私は、Facebookに非公開で、展覧会の記録を書いています。

非公開なので、だれも見ないのですが、画像記録としています。

Facebookは、1年前2年前3年前の「今日」を「思い出として振り返りましょう」と

UPしてくれます。

 

本日は、それで、2023年6月11日 ピーター・シス展が現れました。

 

 

こうして アーカイブが出ると、おもしろい

寄る年波か、もともとぼんやりなのか

けっこう 忘れているのです。

 

ピーターシス展のことも、すっかり忘れていました。

シスは、チェコ プラハからアメリカに亡命し画家です。

 

私は、今年の2月にプラハに旅をしました。

それなのに、すっかりシスのことを、忘れていたんです。

なんて おばかなんでしょう。

我ながら、あきれはてます。

 

 

 

 

 

さて、ピーターシスは、チェコで1949年に生まれました。

チェコスロバキアが1948年の政変でソ連型の社旗主義国となった翌年に、長男として生まれ、プラハで育ちました。

両親はともに芸術家であり、特に映像作家である父親のヴラジミール・シスは、生涯にわたってシスに大きな影響を与えました。

表現の自由が奪われ、検閲も厳しい環境下であり、壁に囲まれた自由が制限された生活でした。

ピーター・シスの父は、映像記録の仕事をしており、社会主義国家にありながら

中国や西洋社会への渡航がゆるされていました。

ピーター・シスは、幼いころから、父に西洋文化芸術を教えられて、影響を受けます。

西側の文化は禁止され、西側のラジオ放送は妨害、だれもがソ連体制に忠誠を誓わなければならない「正常化」の時代下、

ピーター・シスは育っていきました。

 

1982年、チェコ・アニメの代表としてロサンゼルスオリンピックのアニメーションを制作するため渡米。

しかし、東欧諸国がオリンピックをボイコット。

1983年、たったひとり、家族と離れて、アメリカに亡命しました。

1989年5月、アメリカ市民権を取得。同年11月ベルリンの壁崩壊後、プラハの家族と再会することができました。

 

 

なのですが

シスはアメリカで働くことに かなり苦労します。
社会主義で育ったので、アメリカの暮らしや働き方には、なじめなかったようです。
それが、また 彼の「自分は何者か」という苦難につながります。

 

ピーター・シスは、はじめは絵本作家ではありませんでした。

アメリカに亡命したとき、ピーター・シスは、生活するために挿絵や新聞のイラストを描いていました。

生き抜くために、人と同じ絵を描いていては採用されないので

細密な点描で独自の画法を編み出します。

 

 

 

 

故郷の思い出を描いた『三つの金の鍵 魔法のプラハ』や『かべ 鉄のカーテンのむこうに育って』などの代表作品

これらは、故郷であるチェコを追われたこと、プラハへの思い、自由のない社会主義下での生活など、彼の思いがこめられています。

 

 

近年の作品としては 10年をかけて調査し制作した

ニッキーとヴィエラ ホロコーストの静かな英雄と救われた少女

があります。

 

ホロコースト

イギリス商人のニッキーは私財をなげうち、ホロコーストから669人のこどもを、イギリスに逃がしました。
 

この本は アメリカで2021年に出版 日本では2023年に出ました。

 

 

1938 年 12 月、若いイギリス人がスキー旅行をキャンセルし、プラハに向かい、街に押し寄せたナチスの難民数十万人を助けた。

ホテルの部屋に仮設の本部を構えたニコラス・ウィントンは、子供たちを危険から救いたいと切望する親たちから

名前と写真を預かった。彼は資金を集め、イギリスで里親を探し、渡航とビザを手配し、必要に応じて役人に賄賂を贈り、

書類を偽造した。

1939 年の慌ただしい春と夏、ナチスの影がヨーロッパに迫る中、彼は 700 人近くの子供たちを安全な場所に移送する手配をした。

その後、戦争が始まり、子供たちを救出できなくなったとき、彼は記録をしまい、誰にも言わなかった。

偶然の発見と有名なテレビ出演によって、ウィントンの行動が明るみに出たのはその 50 年後のことだった。

 

チェコスロバキア国籍のユダヤ人少女ヴェラは、ウィントンの努力によりイギリスに無事に連れて来られた669人の子供のうちの1人でした

。彼女は戦争とその余波で、叔母を1人を除いて全員亡くしました。第二次世界大戦から何年も経ってから、ベラとウィントンが助けた他の子供たちが、テレビ番組「That's Life」で彼に敬意を表しました。


↑これは、アメリカの出版社の説明を翻訳しました

 

テレビ番組から公になったようです。

 

 

 

過去の日記から、今年訪ねたプラハを

あとから 調べる  わたし。

 

 

 

私は 本を読んで その感想を日記に書くのが 恥ずかしくて。。。。

なんか 頭の中を さらけだすようで。。。。

 

 

それで、絵本以外の感想は 日記に書いていません。

 

 

実は プラハから 帰ってから  プラハに関する本を いくつか読みました。

社会主義国であったときの出版関係の本は、面白かったです。

次男から、イギリスに闇ルートで本を送っていたことは、耳にしていました。




行く前に 読めよ!って感じですよね。

けっこう 感動してるんですが、日記には書けていません。

 

 

底知れぬプラハ。


私は、プラハの街並みが とても好きでした。

最近 NHKで2時間で回るプラハという番組を観ました。

もう一度行きたいけど、息子たちは、「もういい」そうなので、一人旅かなあ。


長男は、ミラノ在住で、先週 オーストリア近くまで旅しました。

かなり、ミラノとは違うとのこと。

 

 

ヴィクトールフランクルの 夜と霧を、昔から愛読しておりますが

フランクルの両親は プラハの人なんです。

フランクルも、関連ということで 追加で何冊か読みました。

 

いま NHKでフランクルのシリーズをやっています。

 

 

友だちのカルト宗教騒ぎから、しんどくなっておりますが

まずい と思い
昨日は カウンセリングを受けました。

さすがプロ。

ずいぶん 楽になってきました。

 

みなさま いつも ありがとうございます。