~学校の中がある種の治外法権になっている~
前回は、公務員としての教員の身分保障が堕落につながっているという話をしました。
このような話をすると「先生は忙しい」という反論が必ずあります。しかし、忙しいのは民間企業でも同じです。忙しさを理由に、成果を出さない、出ないということはそれ自体が甘えであると思います。
また、忙しさの内容について、もし、行政に肥大化によって報告業務等が多くなっているのでしたら、それこそ『成果』で学習者やその保護者が評価できるシステムにして、行政は小さくなればいいだけの話だと思います。
今回は、もう一ついじめのメカニズムで欠かせない「学校の治外法権化」について触れておきます。
2012年のいじめ防止対策推進法によって、警察が学校に多少は入ることができるようになりましたが、まだ、学校が一部の自治組織となり「外部の人は入れない」という状態があります。
教員は皆、聖職者であり、「学校は聖域であるから外部の人を学校の中に入れない、チェックは利かせないし、外部の人のクレームも聴かない」という形で長らくきてしまったのです。
その結果、自分たちの実態を外部に知られないように一生懸命に努力(?)をしています。
前述した身分保障とあいまって、学校の中がある種の「治外法権」になっているわけです。
さらに、PTAも欧米流の「学校にクレームを言い、授業が下手な教師や問題のある教師を次々と指摘して、改善を求めるようなPTAならよいのですが、日本の労働組合が会社の御用聞きになりがちなのと同様、学校の教員と名誉を共に分か津という形の御用PTAと化していることが多いのです
実際、いじめ問題が起きて学校が対処してくれないことを外部に持ち込むと「学校で問題の起きていることが世間に知れて、学校の名誉が傷つくとPTA役員である自分の名誉も傷つくし、自分の子供たちの学歴に対する世間的な尊敬も失われる」と考えて隠ぺい側に回るケースも多くあります。
このようなメカニズムを打ち砕くには、システム的には「外部評価を受けるシステム」に改善していかなければならないでしょうし、いじめ問題に関しては、「文書化」等でいじめを見える化していくことが必要なのです。
教師たちの多くが、表面上、聖職者であるようなふりをしながら、その心が虚偽に満ちており、内容を伴わず、人の批判を受け入れず、言い逃れやごまかしをし、自己保身をしているならば、悪いことをしている子供たちを叱れるはずがありませ。
教師は「嘘をつかない」ということを最低限の努力目標にしていただきたいですし、「怠けものは追放すべき」ということもお伝えしたく思います。
教師は鏡です。その鏡がゆがんでいたら、正しい姿が映るはずはありません。
教師のことのみを述べてまいりましたが、保護者も振り返ってみていただきたいのです。
「家庭の悪、教員の悪との両方が学校に投影されている」と私は考えています。