旧堺港 | 父と暮らせば

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母が亡くなり今度は父が直腸癌になりました。人工肛門。放射線治療。余命宣告を受け在宅で緩和ケア。このまま看取り予定。
お弁当、お庭、俳優、ドラマ、音楽、寺社仏閣、お絵描き、手芸等を適当にユルく綴ってます。
呑気ですがたまに愚痴ります。

また日が空いてしまった~~。

毎日更新出来る人凄いなあと思います。

旧堺港を書く前に一言。

牧くんがいない『おっさんずラブ』なんて~~!!

きっとまた面白いんだと思う。観ていたらそれはそれで面白いんだと思う。

でもそれはおっさんずラブであって、おっさんずラブじゃない。(⬅言ってる意味わかる?)

吉田鋼太郎さんが言ってた『寅さん』シリーズとはこういうことですか。

えーでもー、寅さんは団子屋さんもおいちゃん、おばちゃん、桜、桜の家族、タコ社長、お住職に佐藤蛾次郎さんらはずっと変わらずだったのにな~。

主のメンバーは変えなくていいのにな~。寂しいな~。

秋ドラマの楽しみが1つ消えてしまいましたね。(観るけどね。もしかしたら前回より面白いかも知れないし)




というわけで、

前回のブログのつぼ市さんを出て、旧堺港までサイクリングしました。



たぶん南蛮人。






室町時代から安土桃山時代にかけて、天然の良港であった堺港は海外貿易港としても発展しました。

後に大和川の付け替えにより衰退しましたが、江戸の商人と堺の人々により築港・修理されたのが現在の堺旧港の原型です。


近年、堺旧港周辺地区は復元建設された龍女神像など整備され、


ロマンが薫る堺の水辺として、憩いと交流の場となっています。









龍女神像。

「乙姫さん」とも呼ばれてます。(カメハメハ大王じゃないよ)




魚がいっぱい



ボラかな?



堺燈台です。

コンクリートの燈台が多い中、この燈台は日本で最古の木造で洋式の燈台です。

白く塗られ、普段は中には入れませんが年に1度だけ公開されます。




向こう岸には中世の堺の絵が









この煙突が人気あるそうな



で、この人。

前から誰だろうな~?と思っていたんですよ。




呂宋助左衛門?

だれ?


呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)さん。

調べたら有名な方でした。私、無知でごめんなさい。

『ルソンの壺』というタイトルのテレビ番組がありますよね。

そのルソンなんです。

呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)が戦国時代の終わりに東南アジアの島から「壺」を日本に持ち帰りました。

呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)堺の商人で堺を本拠地として東南アジアのルソン島(フィリピン)まで海を渡り貿易商を営んでました。

同じ堺出身の千利休の橋渡しにより、時の天下人豊臣秀吉にルソン島で仕入れた「壺」を献上したのです。

秀吉はこの壺を見てお気に入りに。

周りの武将達にもこの壺を強く推奨したのです。

その結果、武将達にもこの壺が大人気!

呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)は大儲けするわ秀吉からは気に入られるわでウホウホです。

呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)は富と名誉を手にしたのです。

ところが儲けすぎてあまりにも派手な暮らしをしたせいで

石田三成からありもしないことを秀吉に告げ口され、秀吉の怒りを買い、お家没収の処分を受けることになってしまうのです。

一説では秀吉に献上したルソンの壺が実は宝物などではなく、便器だったともいわれています。

このことが秀吉の怒りをかった本当の理由かもしれないそうです。

呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)は邸宅や財産のを堺の大安寺に寄進し、自分はルソン島へと脱出。

その後、ルソン島からカンボジアに渡り、ここでもカンボジア国王に気に入られ、日本から訪れる商人の元締めとなり又々大成功。

そのまま二度と日本には帰らず亡くなったそうです。

昔放送されていたNHK大河ドラマ『黄金の日々』は、

この呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)の一代記の話です。













これがルソンの壷







この辺りはマンホールも旧堺灯台です。




電話ボックスも堺燈台です。






堺市駅前のバスも南蛮人ラッピング





見つけた腹ペコ青虫!

何故こんな所に?癒されるわあ~。






やっと終わりました。

たった二日間の事を書くのにえらく時間をくってしまった…。

堺ぶらぶら散歩、おしまいバイバイ