美術館に行くのが好き。

とはいえ、なんでもいいかというと そんなことはなくて

やはり、専攻していた油絵系が

しみるんですね。

 

 

国立国際美術館に向かいました。

 

 

 

さて、私は国立国際美術館が

好きです。

移転前は、吹田市の万博公園にありました。

アメリカのシーザー・ペリの設計で、展示室が地下にある構造です。

中之島は、名前通りに川の中州です。

江戸時代から浚渫して、大阪湾に運河の商都を

築き上げました。

地盤のゆるい川の中州の美術館。

現在、国立国際美術館の地下2階部分は、浸水のための閉鎖中です。

 

 
 

↑上の画像は吹田市の万博公園にあった国立国際美術館。下の画像は、2004年に移転した現在の国立国際美術館

 

 

中之島の国立国際美術館 展示会場への導入が、ドラマチックで、好きです。

 

 

前にも書きましたが

私の父と祖父は、このあたりで生まれ育ちました。

私は、中高生時代、この近くの塾に通いました。

阪神高速高架橋が、川面に反射する風景が好きでした。

放課後 西日が刺す川沿いを、阪神高速の龍のようなうねりを歩きました。

 

 

美術館は 現在 地下2階は、浸水のため閉鎖ですが

地下3階は、梅津庸一の展覧会です。

 

1982年生まれの梅津庸一さん

梅津庸一さん 美術手帖より

 

 


 

 

 

梅津さんは

ラファエル コラン  黒田清輝など 洋画の歴史から

インスパイアされた繊細なドローイングを

発表されてきました。

近年は、陶芸や版画、制作を超えて、私塾開設、展覧会の企画など

多岐にわたる制作を広げています。

 

 

「人がものをつくるとはなにか?」

 

 

梅津さんの批評などは、世に多くあるので

私が申し上げるのも、おこがましいのですが

還暦過ぎの元美大生の落涙の展覧会を書きます。

たわごとでござりまする。

 

 



 

展覧会は、私にとって

芝居、劇場、大叙事詩、物語

言葉には表しにくいのですが

単に、作品をみるだけではありません。

 

 



美術館に行こうと思ったその瞬間が

幕を開けるアペリティーボ、アペリティフ

物語戯曲のはじまりです。

 

何を着ていこうか、どんな道を歩こうか

美術館の扉は、どんな色だろうか

どんな作品に会えるだろうか

そして、私は どんな想いをもつだろうか

頭の前頭葉に、めくるめく妄想と幻想が

広がります。

 




 

家の玄関を出る頃には

もう、物語は はじまっています。

私は、脇役なのか 主演女優なのか

まだ、決めかねるおももちで、駅へ向かいます。

車で行くときは、ナビだけではなく

地図を見ておくようにします。

妄想を拡大するために。

 

 



国立国際美術館は、大阪駅から30分ほど歩きますが

どこを通る道を選ぶか、それまでも

物語の大切な序曲です。

(地下鉄やバスを利用することもできます)

 



 

このあたりは、第二次世界大戦の戦火で焼けてしまった地域ですが 、

それでも、唱和の香りが残る小道があります。

運河の街、中之島の橋を越えるときには

それが、心の桟を渡る結界わたりとなります。

そもそも、電車で淀川を越えた時

私は、別の私になるのです。

学校、会社、何千回もの朝、越えた淀川。

「川を渡る」人が暮らしを渡る。

 

 

前置きが長くなりました。

 

 

こうして梅津庸一さんにたどり着きます。

 

 

展覧会の第1室は、とても重要です。

物語の第一章であることは、もちろんですが

その展覧会の肝として企画されるからです。

 



 

展覧会を通して

展示は、おそらく梅津さん本人が

なさったように思います。

 

 

額の位置や高さ、壁面構成、壁面へのドローイング

梅津さんが、ご自身で制作されたのではないでしょうか。

 

 

息づかいが、聞こえるような展示でした

これは、画家が存命であるからこそです。

 

第1室で、すでに落涙。

彼の小学生のときの風景画(めっちゃうまい)と

現在の静物画が並んで おでむかえ。

 

 

 

 

 

 

 

いやぁ~ 見入りました。

鶏より背景の処理。

写真ではグレーですが、本当は、エメラルドグリーンぽい。

こりゃ、すごいと思いました。

品が良い。

絵の具のテカり方といい、濃淡といい絶妙です。

描いてみるとわかるんですけど難しいのです。こういうのは技術があってこそです。

これが、できるんなら、苦労はない。

梅津さんは、点描技法をお持ちですが

点の一つ1つに意志を感じる。

筆を振って飛ばしたかのような点ですが

ぜったい違うと思う!

