年のコロンブスのアメリカ大陸上陸から50年後に、ポルトガル船が種子島に漂着しています。ここから侵略の手を伸ばそうと思えばのばせたはずですが、実は「日本の高い技術と文化」がこれを阻みました。

 

他のアジア諸国が、なす術もなく白人による侵略、支配、植民地化されたのは、一つは原住民の教育程度の低さ、文明、文化の未開ということがありました。アジアの大部分の地域では識字率が極端に低く、文字すら持っていない部族もいました。そのため、西洋人は赤子の手をひねるように簡単に征服できたのです。

 

未開のアジアの中では、日本が例外的存在だったのです。

現在でも、日本人は技術をまねるのが得意であると言われますし、明治維新後、欧米の技術をうまく取り入れて近代国家への脱皮を成功させました。こうした日本の技術力は何も突然日本人が目覚めたからではなかったのです。もともと、日本には長い歴史の中で培われた広い技術基盤が存在していました。

 

例えば、鉄砲です。1543年に種子島に鉄砲が伝来しますが、初めて鉄砲をみた日本人は器用にまねて、自分たちの手で作り上げ、全国にあっという間に広がりました。これは、世界最強の日本刀などの製鉄技術があったからです。たった二挺の鉄砲を購入した八板金兵衛という人が1年後には20挺を制作しました。その後、様々な職人の手で改良が加えられ、本場ヨーローッパをしのぐ性能まで高められたのです。

 

また、幕末、プチャーチンが来航して難船した後も、伊豆の戸田の大工がすこし小型ではあたものの、全くそっくりの船を造り、ロシア人が驚いたという事実も残っています。

 

それらの技術が庶民に根付いていたのです。

 

この技術力を支えたのは日本人の「勤労」の美徳です。

 

西洋のキリスト教文化圏では、労働は神による懲罰で、「苦役」とされることが多いのですが、日本では古来から働くことは喜びであり、美徳であるという考え方が育っていました。

 

労働に喜びを見出す日本人は、技術に関しても追求し、高めようとします。日本独特の「道」の思想です。華道、茶道、武道・・・日本人は道をみつけるのです。また日本は職人の国「巧み〈匠〉の国」だったのです。

 

次回は、日本が侵略されなかった理由の3つめです。

久しぶりに日本を見直そうシリーズ再開します☆

 

近世、近代の500年は一言で表すと「白人による有色人種地域」の侵略、支配の時代でした。

白人たちが近代兵器の鉄砲や大砲で異民族を侵略し、手当たり次第に奪いつくした500年だったのです。(5世紀にもわたります)

 

東南アジアからアフリカ大陸、アメリカ大陸の原住民らは、奴隷か植民地民族として虐げられ、世界史の表舞台には決して登場することはありませんでした。

 

ところがここに奇跡が起こったのです。

 

東洋の東の果てから、こつ然と彗星のごとく現れた有色人種の国が世界史上に登場し、白人の侵略に立ち向かいます。

 

これが私たちの国「日本」です。

 

それにしても、アジアの国々が次々と白人に侵略されていく中で、なぜ日本だけが侵略を免れたのかということを考えてみたいと思います。

 

まず日本は、極東と言われている通り(あくまでも西欧社会からの見方ですが)、西欧からはもっとも遠い場所です。その上、四方を海に囲まれています。日本近海は親潮、黒潮がぶつかる世界的にも海の難所で、造船技術や航海技術が発達していなかった昔は、これが自然の要塞になっていたのです。

 

また次回につづきますね。

 

金曜日に学校に行きたくないと学校を休んだ長女。

金曜日は、前回書いたようにあくまでも自然体で、学校の先生と話したこと、学校の先生の印象等を伝えて、とりあえずゆっくり、休むように伝えました。

 

残りはあと、土曜日と日曜日。

日曜日は、娘の大好きな塾があります。

〈塾が大好きで、勉強に心配ない分、学校に行かなくてもいいんじゃないか、と考えている節もあります。〉

 

土曜日は、私も仕事があったので、とりあえず部屋をきれいにするように伝えて、仕事にいきました。

 

この時点で、我が家は子供部屋以外はぴかぴかです。

 

というのも、どうやらアスペルガーの子が近くの席にいるということが分かったので情報収集をしたところ、彼らはとてもエネルギーが高いので、周りの子はとても精神的に疲れるという話を聞いたのです。よって、心を落ちついた状態にしてもらうための環境整備を金曜日の夜から、土曜日の朝にかけてしました(私、朝型人間です!(^^)!)

