京都 高麗美術館

 

ここは、朝鮮白磁で有名な美術館です。

口コミや雑誌、本などで、評判が良く

行ってみたいと思っていました。

 

場所が北区、北大路駅より さらに北ということで、

これまで、訪問が叶いませんでした.

市街地から距離があるということと、周辺が住宅街で、さらなる移動に不便だという理由がありました。

 

 

 

朝鮮白磁の所蔵では、とても有名な美術館です。

 

 

 

 

 

 

 

入口。

 

現在、展覧会が開催中でした。

「風俗画と民具から見る朝鮮時代」

 



 

結論から言うと

お目当ての白磁の展示は、少なかった........のが、残念ではありましたが

日本のなかの朝鮮文化 貴重な民具や壺を鑑賞できました。  

風俗画19世紀の屏風と民具の展示でした。

 



 

美術館を開かれた鄭 詔文さんの言葉を、HPより引用します。

 

たったひとつの朝鮮白磁の丸壺に魅かれて、古美術商の店先に立ちどまったのが四十余年前。
祖国は解放されたものの、私自身、まだ帰るあてもない日のことでした。
いつかは祖国へ帰る。そう思いこんでいたものですから、みやげのひとつにしようと暖簾をくぐったことが,
「今日」の始まりとなりました。
今もなお私にとりましては帰るに帰れない祖国ですが、そこには私のふる里がございます。
六十余年の歳月はあまりにも遠く、もう私の知っているふる里ではないのかも知れません。
しかし、高麗・朝鮮の時代にも、ふる里の平原はあのように風を走らせ、夏の洛東にはとうとうとした流れで、
私たちのような童を抱き慈しんでいたことでしょう。
美術工芸品を観ていますと、どの匠人もそうした風土の恵みをたっぷりと受け留めていたことが感じられるのです。

同胞の若き人々よ、どうか知って下さい。あなたの民族は、日々の生業そのものを文化とする豊かさをもって、
生きてまいりました。あなたにもその豊饒な生命が息づいているのです。

この度の開館におきまして私が望み願いますことは、すべての国の人々が私たちの祖国の歴史、文化を正しく理解することで、
真の国際人となる一歩を踏み出して頂くことでございます。
韓国・朝鮮の風土に育った「美」は今もなおこの日本で、言語・思想・主義を超えて、語りかけております。

どうぞ、心静かにその声をお聴き下さい。

1988年10月25日
財団法人 高麗美術館 鄭 詔文

 



 

日本と朝鮮半島は、古来から文化交流がありました。

時には、いさかいや悲しい歴史もありました。

 



 

私は、悲しい歴史を、目の当たりにしていない世代です。

しかし、関西に生まれ育ったので、在日韓国・北朝鮮の人たちとの

さまざまな経験があります。

そして、息子たちの世代では、それさえも薄れてきたかのようです。

 





外壁



 

私は、過去からの歴史を語り継ぐことが

私たち人間の大切なことだと思っています。

 

 



 

高麗美術館の向かい側には 高麗美術館研究所 という建物がありました。

 

 

次は、白磁や焼き物の展覧会の時に、伺おうと思いました。

 

 

 


17世紀白磁壺