 

 

 

 
 

 

 

 

点描 ランダムに何気なくあるように見えますが

いやぁ~違うと思うなあ

たぶん、手は早いと思うけど

途方もない労力だろう。

あー しみるわあ。

 

 

今はそうでもないと思いますが

その昔、美大に行きたいなんて マイノリティで、親は驚くし  周りの友達から浮くし

受験一色の高校の教室で

「わたしは、何者なんだろう」

と途方に暮れたものでした。

奇跡的に、私の同級生に、美大受験志望が10人ほどいて、セイシュンのカットウを

語り合うことができました。

高校の中で、別世界に生息していた10人は、今も友だちです。

本気で「芸術は世界を救うか」とか、論議しておりました。






 

梅津さんは、美大受験の予備校、美大での学びについて

独自の見解を発表しています。

それに対して、美術家として梅津さは、パープルルームという私塾をしています。

これは、美大受験を経験してきた多くの学生が、悩み悶えたことだと思います。

私の時代では、高校2年の夏から、受験まで、毎日何時間もデッサンをして

志望大学の科目に合わせた課題練習を、繰り返し繰り返し、学びます。

好きな絵を描く暇などなく、油絵の具を何年も触らない受験期を過ごします。

さらに、志望大学ごとに、デッサンの価値観が異なるため、

複数受験は、困難です。

志望大学の合格傾向のデッサンを体に叩き込まなければなりません。

受験先によって、要求されるデッサンは、全く違います。

デッサンを観ただけで、どこの大学を受験するのか、瞬時にわかるほどです。

そもそもデッサンの価値は、個々に存在し、点数化できないはずのものです。

デッサン以外の受験科目に至っては、大学ごとに、千差万別。

某大学は、色彩構成、また別の大学は、立体構成と違うのです。

受験時間内に、完成させる技量も必要です。

試験時には、事細かい条件設定を課題としてされるので、それを読み解き

条件に合致した作品を、時間内に作成しなければ不合格です。

四辺形の稜線に、20cmの棒を、2か所貫通させて立体を創れ  とかね。

絵がうまいだけでは、合格できないのです。

そのうえ、国公立大学は、センター試験などの5科目受験も課せられます。

この悪夢のような2年近い受験勉強の末、美大に入って、

さて、そこで、また重鎮の教授から、木っ端みじんに講評されたりするんです。

この時点で、自分の創作への気持ちが、ぐるぐるになってしまう。

梅津さんの言うことが、びしびし しみるんですね~私。

 



 

ところで 霞ヶ浦航空基地  これは 板に銀で点描して描いたものです。

梅津さんの叔父さんで、若くして戦死された方の写真を見ると、梅津さんにそっくりだったそうです。

この点描の作業が どれだけ、とんでもないかは、想像できますよね

このほかに、親族のポートレートも描いています。

品がいいですね。

 

 

 



 

同じく自身がモデルとなり、黒田清輝の《智・感・情》を4枚の絵画で構成した《智・感・情・A》など

日本を代表する洋画作品を自らに憑依させた自画像をはじめとする絵画作品を描きました。

 

これも、よく見ると点描技法

ところで、今 美大で油絵っていうと、就職には不利だし、画法としては伝統的だし

そこを逸脱して創作する方向性が大きいと思いますが

やっぱり「描く」のが好きなんですよね。

 



 

2021年から 信楽で陶芸による立体作品を創作しています。

梅津さんの作品については、語りたいことが ありすぎて 書けませんが

 

 

 



 

 

結局 色の傾向とか、作図の構図とか、

私の好きな琴線に共鳴する  ので   良かったというのが

早い話です。

 

 


 

展示室の壁紙は版画ですし、音楽もオリジナル、壁のペイントもおそらく

ご本人です。

 

 



 

こうして、物語のクライマックスは、私の予想をはるかに超えて

気を失って魔界に飛んだような時に魅了されました。

 

 

 

地下2階は浸水したけど、地下3階は無事だった。。。その地下3階から

地上に上ると、緞帳が下り始めたことになります。

 

 



往路とは別世界の帰路の中之島。

そのまま帰ることもできず、ひとりでお茶を飲んで

一息つき、現実に戻る準備をしました。

 

 

淀川を渡る鉄橋の上で、「晩御飯つくらな あかんな」と

我に返りました。

 

 





 

そういえば、昔、淀川には、たくさんポンポン船が停泊していました。

船で生活している人が、鉄橋から見えたものです。

洗濯ものがはためく船に、こどもたちが遊ぶ影。

あれは、日本だったのか、メコン川か。。。。