 

そして、金曜日、土曜日とじっくり好きなように時間を使わせてみたところ・・・

学校の宿題等はやるものの・・・案の定だらだらだら。

 

なので、土曜日の夜には、

「あなたの大好きな塾は、世の中の役に立つ人になるための塾ですよね。そういう立派なことを言っていながら、実は、いやな人からは逃げたい、テレビは見たい放題、お部屋も言ったようにきれいになっていない、のは一体どういういことなんでしょうか???

 

そんな簡単な身近なことができないのなら、そんなに立派なことを言う塾には行かなくてもいいとママは思います。自分づくりができていない人が、なぜ人の役に立てますか?」

 

と伝えました。お説教でもなく、あくまでも私の意見として。

 

それから、夜の会話でも、なるべく

☆マイナスをプラスに転嫁する会話〈打ち消すのではなく〉

☆相手の立場で物事を考えるヒントになる会話

☆将来の娘の夢から逆発想する会話

 

を心がけました。

 

例えば・・・

「学校の友達がいない、つまらない。」→「ふ~ん、そうだね。でも友達というのはなってもらうのを待つのではなくで自分でつくるものなんじゃない?」

 

「やだ、自分からなんて話しかけられない。」→「話かけられない、話しかけたくないのはわかった。じゃあ、それで、ずっと「ああ、やだやだ、このクラス」ってくら~い人に話しかけようという勇気のある人って、そんな正義のヒーローみたいな人っている?」

 

「がみがみ、先生に怒られてばかりだ。」→「叱られなくなったら最後だと思うし、あなたが先生に慣れていないように、先生だって、いくらベテランでも初めてのクラスは緊張すると思うよ。頑張って、いいクラスにしようと思っているときに、くら~い人がもたもたしていたり、給食当番で髪の毛が入りそうだったら、何か言うのは先生として、大人として当然のことだと思う。」

 

などなど・・・。

 

そして「そのクラスが初めての人は、○○ちゃんだけじゃないよね、他のお友だちにとってもそうだし、先生にとってもそうだよね。皆、ドキドキしながら頑張ってよいクラスにしようとしているのに、あなたはそうやって自分のいやな気持ちだけ投げかけていて平気なの?そういう人がいたら、あなたはどう思うの?」

 

などなど・・・。

 

「そうかな~」

「わかっているけど・・・」

 

と返事をしながらも、まだまだ食らいついてくる長女に最後に聴きました。

 

「それって、天使の考え方かなあ?」

 

娘「・・・・・」

 

実は、その前の春休みに娘は天使が出てくる映画を観ていて、その映画についていろいろと会話をしたという布石がありました。

 

そして、「これから、たくさんの初めてのこと、初めての人に会うだろうし、長い人生、自分の思う通りにならないように見えることもあると思う。そのときに、自分の心をどう使って、どういう考え方をして、どういう選択をするかーというのが『人生は一冊の問題集』という意味だよ。そして、その人が何者なのかということは、その人が普段考えていることそのものなんだよ。あの人のここが嫌だ、あのクラスのここが嫌だ、ってずっと考えているということは、この地球上のどこに行ってもあなたはそういう考えをするということだよ。ママは、確実にあなたより先に死ぬんだよ。あなたは、将来、きちんと生きていって「人の役に立つ」って決めたんだよね。そういう人間になれるかどうかは、今、ここでどういうふうに心を持って行って〈コントロールをして〉、どう考えるかの連続の上で成り立つんだよ。」

 

「ママは、○○ちゃんは、天使だって信じているよ。後はよく考えて。」と伝えました。

 

そして・・・

日曜日は、楽しく塾とその後の塾での友達をあそび、元気になったということもあり、日曜日の夜にはもくもくと学校の用意をして、月曜日には無事に登校していきました。

 

きっとこれですべてがうまくいくのではなく、これからも紆余曲折はあるのだろうと思います。

 

が、その都度、その都度、子供の心に寄り添いながら、それでも前向きな選択をするよう母として尽力できるところは尽力していきたいと思います。

 

ちなみに、彼女が学校に行かないという選択をした場合の、私の提案は

「学校に行くより規則正しい生活をすること。ママと一緒に、朝6時に起きて、家の手伝いをし、ママと一緒にランニングをして、ママと一緒に職場にいってずっと、塾の映像授業を見て勉強をすること、今年中に小学生の勉強を終えること」

 

でした。つまり、学校に行って、色々な人と接するストレスから逃げる分、それなりのことを果たしていただきます、という提案でした。

 

今回は、いじめが原因でもなく、子供のストレス状態がそれほど重くもなかったので、こういう解決策をとり、無事に不登校回避となったわけです。不登校、いじめ問題も初期のうちに解決できると、「軽傷」で済むと思います。

 

何かご参考になりましたら幸いです。