また日が空いてしまった~~。
毎日更新出来る人凄いなあと思います。
旧堺港を書く前に一言。
牧くんがいない『おっさんずラブ』なんて~~!!
きっとまた面白いんだと思う。観ていたらそれはそれで面白いんだと思う。
でもそれはおっさんずラブであって、おっさんずラブじゃない。(⬅言ってる意味わかる?)
吉田鋼太郎さんが言ってた『寅さん』シリーズとはこういうことですか。
えーでもー、寅さんは団子屋さんもおいちゃん、おばちゃん、桜、桜の家族、タコ社長、お住職に佐藤蛾次郎さんらはずっと変わらずだったのにな~。
主のメンバーは変えなくていいのにな~。寂しいな~。
秋ドラマの楽しみが1つ消えてしまいましたね。(観るけどね。もしかしたら前回より面白いかも知れないし)
というわけで、
前回のブログのつぼ市さんを出て、旧堺港までサイクリングしました。
室町時代から安土桃山時代にかけて、天然の良港であった堺港は海外貿易港としても発展しました。
後に大和川の付け替えにより衰退しましたが、江戸の商人と堺の人々により築港・修理されたのが現在の堺旧港の原型です。
近年、堺旧港周辺地区は復元建設された龍女神像など整備され、
ロマンが薫る堺の水辺として、憩いと交流の場となっています。
で、この人。
前から誰だろうな~?と思っていたんですよ。
呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)さん。
調べたら有名な方でした。私、無知でごめんなさい。
『ルソンの壺』というタイトルのテレビ番組がありますよね。
そのルソンなんです。
呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)が戦国時代の終わりに東南アジアの島から「壺」を日本に持ち帰りました。
呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)は堺の商人で堺を本拠地として東南アジアのルソン島(フィリピン)まで海を渡り貿易商を営んでました。
同じ堺出身の千利休の橋渡しにより、時の天下人豊臣秀吉にルソン島で仕入れた「壺」を献上したのです。
秀吉はこの壺を見てお気に入りに。
周りの武将達にもこの壺を強く推奨したのです。
その結果、武将達にもこの壺が大人気!
呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)は大儲けするわ秀吉からは気に入られるわでウホウホです。
呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)は富と名誉を手にしたのです。
ところが儲けすぎてあまりにも派手な暮らしをしたせいで
石田三成からありもしないことを秀吉に告げ口され、秀吉の怒りを買い、お家没収の処分を受けることになってしまうのです。
一説では秀吉に献上したルソンの壺が実は宝物などではなく、便器だったともいわれています。
このことが秀吉の怒りをかった本当の理由かもしれないそうです。
呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)は邸宅や財産のを堺の大安寺に寄進し、自分はルソン島へと脱出。
その後、ルソン島からカンボジアに渡り、ここでもカンボジア国王に気に入られ、日本から訪れる商人の元締めとなり又々大成功。
そのまま二度と日本には帰らず亡くなったそうです。
昔放送されていたNHK大河ドラマ『黄金の日々』は、
この呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)の一代記の話です。
この辺りはマンホールも旧堺灯台です。
電話ボックスも堺燈台です。
堺市駅前のバスも南蛮人ラッピング
見つけた腹ペコ青虫!
何故こんな所に?癒されるわあ~。
やっと終わりました。
たった二日間の事を書くのにえらく時間をくってしまった…。
堺ぶらぶら散歩、おしまい![バイバイ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/128.png)
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