2月に更新して以来、約一か月ぶりとなりました。
教育業界は、確定申告、学期末、新学期準備といろいろと仕事が立て込みます。
仕事が忙しいのは、例年通りなのですが、今年はそれに加えて少々別な要因があってやっと更新できる心境になりました。
公教育の荒廃、子供達の学力格差が叫ばれて久しいですが、昨年は中学生部門をみていて思うところがあり、次年度から小学生部門に力を入れていこうと思っています。「地頭力養成」をコンセプトにしたいと思っています。
さて、この「地頭力」ですが、目的が大事です。
このブログのタイトルにもあるように「教育は高貴なる義務を果たす人々を養成していく」そして個人の幸福が社会の幸福につながるための人材を養成していくためにあると思います。
ですから、我が家、わが塾でも「偉人の生き方」に学ぶことを大切にしています。
今、我が家の子供達が一生けんめいに学んでいるのが「二宮尊徳」です。
二宮尊徳といえば、「資本主義精神」の人、その思想は「積小為大」だったり、報徳思想だったりがあるかと思いますが、今、私が読んでいて一番ピンと来たのが「一円融合」だったのです。
2月にこんなことがありました。
私がいじめ防止活動をしているフィールドはいくつかありますが、その中のひとつに「いじめから子供を守ろうネットワーク」もあります。実は、このネットワークが、とある地区の青少年育成会議に入っていたのですが、「公的団体に適さない」と今年から外されることになったのです。<他の地域では、社会福祉協議会から表彰を受けたりもしているので、一部の地域のみです。>
こちらの団体(いじめから子供を守ろうネットワーク)の活動は、「寛容」なので、よくある政治的信条や、宗教的信条チェックなるものはしていません。キリスト教の方や仏教の方、また他の宗教的信条を持っていらっしゃる方もいます<唯物論という信条の方もいます。>議員さんも、様々な党の方からの協力をいただいたりしています。でも、「いじめをなくす」という趣旨の下に集まった人々たちで、様々な活動をしています。中には選挙に出る方もいますが、それは個人の自由なので、いじめ防止活動を宣伝のためにしているのでなければ認めています。
ところが、そういう状況がどうやらよくなかったのでしょうか?
そもそも、政治や宗教というものは個人の思想、信条の自由ですが、それを理由に「排除の論理が働く」こと自体が、憲法違反ではないのかとも思います。
ただ、そこでの活動では限界を感じておりまして、来季からは、フェードアウトをしようと思っていたので、かえってよかったといえばよかったのかもしれません。
それでも、やはり「憲法違反」の感は否めなく、多少、考え方に「幻滅」を感じていたのも事実です。
ところが、二宮尊徳の「一円融合」の思想に触れて、この「幻滅」自体も、自分の中で限界を作る考えの一つだったということに気づきました。
二宮尊徳が、復興の妨害をする人々に対して、こう思う場面があります。
「彼らは私の仕法を邪魔する悪人なのか。いや、彼らも家に変えれば、よき夫であり、よき父であるはずだ。どんな人にも長所と短所がある。善心もあれば、悪心もある。善悪も・・・陰陽も・・・互いに対立するように見えて、いずれも円の半分でしかない。」
「私は相手の悪心と向き合い、その悪と戦い続けるうちに、いつしか人を裁く心が生まれ、自分こそが正義で、人を悪心としか見なくなっていたのではないか。裁き心は新たな裁き心を生む。」
「善は善、悪は悪としながらも相手と同じ土俵には決して乗らず、誠意をもって道を正し徳と持って徳に報いるその一点を目指して生きていくことができたならー悪は消える」
そうです。
いじめ問題に関して、何らのアクションもせず、無関心で、人の足を引っ張ることばかり考えている人たちであっても、それはそれ、同じ土俵に立たず、私は困っている子供達のために未来をみて淡々と活動を続けていこう、子供達のためにがんばろうと思った次第です。
目の前の出来事に翻弄され、右往左往しても何にも解決はしない人を裁く心を捨て、相手の善なる徳にひたすら向き合っていけばよいのだ 一円融合 もう迷わない、私為すべきことを為すのみ
という二宮尊徳の言葉を心の中で繰り返しながら、また頑張ってまいりたいと思います(*^^)v