昨年、私はギボを見送りました。



この件については

実のところ

書きかけて、下書き保存した日記が

5つほどあります。



うまく、かけないんですね、



ミラノ



前にも書きましたが

ギボは、先天性の統合失調症でした。

知能指数は高く、ずっと診断されていませんでした。

加齢とともに、悪化しました。

義父は、ギボの言葉と行動が原因で

自ら死を選びました。 



海外での単身での勤務が多かった家人。

ギボの世話は、私一人の肩にかかっていました。

私は、精神科医から

「一人でお義母さんに会ってはならない。

  あなたが、壊れます」

と言われていましたが

一人息子の家人が、日本にいないのだから、どうしようもなかった。




私が、踏ん張っていたのは

息子たちのためです。

すべては統合失調症のせいであり

やり過ごすことを、肝に生きてきました。




そんなギボは、

私の予測とは、全く違う最期を迎えました。

あっけなかった。




そして、葬儀を営みました





葬式というのは

死者を送るものです。

死者に「あなたは死んだのです。成仏してください」と引導を渡します。

生きて残った者たちは、葬式をして

「もうこの世にはいない」と確認します。




ヒコウキから



みなさんも、そうだと思うけれど

昔の葬式は、一大イベントでした。



家は、葬式のために設計されたといっても過言ではない。


私がこれまでに経験してきた葬式は

どれも、これも、大スペクタクル イベントでした。



私は、祖父母と近くに暮らしていて

毎日、祖父母と一緒でした。


祖母が亡くなったとき

私は小学生高学年でした。

亡くなってから7日毎に法要がありました。

家の襖を、開けて、祖母が、今にも現れるような気がしていました。

祖母が亡くなっとことを、長い間、受け入れることができませんでした。

それでも、親戚一同、ご近所、知人が、大勢集まり、葬式をしたことが、けじめになったと思います。




祖父がなくなったときも 私は

仏間に、きんきらの布団に寝ている(なくなっている)祖父の横に、ずっと座っていました。

死んだとはおもえなかった。

「こら!なに てんごしてんねん。げんこつやぞ」

と祖父は今にも言いそうでした。

祖父の葬式のころは、中学生だったので

私は、祖父の会社の電話番のひとりになりました。

大阪では、葬式にしきみを飾ります。

しきみ受付担当をしました。

そういうことをすることから、少しずつ、祖父がいなくなった現実を、理解していったと思います。




大変だったのは

家人の祖母の葬式でした。



田舎の葬式は、とんでもなかった。

大阪とは、習慣が違うので

葬式のなにもかもが、私の未知の世界でした。


「嫁が納棺」とか言われて、びっくりしました。

葬式行列やら、葬式の炊き出し。

料理を作ったり、家での葬式は、気絶しそうなくらいたいへんでした。

統合失調症のギボは、おかしくなってしまい

さらに、私は、困りました。


葬式というのは、地方ごとに、違うのです。

都会のように、葬儀屋さんは、動かなかった。




義父の葬式は、大阪でやりました。

大阪なら、手順は、わかっています。

私なりに、心を込めて送りました。

先に書いたように、大変ではありましたが

なにより、義父の冥福を思いました。




さて、ギボ。

コロナ禍のご時世。

「家族葬」となりました。



ギボの親族兄弟は、みんな中国地方です。

大阪には、ひとひだけギボの妹がいますが

すでに80を超えて、一人で移動できません。

田舎の親族も、高齢となり

都会に出た子息がなく(珍しい)

葬式に集めるのは、難しい状況でした。



70歳を過ぎてから、大阪に転居してきた

ギボなので、友達なども近隣にいません。

老人会は、コロナで解散しました。



晩年の5年は、施設暮らしでした。



家族とギボの妹2人だけの家族葬になりました。

お通夜は、家人と私と息子②だけでした。

息子①は、ミラノ。


私は、この30年以上のギボとの生活を、

思いました。



それを、家族葬で区切る。

ことは

不可能でした。


夕日



死んだとは やつぱり

思えない私がいるのです。



整理がつかない。



いなくなった

本当に、終わったのか。



わたしの身内は、おじだけなんですが

おじが、電話で


「やっと、開放されたね。

  ここまで、よく 我慢した。

  こんなこと言うべきではないかもしれんが

  やっと、終わったな。よかった」



と言いました。



誰も、言ってくれない言葉でした。

つらいとき、私の両親が他界後

おじとおばだけが、相談相手でした。

手紙を、よく貰いました。




しかし、私は、葬式だけでは

気持ちを整理できません。



だけど

葬礼がなかったら

もっと、苦しいと思います。


私は、心底、ギボの冥福を願っています。

それは、嘘偽りない。



もう、あの苦しみはないと

終わったことも、理論上は、わかります。


ミラノ



しかし、整理がつかない。



葬礼だけで

この30年以上のギボの言葉や行動を

終わったことには、できない。

傷は深く、刻まれています。



思えば、葬礼というのは

生きるものが、死者と別れるための

大切なものなのでしょう。


あの一大スペクタクルイベントをすることが

人間社会を支えてきたのかもしれません。


話は飛びますが

二度に渡る世界大戦で

世界には多くの死者が出ました。





その鎮魂と戒めと、多くの思いを

葬礼が、要にある気がします。



うまく、書けないけど


コロナ禍になり

おおきな葬礼が、減って

家族葬が増えた気がします。



大掛かりな葬式は、たいへんだから

心のこもった家族葬が良いと

それも、そうです。



何でしょう。


大掛かりにしたからとして

良きことはないんですけど



私の気持ちとして



まだ



ぜんぜん




落ち着かない。



庭の椿



毎朝、仏壇に手を合わせ

温かいお茶とお水とお供えをして

ロウソクともして、お線香あげて




そうすることは、

長年の習慣で




そのうち、

整理がつくのでしょうか。






庭の水仙